第7話 『ロズウェル・アークトゥルスとは』
キルクス王国は山と海に囲まれた自然豊かな国で、古からその土地で発祥した魔法の文献が多く残っており、その卓越した魔法技術によって発展してきた。
東洋の国から見ればその豊富な資材に溢れていることから『桃源郷』と呼び名が高かったが、一方で『鬼琉苦巣』と記された文献もあった。
迷宮だけではなく、地上にいる魔物の数がとにかく多いのだ。
都市や街の周囲に防護魔法の結界を張らないと、毎日のように魔物が中に侵入してくる。そのため、結界を張り切れない畑地帯にはいつも屈強な兵士を配置し、食料を荒す魔物を倒さなければならない。
そして魔物は、時に災害を引き起こす。時に大地を揺らし、時に津波を引き起こし、時に作物を荒らして飢饉で人々を苦しめる。
災害の兆候は、魔物の大量発生にある。
◇◆◇
「寒くなってきたのお」
ゼルツは腕組みをして肩を縮こまらせながら、朝早くから教会の裏にある畑に向かう。
(昔は土いじりが大嫌いじゃったが、いまは楽しくて仕方がない)
植物は手間暇をかければかけただけ応えてくれるが、人間相手にはなかなかそうはいかない。まあ、自分を含めての話だが。
最近は体が言うことを聞いてくれなくなった。たまに木剣で素振りをしているが、戦える相手がいないため体がなまって仕方がない。
(食べ盛りが一人増えてしまったからのお。水くれが終わったら二人分の朝食をつくらなければならん)
もしロズウェルが寝坊をしたら叩き起こしてやろうと息巻いていると、
「むっ?」
ゼルツは畑の前に立ち、太眉を山なりにして額にしわを刻む。
畑に植えられた薬草の葉が、雫でキラキラと光輝いていた。
昨晩は晴れていた。となると誰かが水くれをしてくれたことになる。しかも虫に食われかけていた葉が間引かれていた。
(犯人は一人しかいないんじゃが)
脳裏に浮かんだのは銀髪の青年だった。
彼はすぐに自分の考えにふけってしまい、人の話を聞いているか怪しい反応ばかり見せるため、その表情はぽけーと間抜け面をしていた。まるでホヤの赤ちゃんだ。
「……しかも厨房の煙突から煙が出とる」
ゼルツは頭をガシガシ掻いたあと、大股で厨房を目指す。案の定、奴がいた。
「ゼルツさん、おはようございます!」
ロズウェルが鼻歌を歌いながら、鍋をかき混ぜていた。そしてまな板の上にある葉っぱを素早い包丁さばきで刻んで、鍋に流し込む。
「お前さん、人の厨房を勝手に使うんじゃない!」
「すみません。でもこういうのって下っ端がやるものでしょう?」
「……」
せっかく料理を作ってくれた手前、叱ることはできない。ごほん、と咳払いをしてから問う。
「お前さん、料理ができたのか?」
「いいえ? でも薬草学の応用みたいなものだと思って。いつも厨房のテーブルで食事をしていますよね? どうぞ座ってください。はい、豆と人参のスープです」
ドンッとテーブルにスープが入ったお皿が置かれたが、よくわからない葉っぱが浮かんでいた。
(この葉っぱ……教会の外壁に生えていた草に似ておるな。く、食えるのか?)
魔物による飢饉を経験したことがあるため、食料を無駄にすることはしたくない。香りのいいスープの湯気が鼻腔をくすぐり、おのずと席に座ってしまった。
ゼルツはスプーンを握り締めて、恐る恐るスープを口に運ぶ。
「美味い」
こりこりとする草の歯ごたえがよく、いつもより体がぽかぽかと温まる。
無言のまま舌つづみを打っていると、ロズウェルはさらにチーズが練り込まれたパンを輪切りにして、テーブルに並べた。
「ちょっと待て。これはうちにはなかったぞ。買ったのか?」
「いいえ? 街のことを知るために早朝に散歩をしていたら、パン屋のおかみさんと出会いまして。ご厚意でいただきました!」
つまりゼルツが起床したときには、すでにロズウェルは街歩きを終えて、畑の水くれと朝餉の準備をしていたのか。
(……このパンは『いちじく亭』のものじゃな)
『いちじく亭』のおかみさんは、ゼルツよりも守銭奴で、パンの売り上げには人一倍厳しかった。だが、認めた相手には真心を尽くす一面もあった。
「ご厚意とはなんじゃ」
鋭い声で問うと、ロズウェルは「僕はまだ一文無しですからね。知恵と交換しました」と答える。
「知恵?」
「ええ。手荒れに悩まれていたので、ハンドクリームの作り方と、ついでにハーブを使ったパンの提案も」
そういってロズウェルは片目を閉じた。この場に年頃の女性がいたら黄色い声が上がるかもしれないが。残念、この場にいるのは干からびたじじいだ。
(お前は主婦か。しかもなんでハーブを使ったパンを提案したのじゃ。こやつの頭の中は茶畑なのか?)
悪態をつきながらパンをスープに浸すとチーズがほどよく溶けだして……悔しいが美味しい。もぐもぐと咀嚼をすると、ロズウェルは「熱々のお茶もどうぞ!」と湯気が立つティーカップも置いた。
今度は葉っぱが使われた飲み物が現れた。ゼルツはため息をつくと、「いいからお前さんも席に座って食え」と目の前の席を促す。
「それで、このお茶にはなにが入っているのじゃ」
「薬草をちぎって水出ししました。あとは蜂蜜を少々。ゼルツさん、すみません。水やりの際に数枚いただきました」
「お前さんのことじゃ、どうせ間引いたやつじゃろう? 別にかまわないが……」
ゼルツは横目でパンを上品にちぎって食べるロズウェルを見ながら、お茶に口を付けた。
(苦みがあるが、まずくはないな)
薬草の苦さと蜂蜜の甘さが癖になる。二口目、三口目と飲み込む度に、味がすっと口に馴染んでいく。
まるで薬膳茶だ。なんだか力がみなぎって、疲れがほどけていく感じがする。
(そういえば、前にもこれを飲んだことがある気が……)
おぼろげだった記憶が、急に鮮明になって脳裏に浮かびかがる。
(そうじゃ、五年前のことじゃ)