第33話 『心理状態が勝敗を決める』
(ずいぶんとひ弱になったな。ロズウェル・アークトゥルス)
レイノルドは丸眼鏡越しに、鋭い視線をロズウェルに向ける。
(己の分をわきまえていないから、自分の首を絞めるような展開になるのだ)
宮廷魔導士候補と名高かった男の慣れ果てに、ひどく落胆する。
ロズウェルはレイノルドの魔法攻撃を避けつつ、距離をつめて剣による攻撃を試みるが、それを許すほどレイノルドは甘くはない。
ユーリでさえ近づけなかったのだ。彼女よりも力量が劣るロズウェルがレイノルドに近づくのは不可能だ。
(なんだ。お前は俺程度にやられてしまうのか)
本当に? 本当にそうなのか?
お前は本当にここでやられてしまうのか?
(なにかやってくれるんだろう? なあ⁉)
期待を込めた眼差しを向けても、ロズウェルは歯を食いしばって魔法を避けるだけで手も足も出ない。
「さあ、さらに盛り上がっていこう‼」
フレスカの澄んだ声が広場に響き渡った。
残り一分以内で勝敗を決しろという合図が下された。
(時間切れだ。ロズウェル・アークトゥルス)
レイノルドはトバリに頷きかける。すると彼はユーリを腕力だけで観客席のほうへ吹っ飛ばしたあと、踵を返してロズウェルに襲い掛かった。
レイノルドとトバリの作戦は、ロズウェルから降参させること。
レイノルドはロズウェルに逃げ場を与えないよう、風魔法の斬撃で足止めする。
(俺が追っていた背中は、こんなものだったのか)
ロズウェル・アークトゥルスの名前は、魔導士にかかわりがある者なら誰もが知っている。誰にも寄せつけぬ強さを持っていて、仲間にも気を許さない孤高の存在と呼ばれた反面、魔導士界隈の唯一の良心とも呼ばれていた。
レイノルドはずっとロズウェル・アークトゥルスに憧れていた。人でなしが集まる魔導士界隈の中でも、自分を貫き通す彼のようにずっとなりたいと思っていた。
己は不器用で常に仏頂面しか浮かべることができないから、彼みたいに孤高の存在になれば気が晴れると思っていた。
だが現実はそう上手くはいかなくて。
自分のだけの魔法を生み出すことができなくて、才能の限界を知った。
ちょうどその頃、両親が流行り病になって弟たちを養わなければいけなくなり、何者にもなれない自分に落胆して魔導士になることを諦めた。
(そんなとき、フレスカさんとトバリさんが俺の力を必要としてくれた)
救助隊オルヌスに入隊して日々切磋琢磨することで、生まれて初めて憧れの存在から目を背け、自分の人生を歩んでもいいのかもしれないと思った。
だが、無情にもロズウェル・アークトゥルスが目の前に現れた。
しかも思い描いていた人物像とはかけ離れた姿で。
(あんなに腑抜けた男がロズウェル・アークトゥルスだとは認めたくはなかった)
自分が勝手に期待して勝手に裏切られたのはわかっている。だが彼に抱いていた憧れが脳裏に焼き付いて、消すことができない。
(クソッたれ‼ なんでお前が弱体化しなければならなかったんだ‼)
彼が救助隊オルヌスに入隊してからずっと様子を見てきた。
箒で空を飛んでいるとき、口鳥と戦っているとき。相変わらずセンスを見せる一方で、どこか苦しそうに魔法を使っている姿が歯がゆくてたまらなかった。
(なあ、ロズウェル・アークトゥルス。お前は俺なんかに負けて終わるのか? 違うよな。応えてくれよ‼)
ロズウェルはトバリの攻撃を避けるだけだ。彼の残りの魔力量で使える魔法はたかが知れている。
(嘘だろう、本当に俺に負けるのか?)
レイノルドは丸眼鏡越しに、目を据える。
(ならば、引導を渡してやる)
救助隊を辞めて魔法薬学者になったほうが、彼のためになる。だって彼は、本来ならこんなところで終わっていい人ではない。
せめて魔法に囲まれた環境にいればかつての強さを取り戻すことができるはず。そう信じているから蹴り飛ばしてでも送り出すために、レイノルドは魔導書を握る手に力を込める。
(これで終わりだ)
レイノルドが呪文を唱えようとしたとき、それよりも速く大量の火の玉がロズウェルに向けて打ち込まれる。
ユーリの魔法が飛んできたのだ。
彼女がノーコンだとは知っている。トバリの動きを抑制するために打ち込んだ魔法が外れてきたのか。
「――は?」
だが、火の玉はロズウェルを目がけて真っすぐ飛んでいく。
《聖なる息吹よ、火焔をまといて大地を燃やせ。聖炎燎原》
その呪文はロズウェルが使えるはずもない中級魔法だが、彼は平然として唱えた。
(唱えたところで発動するわけがない!)
だが、火の玉がひとつの塊となって業火のごとく空に噴出した。まるで一匹の大蛇のようにロズウェルを取り囲み、トバリを牽制する。
レイノルドは碧眼をこれでもかと見開いたあと、片手で口を覆う。
(いまのは……まさか、ユーリの魔法を上書きしたのか⁉)
ロズウェル・アークトゥルスは上級魔法以外、呪文を使わなくても魔法が使える。そんな彼が呪文を唱えたということは、ユーリの魔法を上書きして中級魔法を使った証になる。
(いやでもあいつに上書きという発想があるわけない。魔導士なら自分の魔力で魔法を生み出すことに美徳を抱く、高慢な人種なのだから)
そう思いかけたところで、レイノルドは息を呑む。
(そんな。お前にはもう魔導士ではないと言うのか)
ロズウェルを取り囲んでいた炎の大蛇が、レイノルドに襲いかかる。動揺して初級の水魔法の呪文しか浮かばず、とりあえず水魔法で壁を作るがジュワッと蒸発してしまう。
炎の大蛇は執拗にレイノルドを襲う。すさまじい熱に頬がひりつき、温かい空気が肺を充満する。
つい冷ややかな空気を求めて観客のほうに近付けば、大蛇は追って来るものの、熱は感じなくなった。観客への配慮という名の制御力に、レイノルドは感銘を受ける。
(こいつ……‼)
ロズウェル・アークトゥルスは魔法よりも剣で戦うことを選んだせいで、どこか弱くなっていたと思っていた。
いや実際に弱い部分が増えているのだが、魔法を使う際の命中力、制御力、センスはなにひとつとして失われていない。
現にレイノルドはトバリから引き離されて一人で大蛇の対応に当たっている。その隙に、ロズウェルとユーリは息が合った動きでトバリを狙う。
(――ああ、やはりこいつはロズウェル・アークトゥルスだ)
レイノルドはふっと口角をあげて微笑む。
《湖畔の水よ、月光の刃となって切り刻め! 水光刃月》
水魔法で自分の体よりも大きい三日月型の刃を作ると、炎の大蛇を切り刻む。大蛇は水蒸気となって飛び散った。
その瞬間、今日一番の割れんばかりの歓声が上がった。
レイノルドはハッとして観客を見回す。誰もが晴れ晴れとした顔をして応援していた。
(ああ、そうだ。武闘会はバルロの住民を鼓舞するための戦いだ)
ロズウェルが炎で大蛇を生み出したのは、みんなで魔物を倒してまた一年間無事に過ごすぞという、メッセージだ。
彼は観客への満足感まで考えて戦っている。レイノルドはそこまで考えていなかった自分を恥じた。
同時に身震いする。体の底から湧き上がるのは高揚感だ。
ああ、いまのあいつと向き合いたい! 勝ちたい!
(こっちを向け、ロズウェル!)
レイノルドが嬉々とした顔で、トバリと対峙するロズウェルに魔法を打ちこもうとしたとき、ゾクッと身を蝕むほどの悪寒を感じ、わずかに動きを止める。
――あ、と思った瞬間。
魔導書を持つ手の死角からユーリが剣を構えて懐に飛び込んで来た。
気配は一切感じなかった。
レイノルドがまだ新人だったときから、彼女は死角をついてくるのが上手いとわかっていたのに、どうして警戒心が薄れてしまっていたのか。
柔らかい金糸の前髪から覗く鋭い灰紫色の瞳を見て、レイノルドは悟る。
(そうか、俺たちがロズウェル狙いだったように、ユーリさんは俺狙いだったのか)
おそらく大まかな戦術はロズウェルが考えたのだろう。だが、レイノルドを討つ算段はユーリが決めたに違いない。
彼女は、レイノルドがロズウェルに強い執着心を持っていたことに気づいていた。だから基地内でダンスというふざけた特訓を見せつけていたのだ。
(憧れの人のあんなに腑抜けた姿を見てみろ! 落胆する気持ちと新しい一面が見られた歓喜で、脳が焼かれるに決まっているだろうが‼)
レイノルドは防護魔法で彼女の剣を防ごうとしたが、呪文が間に合わない。
ここまで近寄られたら斬られるしかない。
ユーリの剣が、レイノルドの首筋の手前でぴたりと止まった。
(やってくれたな、ユーリさん)
口角を上げると、彼女も笑みを返した。そしてレイノルドは潔く負けを認めて、膝を地面についた。




