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第44話 『ユーリさん、本当にお兄さまでいいのですか?』


 ロズウェルはいそいそと水出ししたお茶を用意し、二人に配る。アルティリエは薬膳茶で喉を潤わせたあと、弱々しい笑みを浮かべる。


「まさかお兄さまと敵対する日が来るとは思いませんでした」


「僕だって自分自身と向き合う日が来るとは思ってもいなかったさ」


 だけど、とロズウェルは頭上で鈍く光る水晶を見つめる。


(自分自身と戦える機会なんて一生に一度もない。それがいま目の前に迫っている)


 全身が高揚感と絶望感で包まれ、思わず身震いしてしまう。いままでも何度か死線を経験しているが、これほど厄介で稀有な死線はない。


「アルティリエ、お前ならあいつをどう攻略する?」


 ロズウェルの濃紺の瞳と、アクアマリンを思わせる瞳が交差する。


「まずは靄を本体から削り取ります。全身を覆っている靄は、おそらくお兄さまの魔力量をあらわしています」


「なるほど」


 もしかしたら魔物は人間のマナを可視化できるのかもしれない。それなら靄という異形の姿に納得がいくと思っていると、アルティリエが言葉を続ける。


「そして靄による攻撃は、風魔法の斬撃の真似と《氷晶の庭園》の真似の二種類です」


「風魔法はともかく、《氷晶の庭園》は見せたことがないんだが」


 持続時間と攻撃力は本家とは似ているようで似ていないが、自分だけの魔法をああいう中途半端な形で再現されるのは正直むかつく。


 ロズウェルが苦々しい顔をしていると、ユーリが恐る恐る口を開く。


「もしかしたら、ロズウェルの血を取り込んだことで使えるようになったのかも」


「ユーリさんの言う通りかもしれません。あの魔物はどんどんお兄さまの容姿に近づいていっていますから」


 もし魔物に丸呑みされたらなにが起きるのだろうか。あんなものを世に放つわけにはいかない。


「アルティリエ、魔物の弱点であるコアの位置はやはり心臓か?」


「ええ。別の魔法を見せて真似されると困るため、氷と風魔法に絞って攻撃を与えたところ、心臓を守っている節がありました。剣で確実に一突きするのが得策かと。そこはお二人に任せます」


「わかった」


「任せて」


 ロズウェルとユーリが力強く頷くと、アルティリエは少しだけ肩の力を抜く。


「お兄さまのもとの魔力量から考えれば、先ほどのアレスさまたちとの戦闘で消耗させたので、《氷晶の庭園》が一回、風魔法の斬撃が三回ほど残っていると思われます。ただ」


「あの靄は魔力を消費するとはわけが違うようね」


 ユーリが答えると、アルティリエはぱっと目を輝かす。


「そうなんです! あの靄は魔法を再現しているだけなので、魔力量は関係ない。もしかしたら《氷晶の庭園》が二回、三回と打ち込まれるかもしれません」


「だから黒い靄を体から切り離していけばいいのね!」


「さすがユーリさん! 話が早い‼」


「ユーリでいいわ。堅苦しいのは苦手なの」


「ではわたくしもアルティリエで……」


そう言いかけたとき、アルティリエは急に口元を片手で押さえて「ごほっごほ!」と咳き込んだ。


 ロズウェルは咄嗟にアルティリエの背中をさする。


「靄による毒のせいか」


「私が治療するわ」


「その必要はありません。お兄さまのお茶のおかげで症状が少し軽減されましたから」


 アルティリエはユーリの手を掴んでやんわり止めた。


 確かにこれ以上、魔力を消費するわけにはいかない。だが、いまのままでは戦えない。


「せめて僕にもう少し魔力量があれば、三対一でやり合えたのかもしれないのに……‼」


 ロズウェルが歯ぎしりをすると、ユーリがぽんっと手を叩く。


「それ、ウィオラケムの魔剣があれば解決できるかも。魔剣には魔力をため込む力があるから」


 するとアルティリエが困惑した顔で小首を傾げる。


「あの、ユーリはなぜウィオラケムの魔剣のことを知っているのですか……?」


「あー……まあロズウェルの妹さんだからいっか! アルティリエ、あのね」


 ユーリは彼女に自分の正体を簡潔に話す。ロズウェルは傍らでハラハラとしながら様子をうかがう。


「私はジェイドと敵対する立場にある。だけどいまだけは協力してくれないかしら」


「僕からも頼む」


 二人で勢いよく頭を下げると、アルティリエはため息をついたあと「わかりました」と告げる。


「いまは全員で生き残ることだけを考えましょう」


 アルティリエはユーリに向けて、手を指し出す。ユーリは花がほころぶような笑みを浮かべてから両手でアルティリエの手を包み込む。


 ロズウェルはそれを涙ぐましく見守っていると、ユーリに名前を呼ばれる。


「ロズウェル、ウィオラケムの魔剣はあなたに託すわ」


「え?」


 言葉の意味が理解できずに身を硬直させてから、我に返って片手を横に振る。


「いやいやいや、受け取れない‼」


「この場で剣を扱えるのは私とロズウェルだけ。それに……ウィオラケムの魔剣を私自身が使うことはできないの」


「どういうことだ?」


 ロズウェルが問うと、ユーリは目を泳がせながら告げる。


「えーと……私が信頼する者に託して初めて真価を発揮するの」


 その言い方は本当に正しい情報なのか。怪しい。


「ユーリ?」


「お願い信じて!」


 彼女は顔を真っ赤にさせて声を振り絞る。そこまで言われれば、彼女の言葉を信じるしかない。


「本当に僕が使っていいんだな」


「ロズウェルじゃないと嫌なの」


「わかった。託された!」


 こうして、人間の魔物に対抗するために、まずは魔剣の回収をすることになった。




◇◆◇

「ウィオラケムの魔剣はやはり宝物庫にあるのか?」


 前回『ヒスイの迷宮』に訪れたときに、最深部で宝物庫らしき厳重な扉の破片を見つけていた。


 するとユーリが神妙な顔つきで口を開く。


「たぶん、そこではない。私の予想が正しければ――子ども部屋だと思う」


「子ども部屋って……先ほどのピンク色の壁紙の部屋?」


「ええ。あそこはおそらく私の部屋だわ。青空の天井をいつも見つめていた記憶がおぼろげに残っているから」


 周囲に注意しながら子ども部屋を訪れると、各自で手分けして隠し扉がないか探す。


(ついに魔剣を使うときが来たのか)


 ロズウェルはふと、腰のベルトに固定している質素な剣の鞘を撫でる。


 こいつのおかげでここまでくることができた。心の中で感謝を告げていると、アルティリエが近づいてきた。


「お兄さま、魔剣を託される意味を本当にわかっています?」


「僕を信頼しているからだろう?」


「…………はあ」


 彼女は頭が痛いとばかりに額に手を添える。


「二人とも! こっちに来て!」


 そのときユーリに呼ばれた。手招きをされて駆けつけると、ベッド裏に仕掛けがあり、もうひとつの部屋が現れた。


 ロズウェルたちはその部屋に踏み入れ、息を呑む。


「フランベルジュだ」


 炎を模倣した、波打つ刃が特徴的な両手剣が、台座に上に置かれていた。刀身は真っ黒に染まっていて、紫色の鍔がよく映える。


(カッコいい……‼)


 非常時でなければ飛び跳ねながら観察したいところだが、同時にフランベルジュを使いこなせるかという心配になって胸がドキドキとしてきた。


「これが……お父さまとお母さまが私に残してくれた剣」


 ユーリは台座の前に膝をつくと、涙ぐみながらフランベルジュを撫でる。


 しばらくして、意を決したように立ち上がる。


「ロズウェル、私の隣に立ってロズウェルの剣を引き抜いて」


「? わかった」


 言われた通りに肩を並べて質素な剣を引き抜くと、彼女は左手をウィオラケムの魔剣にかざし、右手を質素な剣にかざして呪文を唱える。


《ユーリ・ウィオラケム・ネフリティスの名において命ずる。ウィオラケムの魔剣よ、眠りから目覚めよ。そしてかの者の力となり、再び歴史に名を刻め》


 すると、フランベルジュにヒビが入る。


「……え? ええ⁉」


 ロズウェルは勢いよく飛び出して片手でフランベルジュを支えようとする。しかし触れた瞬間、ボロッと砂のように崩れた。


「魔剣が崩れた……魔剣が崩れた⁉」


 片手から砂がさらさらと流れ落ち、フランベルジュは跡形もなく消えてしまった。


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