第47話 『お茶と魔剣と女神のキス』
ロズウェルの視界がかすみ、真っ黒に染まる。
いままでも命の危機はあった。その度に自問自答してきた。
どうせ終わるなら、華々しい最期を飾ろうと。
でも、いまはそうは思わない。
ここで終わりたくない。まだ生きたい。やり残したことはたくさんあるんだ。
(ユーリに想いを告げていない。もっとたくさんの人の手助けになりたい。それに……老後は世界中のお茶巡りをするんだよ‼ できればユーリと一緒に‼)
ぐっと拳を握り締める。どんなに強い気持ちを込めても、行動しなければなにも変わらない。変えられない。
ロズウェルは思いきり歯を噛みしめ、魔物の指をちぎって吐き出した。それから頭突きを食らわせ、続けて胸元に掌底打ちして距離を取ると、魔剣を構えた。
魔物は体をよろめかせたが、指がすぐに元通りになり、ロズウェルに向けて杖をかざす。その瞬間、靄による斬撃が降り注ぐ。
(魔力量はちょうど《二十》。いまここで魔法を使うわけにはいかない)
斬撃をひとつひとつ剣で切り裂いていく。斬撃の動きがわかる、体が思うように動いて、剣を振るうことができる。
すべてを失ってから築いてきた努力が実を結んでいる。
生き残るために、いまは耐えればいい。
耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて。布石は打っている。あとは耐えて待つだけだ。
そうすれば、彼らがやってくる。
ほら。
「俺たちの仲間になにしてくれとんじゃああぁああ‼」
魔物が何者かに真横から飛び蹴りされて吹っ飛んだ。
華麗に着地を決めたのはアレスだった。その隣には剣を構えたイーディスと、弓を構えたナディムがいる。
「再戦じゃボケェ‼ 覚悟しろや‼」
アレスがぶちぎれて中指を立てる。ロズウェルはそれを見て声を上げて笑う。
「あはは! 来てくれるって信じていたよ!」
「すまない、遅くなったな」
イーディスが丁寧な口調で告げると、ナディムは起き上がろうとする魔物に向けて矢を放つ。
矢というものには魔除けの力がこもっていて、魔物を一発で仕留める効果はないものの、魔剣のように相手の動きを鈍くする力があった。
ナディムはとある界隈ではデバフ職人と呼ばれるほど、相手の能力を著しく低下させる攻撃を得意としていた。
「毒のお返しです。お前も毒に苦しむがいい」
普段は温厚な彼からは想像できないほどの冷ややかな声だった。すると魔物が地面に転がってのたうちまわる。矢になにを仕込んだのだろうか。
ロズウェルは戦慄しつつ、イーディスに話しかける。
「救助隊は?」
「いま二層目で交戦中だ。私たちだけが先に来たが、もうすぐ来る。私はアルティリエとそちらのお嬢さんの治療に当たるよ」
「すまない。ありがとう」
ロズウェルがイーディスの後ろ姿を見送ると、アレスがロズウェルの首に腕を回してきた。
「よくもさっきは助けやがって!」
「いでででで‼ いまのでチャラだろう!」
「それは俺が決めることだっつーの!」
しばらくして腕の力が緩む。
「で、どうすれば勝てるんだ?」
「心臓を一突きすれば勝てるよ」
「なるほどなるほど」
アレスは鼻歌混じりに笑っているが、頬には砂埃が混じった血がついている。急いでここまで駆けつけてくれたのだろう。
ロズウェルは目を細めて口角を上げると、ぐいっと誰かに右腕を掴まれる。
視線の端に金糸の髪が見えて目を見開くと、ユーリが上目遣いをしていた。
「ちょっと近くないですか? 私の相棒なんですけど」
するとアレスは不機嫌そうに顔をしかめる。
「はあ? 別にいいだろう。俺たち友だちなんだから」
そういって左腕を鷲掴みされた。意外と痛い。
「お二人とも、こんなときに張り合わないでください。ほら早くわたくしのお兄さまから手を放してくださいな」
今度はアルティリエがやってきて、ロズウェルの背面から抱き着いた。ユーリとアレスは降参を認めるように、腕から手を放す。
ロズウェルはそれをきょとんと見つめてから、ユーリとアルティリエに声をかける。
「まだ戦えるな?」
「ええもちろん」
「アルティリエは?」
「支援ならお任せください」
「よし、決着をつけよう」
ロズウェルはこの場にいる全員に声をかける。
「アルティリエとナディムは後方支援だ。ユーリ、アレス、イーディスは少しでも多く靄を減らしてくれ‼ あいつは僕がケリをつける! そのためにも呪文を詠唱する時間を稼いでくれないか」
一拍置いて、仲間たちが「承知した‼」と声を上げる。
(そうだ、一杯のお茶を楽しむ時間があれば勝てる)
かつて宮廷魔導士候補と呼ばれた男の姿を象った魔物に向けて、仲間たちが駆けていく後ろ姿を見送りながら、ロズウェルは思いを馳せる。
(僕が生み出した《氷晶の庭園》は、ただただアークトゥルス家の中庭の雰囲気が好きだから思いついた魔法だと思っていたけど、本当は口下手な自分を変えたくて生み出した魔法だったのかもしれないな)
それをわかっていない偽物に、これ以上魔法を穢されたくはない。
夜明け前の空のような濃紺の瞳に、魔物の姿が映し出される。
ユーリ、アレス、イーディスの剣技によって、靄が削り取られていく。体を変化させて対応に追われるが、さらにアルティリエとナディムの長距離攻撃によって追い詰められていく。
だが魔物はすべてを拒絶するように、靄を鋭い針に変えて体を爆発させるように周囲に撒き散らした。
そのとき、目の前に光輝く大きな盾が現れ、攻撃を弾いた。いまの面子に強力な防護魔法を使える者はいない。となると……。
視線だけで背後を確認すれば、そこには魔導書を構えたレイノルドがいた。
ロズウェルは拳を彼に向けて笑顔で頷きかけてから、冷淡な顔つきを浮かべて魔剣を強く握りしめる。
(――え?)
その場でぴたりと動きを止め、魔剣を凝視する。
「魔剣からの魔力供給が切れた……?」
手のひらから魔剣に魔力を巡らせようとしても、油が水をはじくように上手くいかない。焦りによって呼吸が荒くなる。
(なんで⁉ なんでいまなんだよ‼)
ハッとして魔物を見つめると、仲間たちが必死に抑えてくれていたが、ロズウェルの異変に気付いたのか、紅茶に注ぎこまれたミルクのように不安が広がっていく。
「ロズウェル‼」
ユーリが肩先までの金糸の髪を揺らしながら駆けてくる。
剣を片手に持ちながら腕を広げ、あろうことか抱きついてきた。
そして踵を持ちあげて、背伸びをする。
ふに、と唇になにかが当たる。
いつぞやかの柔らかくて細い指ではない。ユーリのあどけない顔が視界いっぱいに映る。
(いま、なにが起きたんだ)
何度か瞬きをしていると、ユーリは工芸茶の一輪華のように微笑む。
「安心して、もう大丈夫だから」
「え、ええ?」
「前を向いて、魔剣を強く握って」
迷っている時間はない。言われた通りにすると、魔剣からの魔力供給ができるようになっていた。
「ロズウェル――勝って」
そういってユーリに背中を押される。その瞬間、嘘みたいに体の力みが取れた。
(ああ、そうか。過去の自分と向き合う覚悟を決めていたとしても、やっぱり怖かったんだ)
魔導士として圧倒的な力を持っていることに誇りを持っていた。でも人とのかかわりを避け、自分の好きなものでしか会話ができない惨めな部分もあった。
過去と決別するだけでは駄目だ。過去の自分も肯定して、苦しみから前進するために向き合わなければならない。
ロズウェルは魔物を見据えると、その場で魔剣を地面に突き立てた。
《香る庭園に想いを寄せて、偽りの息吹を咲かせよう》
ふわり、と風が吹いたと思いきや、息が白くなるほどの冷気が周囲に帯びた。
《氷雨の種が大地に根づき、氷の月で芽を育む、綿氷の模様を葉に描き、薄氷の大輪が咲き誇る》
地中から無数の氷の粒が生み出され、模様を描くにように地面を這うと、地面が凍っていく。
同時に仲間たちがロズウェルの攻撃範囲から逃れるように後退していく。すかさず魔物が靄を広げて追いかけようとするが、圧倒的な冷気によって靄が凍りつく。
《ここは澄み渡る氷の箱庭、されど荊が蠢く剣樹の檻――お前はもう踏み入った》
ロズウェルは犬歯を見せて笑う。瞳孔が、洞窟を照らしている光に反射して真っ赤に染まった。
《氷晶の庭園》
次の瞬間、鋭い氷が刃物のごとく噴出して魔物を貫く。魔物は跳躍して天上に這いつくばるが、天上も攻撃範囲内だ。天井からも氷の刃が吹き出し、魔物は地面に落ちる。
そして地面から再び氷の刃が襲い掛かる。
(まだ倒れないのか。さては心臓の位置からコアをずらしているのか?)
ロズウェルは魔剣を地面から引き抜くと、一歩、また一歩と踏み出した。
目の前で、魔導士としての自分が切り刻まれ、崩れていく。
(姿かたちは無くなろうと、お前のことは忘れない)
ロズウェルはある一点を見定めて魔剣を構えると、地面を蹴って魔剣を振りかぶった。
そして、コアを斬る。
(僕はすべてを抱えて生きて行く。大切な人たちと一緒に‼)
魔物の能面にロズウェルの表情が映し出される。なぜだか笑っている気がした。
そして魔物は今度こそ、姿形を崩壊させて消えた。
しばらくして、ロズウェルは両手を上げて声を振り絞る。
「うおおおおおおおおお‼ 勝ったああああああああ‼」
それに呼応するように、歓喜の声が迷宮に包まれる。ロズウェルはアレス、イーディス、ナディムと肩を組んで飛び跳ねてから、アルティリエを抱きしめる。
勝利の喜びで頭の中はからっぽだ。なりふり構わずユーリに駆け寄る。
「ユーリ!」
「ロズウェル!」
両手をからめてその場で飛び跳ね、抱き合った。
それから勢いに任せてレイノルドに抱きつこうとするが、彼は「やめろやめろ‼」と肩を必死に掴んで拒否をして、やがてロズウェルを二度見する。
「ロズウェルお前、なんでそんなに目が血走っているんだ……まさか、毒症状か⁉」
「……え?」
息を切らしながら首を傾げると、鼻からなにか出た。手で拭ってからぎょっとする。鼻血だった。
「はあ、はあ、あれ? なんか急に胸が、苦しいんだけど」
ロズウェルは幼少期からいろんな葉っぱを口に含んで周囲の大人たちを困らせてきたため、毒耐性が身についていた。
だからこそ、一人だけ毒を治す治癒魔法を受けずにいた。その反動がいまになってあらわれたのだ。
「口の中が、気持ち悪い。お茶……いますぐ僕にお茶をくれ。葉っぱでもいいから……」
ロズウェルはポシェットをまさぐるが手が震えて上手く茶葉が入った瓶が取れない。「どこ……どこ……」とうなり始めると、ユーリが呆れ声を出す。
「レイさん、早く治癒魔法をかけてあげて」
「あ、ああ」
いやそんなことよりもお茶ぁ、と言おうとして、ロズウェルの意識は途切れた。