第35話 『時よ止まれ、この光景を思い出にするにはまだ早い』
ロズウェルが緊張した面持ちでユーリをエスコートしながら大衆食堂に着くと、店の前にいた店員に二度見される。
「えっと……二人ともずいぶんと着飾っているけど、本当にこの店で合っているかい?」
店員の背後には広々としたホールがあり、たくさんのテーブルが横並びになっていて、バルロの住民たちが豊穣祭の最終日を祝して食事と酒を楽しんでいた。
「合っています」
ユーリが控えめに苦笑すると、店員はなにかを察したのか「ちょっと待ってて」と店内に入ったあと、慌てて戻って来た。
「二階の個室を使ってくれ」
階段は店の外にあるようだ。案内される最中で、店員はロズウェルに向けて「頑張れ!」と言わんばかりに親指を立ててきたが、その意図を察することができずに、ロズウェルはきょとんとしながら会釈した。
案内された席は街の灯りが一望でき、一階の騒がしさとは打って変わって静寂な空間だった。対面に座ると、テーブル中央の蝋燭の火が揺れる。
(すっごくお洒落な空間だな)
店員はメニューを手渡すとすぐに個室から出て行ってしまった。
慣れない場所にそわそわしながらメニューを見ていると、ユーリが申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんね、張り切った恰好で来ちゃって」
「えっ、なんで?」
ロズウェルはぎょっとして前のめりになる。
「だって、ロズウェルは名家の生まれでしょう? 絶対に着飾って来ると思ったから」
(あっ……どうしよう)
本当は稽古着で来ようと思っていました。実際は乙女心がわからないポンコツなんです。以後気を付けます――という自戒を込めて、最大限にカッコつける。
「そっか、僕のために着飾ってくれたのか」
喉のよくわからないところからキザな声が出た。なぜかユーリは狼狽える。
「あ、えっと」
「僕も同じだよ。君に見劣りしないように、こうして着飾って来たのさ」
なにをいけしゃあしゃあとのたまっているのだろうと自分で自分をぶん殴りたくなったが、いまはユーリを楽しませることを考える。
(たぶんここで僕も年頃の男だとわかってもらわないと、一生手のかかる男扱いをされてしまう)
必死に取り繕っていると、ユーリは頬を薔薇色に染めながら微笑んだ。
「私たち、相性がいいのね」
ふぁと再び体が吹っ飛んでしまいたくなるほどの衝撃に、ロズウェルは胸元を押さえる。
「そ、そうだね」
もっとこの甘酸っぱいときめきの余韻を感じていたいのに、ユーリが先ほどとは打って変わって「そうだ」と口を挟む。
「メニューは決まったかしら? 店員さんを呼ぶわね」
「あ、うん」
ロズウェルはなにも決まっていなかったため、店員がやってくると本日のおすすめである魚料理と木の実とチーズの盛り合わせを頼む。
「あとはエールをください! ロズウェルも飲むわよね?」
「うん」
店員が個室から出て行ったあと、ロズウェルは恐る恐る尋ねる。
「ユーリってお酒が飲めるんだね」
「子ども扱いしないでくれる? もう立派な十七歳よ」
キルクス王国は、成人として認められる十七歳からお酒も解禁される。だがエールの度数はそこそこ高い。
「シードルは好きじゃないの?」
さりげなくエールより度数の少ないお酒を示唆すると、ユーリは「シードルかぁ。リンゴジュースみたいで飲んだ気がしないの」と言ってのけた。
「そういうロズウェルはお酒なんて飲めるの?」
「めちゃめちゃ強いですけど」
大衆食堂の雰囲気に呑まれて、まだ酒を飲んでいないのについ喧嘩腰になってしまった。
着飾っているのに、いつもの自分たちに戻っていく。
しばらくしてテーブルには注文した食事とエールが入った小さな樽のジョッキが置かれた。
ユーリは咳ばらいをすると、フレスカそっくりの声色で告げる。
「それでは! 私たちの勝利を祝しまして~」
「かんぱーい‼」
互いにジョッキをぶつけたあと、口をつけてぷはっと一息つく。それから食事に手を付けていくが……。
「ちょっとロズウェル‼ もっとお肉とお魚を食べなさい! なんで木の実とチーズで晩酌をしているのよ!」
「美味しいんだって! ほら!」
木の実を指先でつまんで彼女の口元に持っていくと、ぱくっと食べる。
「ん、美味しい」
「だろう?」
「じゃあお肉も食べて。あーん」
「あー」
普段のロズウェルなら慌てふためいて自分で食べると言い張るところだが、今日はもう気にならない。
(ああ、楽しいなぁ)
酔いに身を任せていると、いつの間にか個室から出て、大衆食堂の一階のホールでワルツを踊っていた。
居合わせた人たちが手拍子や楽器を奏でてくれて、ロズウェルとユーリはさらに激しく踊る。
天井の光、窓ガラスに反射する光、テーブルの上に置かれた蝋燭の光が線になって閃く。周囲の人の顔も、景色もぐちゃぐちゃになって見えない。
だけどユーリの顔だけはハッキリとロズウェルの瞳に映る。
柔らかい肩までの金糸が舞い、灰紫色の瞳が宝石のようにキラキラと輝いている。
彼女から目が離せない。もう彼女しか見えない。
(ずっとこの時間が続けばいいのに)
だけど、終わりは必ずやってくる。
宵は深まり、大衆食堂から少しずつ人が減っていく。
「ユーリ、そろそろ帰ろうか」
手を差し出すと、彼女は何度か瞬きをしてから頷いた。
夜風に当たると、頭がすっきりとした。一方でユーリはまだふわふわとしているのか、低い塀の上に登ると、黒いヒールで器用に歩くが、見ていてハラハラする。
「危ないよ」
「じゃあ手ぇつないで」
「はいはい」
周囲にはすっかり人がいない。豊穣祭の最後はみんな家で家族と共に過ごす。
(去年は両親とアルティリエと一緒に過ごしたけど……)
ロズウェルはユーリの後ろ姿を見つめる。
前から思っていたが、おそらく彼女に家族はいない。フレスカとトバリが親代わりなのだろう。
なおさら早く家に送り届けないと、と思っていると、不意にユーリがぎゅっと手を握ってきた。
「ねえ、ロズウェル」
「なあに?」
顔を上げたところで、ロズウェルは目を見開く。
同じ高さに目線があった。
息をするのを忘れて彼女の灰紫色の瞳に見入っていると、彼女はみずみずしい唇に弧を描く。
「私たち、ちゃんと自己紹介していなかったわよね?」
「そう、かな?」
なぜいまそんなことを聞くのだろう。
(言われてみれば、ユーリの名前を知ったのは教会で彼女から手紙を貰ったときだけど)
いやでも基地で相棒だと告げられたときに自己紹介をしていたよな、と小首を傾げていると、ユーリは目を細める。
「私ね、相棒であるあなたに黙っていたことがあったの」
「え?」
もう彼女の表情に酔いはない。いつもの真剣な眼差しがロズウェルを貫く。
「私にはもうひとつ名前がある。それをあなたに知ってほしい」
握る手に力がこもる。いつの間にか両手を握られていたが、彼女から目を逸らすことができない。
「わかった。いいよ。教えて」
ロズウェルが頷きかけると、ユーリはいまにも泣きそうな顔で告げる。
「――私のもうひとつの名前は、ユーフェリア・ウィオラケム・ネフリティス。当時のネフリティス公爵家長女の娘なの」




