第8話 『誰よりも魔導士としての才を持ち、誰よりも向かない男じゃ』
ゼルツがバルロ教会の司教となった年、魔物の大量発生により穀物と薬草畑が荒らされ、食料不足と資材不足に陥った。
各地の貴族と有権者たちは、飢饉になるかもしれないという不安のあまり、必要以上の食糧と資材を独占し、高い金を払って治癒魔法を使える人を囲った。
特に畑地帯の被害がひどかった。穀物や野菜が踏み荒らされ、魔物を倒すために多くの人が怪我を負ったが、彼らを癒すための人材も資材も足りなかった。
このバルロ教会にもたくさんの人が押し寄せたが、治癒魔法を使うにも限度がある。人も、資材も、魔力も、体力も、気力も、本当になにもかも足りなかった。
――そこに現れたのが《黎明の魔導士》だ。
その魔導士は北の都市アルタレスの出身で、少量の薬草やハーブを使って水出しのお茶を大量に作り、人々に振舞った。
一杯飲めば体中の痛みが和らぎ、心穏やかに魔法による治療を待つことができた。
さらにその魔導士はレシピを独占することなく、誰もが気軽に飲めるように、貴族、商人、教会にレシピを伝え、人々の治療に役立てた。
薬膳茶はお茶会が日常的に行われていた貴族たちの中で特に流行り、独占していた食料や資材は徐々に市政に出回った。
五年経ったいまでは、『風邪予防』『痛みの緩和』などの効果を持った薬膳茶が、平民の間で当たり前のように飲まれていて、教会いらずと言われていた。
(その魔導士は自分の功績に無頓着で表立って姿を見せない。だが、夜明け前を彷彿とさせる濃紺の瞳を持っていることから、誰かが黎明という言葉を使って称えたのじゃ)
ゼルツの視界が揺らぐ。片手で顔を覆い、唇を引き結ぶ。
いま目の前に、夜明け前の空のような濃紺の瞳を持つ男がいる。
(そうか、お前さんなのか)
まさかあのときの救世主がここに現れるとは思ってもいなかった。
「そうだ、ゼルツさん。バルロの特産品ってあります?」
余韻に浸っていたいのに、ロズウェルは空気を読まない。ゼルツは目を半開きにして答える。
「急になんじゃ」
「いいから教えてくださいよ」
期待のこもった目から、答えるまで逃がさないという意志を感じた。いろんな意味で厄介な男だ。
「林檎じゃ、林檎」
「林檎? いいですね! 実は地域ごとの食材を使ってオリジナルのお茶をつくってみたかったんですよね! 林檎だったら皮を使ってハーブティーにしてもいいし、身を丸ごと蜂蜜に漬け込んでもいいし。どんなお茶にしようかなぁ」
魔物討伐の第一線にいた青年が、なんとまあ呑気な顔をして茶をしばいていることやら。
挙句の果てに「ねえ、ゼルツさん。信徒のみなさまにオリジナルのお茶を提供すれば、献金が増えると思いませんか?」といい笑顔で言ってのけた。
ゼルツは憑き物が取れたように「うはははは!」と笑った。
自分もかつては青臭かった。理想を掲げて剣一本で魔物に立ち向かい、正義をかざして国中を駆け巡った。
だけど衰えにより全盛期のように剣を振るうことができなくなった。夢の中に出てくるのは、いままで自分が殺した人間や魔物の姿。
いまでも必要な殺しだったと思っている。その上で聖職者になったのは、半分は彼らと向き合うためで、半分は自分のような無鉄砲な若者を支えるためだった。
だけど己は不器用で無骨だから、上手くいかないときのほうが多くて。救いたい若者も救えずに、朽ちていく教会と己を重ねて、つい青臭いロズウェルをからかってしまった。
なにも持たない若者に金をせびるなんて聖職者にあるまじきこと。
でも賭けてみたくなった。
「好きにせい。ちゃんと美味いものをつくるんじゃぞ、ロズウェル」
だってこの青年もゼルツを利用する気なのだから。お互いさまだろう。