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第5話 『絶対に休んだほうがいいから!』

 ロズウェルは心地よいまどろみに身をゆだねていたが、ふと朝焼けの中でも輝く女神を思い出し、ハッとして目を開ける。


(……彼女はどこだ⁉)


 勢いよく起き上がってから、辺りを見回す。


 外ではなく、奥行きのある天井と鮮やかなステンドグラスがある建物の中だった。


「教会、なのか?」


 疑問形になってしまったのは、寝ていたマットレスが乾パンのように固いのと、床や壁がひび割れているからだ。


 しかも六台のベッドが一部屋に窮屈に置かれている。


(廃墟……ではないな)


 最低限の清潔感はあるようで、ベッドのシーツに汚れはないが、数日前までお坊ちゃまだったロズウェルにとって、このオンボロな空間は見慣れない光景だった。


(シャツとズボンが真新しいものになっている)


 身に付けていた衣服は近くのテーブルの上に畳まれて置かれていた。ボロボロで着ることはできないが、捨てられていないのは銀製のボタンがついているからだろう。


(売ればお金になるかな)


 そう思いつつ北側の壁にある、癒しの神をかたどったステンドグラスを見つめる。青、緑、黄色の光の入り方を見るかぎり、正午を過ぎた頃だろうか。


「ラサエスの教会にしては狭くてオンボロだが、悪くはないな」


「悪かったのぉ。狭くてオンボロの教会で」


 不機嫌さがあらわになった低い声が聞こえてきて、ロズウェルは肩を揺らして驚く。


 この部屋の唯一の出入口から現れたのは、純白のローブに青紫のストラを身に付けた老人だった。彼は口元に立派なひげを蓄えていたが、禿頭には産毛ひとつない。


(眼光が鋭い人だな)


 顔に刻まれた深いシワを見れば、齢は六十歳を超えているだろうが、ローブ越しでもわかる筋肉の張りが衰えを知らずに見える。


 まるで戦士が聖職者の真似をしているようだ。


 ロズウェルは改めて姿勢を正すと、胸元に片手を添えて頭を下げる。


「保護していただき感謝しております。私はロズウェルと申します。あなた様の名前をうかがってもよろしいでしょうか?」


「ほお、いっちょ前に挨拶ができるとは。いい金づる、ごほん、礼儀正しい青年でよかったわ。お前さんは丸一日眠っていたんじゃよ」


 いま金づるって言ったよな、とロズウェルは眉間にしわを深めるが、老人は何事もなかったかのように言葉を続ける。


「わしの名前はゼルツ。バルロ教会の司教を務めておる」


「……バルロ?」

 ロズウェルは訝し気に呟いてから、思考を巡らせる。


 バルロとは、東の都市ラサエス寄りにある小さな街の名前だった。


 二本の豊かな川が周囲に流れており、守りに特化した地形であることから、過去の戦争では王族の避難先として使われていた要所だった。


 ゼルツは「よっこいせ」とローブを両手で持ち上げてから、ロズウェルの手前にあるベッドに腰掛けた。


「まったく。トリカブトを食して教会に運ばれてくる馬鹿がいたとはな。それに加え厄介な傷を抱えている。お前さん、何者じゃ?」


「……あはは」


 ロズウェルが微笑んで誤魔化すと、ゼルツはため息をついた。そのあと、折りたたまれた紙を差し出す。


「ほれ、彼女から手紙を預かっておるぞ」


「彼女? ……もしかして金髪に灰紫色の瞳を持つ少女のことですか⁉」


 思わず身を乗り出すと、ゼルツは意味ありげに口角を上げる。


 ロズウェルは恐る恐る手を伸ばして、無骨な指に収まる折りたたまれた紙を受け取った。


(僕に手紙を……⁉)

 胸が高鳴って仕方がない。ごくりと息を呑んでから、紙を開いていく。



『調子はどうですか? あなたには静養が必要と判断したため、バルロ教会に運びました。司教であるゼルツさんは強面ですが、優しい方です。まずはバルロで心を休めてから、ラサエスを目指してください。

                                 ユーリ』



 ロズウェルは最後に書かれていた、彼女の名前を指先でなぞる。宝物に触れるように、何度も何度も。


「……ユーリさん」


 少し丸みを帯びた字が可憐な彼女らしいが、あることに気づく。


(心を休めて、とはどういうことだ?)


 心を病むことなどあっただろうか、と思い返して、ロズウェルは顔を青ざめさせる。


 長年の夢を叶えるために屋敷から意気揚々として出たはずが、お茶以外の道具をなにも持たず一文無しで街道に入り、魔物に襲われ自爆しようとし、お茶代わりに毒を食していた。


 客観的に見れば、奇行ばかりのヤバイ奴だ。


(最悪だ。あの子にまで奇公子きこうしと呼ばれてしまう)


 頭を抱えてうなだれると、頭上から「うははは」と笑い声が聞こえてきた。


 むっとして顔を上げると、ゼルツが「憐れな子羊が増えてしまったようじゃのぉ」と片手で口元を押さえていた。


「ユーリはバルロの若い男の憧れの的じゃ。淡い恋心を諦めるならいまのうちだぞ」


「えっ」


 恋心という言葉に面喰う。


 彼女を想うたびに胸が甘く痺れるのは確かだ。でも、恋心という感情だけでは言いあらわせないほどの、もっと強い感情が眠っている気がした。


「いや、諦めるって言われましても……そもそも彼女のことをなにも知らないから、まだ自分でもどうしていいのかわかりません」


 最後のほうはもごもごと言葉がよどんでしまった。つい恥ずかしくなって両手で顔を覆う。


(ユーリさんと出会ったおかげで知らなかった感情を知ってしまったのかもしれない)


 顔が熱くて仕方がない。そのままうなだれると「うははは! なかなか純情じゃないか!」というゼルツの笑い声が聞こえてきて、ロズウェルは「ぐぬぬ」と呻いてから、ラピスラズリの雫型の耳飾りを揺らしながら身を乗り出す。


「あの! 話は変わりますが、オルヌスという救助隊の本拠地はバルロですか!」


 ゼルツはにやけた表情は崩さないものの、両腕を組んで答える。


「ああ、そうじゃぞ。人助けの精鋭が揃っている救助部隊だ」


「人助けの精鋭……」


 すでに戦いに身を置く立場ではないとわかっていてもなお、興味がひかれてしまうのは、自分の中でまだ弱体化したことに折り合いがついていないからか。


 ふと、ゼルツがロズウェルの頭に触れた。


「せっかく助けられた命じゃ。せいぜい頑張って生きてみろ。食事を用意するからそこでまっとれ、色ボケ小僧」


「……そんなに色ボケていないです! まだ!」


「うはははは!」


 教会にゼルツの笑い声が響き渡る。それは外にまで響き、人々は数年ぶりに司教の明るい声を聞いたと後に語る。


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