第9話 『いいカモが見つかったぜェ』
「百十、百十一、百十二」
ロズウェルは畑の隣で、木剣を使って素振りをする。
教会の世話になって一週間が経った。早朝は畑の水くれ、日中は教会の清掃や力仕事をし、夜は信者たちに配るためのオリジナルのお茶作りにいそしんでいる。
街の人々はロズウェルの働きぶりをよく見ていた。働かせすぎではないか、という視線がゼルツに向かうようになり、昼食後に二時間の休憩を貰っていた。
清々しい青空が広がり、心地のいい風が火照った肌を撫でる。
「百九十八、百九十九、二百!」
朝の水くれ前、昼食後、そして夜に寝る前に素振りをし、合計すると毎日千回はやっていた。
ここは人目がないので、思う存分に素振りができる。
(あと百回振ろう)
左手の小指と薬指の付け根は、皮膚がはがれて血がにじんでいた。治癒魔法で治すこともできたが、少しでも体を丈夫にしたくて、布を巻いてそのままにしていた。
(魔物との戦いで、魔法が決定打にならない日が来るとは)
ロズウェルの魔力量は、前が《百》だとしたらいまは《十》だ。
魔法は、己の魔力量よりも消費する魔力量のほうが多ければ発動しない。
猪の魔物に襲われたときに使おうとした、ロズウェルが生み出した《氷晶の庭園》と呼ばれる、対象を囲い込むように氷の結晶が芽吹いてから切り刻んでいくという魔法は、呪文を唱えても発動しなかった。
消費量は《二十》だ。無理もない。
(中級魔法一回の消費が《四》から《八》だから、いまの僕は中級魔法が二発で手一杯だな)
当たり所が良ければ中型魔物を一発で倒すことができる。だが、以前にゼルツに言われていた「自分を生かす算段を考えて行動をしない奴に、人の救助に当たる資格はない」を実行するためには、魔法以外の戦い方も必要だ。
ということで選んだのが剣だった。
(幼い頃は杖よりも魔剣に憧れがあって、隠れて剣を振り回していたんだよなぁ。まさかその経験がここで生きることになるとは)
魔剣は鍔や装飾品がキラキラしていてカッコいい。王太子殿下のご趣味は魔剣の収集なので、そこだけは気が合った。
(剣といえば……ユーリさんの剣技もかっこよかったな)
剣を選んだもうひとつの理由として、ユーリを意識しているわけではない、と自分を納得させようとするが、無意識のうちに耳が赤くなっていた。
(本当はお礼に行くべきなんだけど……)
オルヌスの基地へ行くのは、隊員になってからにしようと決めていた。彼女に忘れられないためにも、あと一か月以内には入隊したい。
「太刀筋がずれているのお。余計なことでも考えているな?」
背後から指導者おじさんがやってきた。こうして素振りをしていると、朝昼晩問わずゼルツは必ず顔を出して、アドバイスという名の小言を残していく。
ありがたいけど、たまにうるさい。
「ええ、そうですけど、二百八十一、二百八十二」
そして三百本目に、ロズウェルは木剣を振るのをやめて一息つく。それから近くに置いてあった金属製の水筒を掴み、水を喉に流し込む。
「ふむ。思った以上に体力と根性があるようじゃな」
ゼルツに褒められることなど滅多にない。ロズウェルは浮足立ちそうな気持を押さえつつ、汗を拭う。
「戦闘には体力が欠かせませんからね。あと浮遊魔法では体幹も必要ですから、鍛えました」
「それにしたって、お前さんは魔導士にしては体力があったほうだろう」
「……まあ」
それは家族の影響だろう。
母方の祖父は、拳に魔法陣をまとわせて戦う武闘派の魔法使いだ。ゆえに杖で優雅に魔法を使うロズウェルの父親と喧嘩ばかりしていた。
(喧嘩が始まるとアルティリエと一緒にどちらが勝つか予測し合っていたなあ)
しみじみと思い出にふけっていると、
「ふむ、これならいいかのお」
ゼルツの声に、ロズウェルは意識を戻される。気づいたら、ゼルツは腕一本分ほどの長さで、剣の柄ほどの太さを持った木材を持っていた。
「え、もしかして鍛えてくれるんですか?」
思わず濃紺の瞳を輝かすと、彼は「ロズウェルに死なれては困るんでな」と苦笑し、ローブのポケットから砂時計を取り出す。
「ちなみに砂時計が終わるまでにわしに一太刀も浴びせられなかったら、素振り二百本追加じゃからな」
「えっ」
「はい、始め!」
ロズウェルは慌てて木剣を構え、剣先をゼルツの眉間に定める。
技を繰り出す直前までゼルツの眉間に剣先を引きつけることで、肩を斬るのか胴を斬るのかわからなくして前に踏み込む。
「甘いな」
ゼルツは木材を構えたまま、足さばきだけでロズウェルの攻撃を避けていく。
(なんで当たらないんだよ‼)
フェイントをかけたり、二段技を繰り出してみるが、簡単に避けられてしまう。挙句の果てに、砂時計が終わる直前で足を引っかけられて転ばされた。
「はい、お前さんの負け~」
「くっ」
ロズウェルは歯を食いしばりながら、立ち上がる。膝は泥だらけだった。
「なにをぼさっとしている。素振りを始めろ、素振りを」
ゼルツが見たこともないほど生き生きとしている。その表情はいたぶる獲物を見つけたガキ大将そのものだった。
「じゃあ足を肩幅より大きく開いて、そのまま腰を落とせ」
「? はい」
「よし、その状態のまま素振りをしろ。名付けてスクワット素振りじゃ」
(り、理不尽だーーーー‼)
ロズウェルは心の中で叫ぶ。拳で戦う祖父といい、祖父世代の人は肉体の追い込み方を熟知し過ぎている。
「一、二、三、死」
「なんだって?」
「五! 六! 七! 八!」
ロズウェルは思い切り声を張り上げて、足をプルプル震えさせながら素振りをする。
「お前さんの弱みは足じゃな。魔法を使うことに慣れ過ぎて、足さばきがなっとらん!」
「う、はい! 十五、十六」
「基本ができているのはせめてもの救いじゃな。この素振りが終わったら、剣を買ってこい。お前さん、もともと着ていた服に銀のボタンがついていたよな? 換金所を紹介してやろう」
「本当ですか⁉」
嬉しさのあまり、素振りを止めて立ち上がってしまった。途端に何本振ったか忘れてしまう。
「手を止めるな馬鹿たれ! 追加で百本じゃ!」
「え」
有無を言わせない迫力に、ロズウェルは歯を食いしばって素振りを続ける。
(絶対に強くなってやるからなぁ!)
時に丁寧に、時に鋭く、足を生まれたての小鹿のように震えさせながら、常に眉間の位置まで剣先を振り落とす。
「もっと研鑽するんじゃぞ、ロズウェル。わしに一太刀浴びせた悪ガキがいたくらいじゃ。お前さんはまだまだ力が足りない」
「三十九、誰ですか、それ。オルヌスにいるんですか? 四十二」
「そいつは街を出て、東の都市のギャングと関係を持っている。だが最近、バルロに帰ってきたという噂があってのお。青い髪に頬に傷がある男じゃ。お前さん、出会ったら逃げるんじゃぞ」
「キッツ、なぜ?」
「そいつがお前さんよりも魔力を持っている上に、剣術の腕もあるからじゃ」
◇◆◇
「ほう、じじい。わかっているじゃねえかァ」
頬に傷があるがたいのいい男――オスカーが、教会の裏側の生い茂る低木の影に隠れていた。彼は振り返ると小声で「なあ、いまの話を聞いたか?」と二人の子分に話しかける。
「へい、ばっちりと」
「兄貴の情報は間違いなかったですね」
称賛の声に、オスカーは悪戯を覚えたばかりの子どものように口角を上げる。
「元名家の坊ちゃんと聞いて様子を見に来たが……あの弱さではオレの敵ではねェ。銀を奪い取るのもいいし、あいつを人質にしてアークトゥルス家から金をせびるのもいいなァ」
子分であるブラックベリー兄弟は「さすが兄貴!」「悪い考えですね!」と賛同する。
この三人は、幼少期からバルロで悪童と名を馳せ、窃盗と恐喝を繰り返し、街の人にも手に負えない存在になっていた。
特に兄貴分のオスカーはロズウェルと同じ十九歳だが、気に入らないことがあると暴力で融通を利かし、唯一立ちふさがったゼルツに何度も奇襲をしかけ、二年前に街を出る際についにゼルツに一太刀浴びせていた。
いま一度、オスカーはロズウェルを見る。
足がガクガクと震えていて、膝カックンをするだけで倒せそうだ。
それに体格は恵まれているかもしれないが、自分と比べると細身で顔に覇気がなく、弱々しく見える。
(本当にこいつは宮廷魔導士候補だったのか?)
なんというか、魔導士らしくない。オスカーが知っている魔導士は、高慢で常に人を見下す最低な人でなしだ。
(アークトゥルス家が魔導士界隈の唯一の良心と言われていることを考慮しても……弱すぎるだろう)
ここ数日、魔法の練習をしているのも見ていたが、大技を決めようとして何度も失敗していた。どんな理由があって名家の坊ちゃんがバルロ教会にいるのかはわからないが、いいカモだった。
(じじいも馬鹿だよなァ。こんなやつに剣術を教えるなんて)
オスカーは冷ややかな視線をロズウェルに向け、口角を上げる。
「さあ、坊ちゃんに世の中の厳しさを教えてやろう」