第31話 『縁』
「さあ、いよいよ豊穣祭の開催だ!」
フレスカは基地の階段前の広間で声を張り上げると、ドシャ~ンと銅鑼を鳴らした。
「おおう!」
広間には二十人以上の隊員が集まっていて、誰もが片手を突き上げて歓声を上げる。
ロズウェルが後列のほうで「すごい、あれが銅鑼か。初めて見た」と死んだ魚のような目で呟くと、ユーリが苦笑する。
「フレスカさんは傭兵をやっていたおかげで、いろんなところに知り合いがいるのよ。きっと東洋の知り合いから贈られたものね」
「なるほど」
あくびを噛みしめながら頷くと、ユーリが顔を覗き込んでくる。
「ロズウェル、顔色が悪いわよ⁉ また毒でも食べたの?」
「違う違う。ちょっと調べ物をしていただけだから」
「無理しないでね、と言いたいところだけど……」
ユーリはゆっくりと首を動かして、フレスカの方を見つめる。隊長は清々しい表情で両手を広げた。
「祭りに浮かれたくなる気持ちはわかるが、諸君には大切な任務がある。こういうときに限って、人混みにまぎれて窃盗、売買などを行う不届きものが現れる。街の自衛団と協力して容赦なく捕まえていこう!」
フレスカがもう一度銅鑼を鳴らすと、隊員たちの「おう!」という野太い声が上がった。
「こら! そこの若者! 声が小さいよ!」
後列にいたロズウェルとユーリを指さすため、空気を読んで「おー」と拳を突き上げた。
「よし! みんな、巡回のルートは頭に入っているね! いってらっしゃい!」
フレスカの声に背中を押されて、隊員たちは散り散りに街を巡回する。ロズウェルとユーリは街の中央にある商店街を任されていた。
腰に剣を携えて街を歩きはじめると、いい匂いが鼻腔をくすぐる。大通りを挟むように軽食を扱う屋台が出ていた。
一口サイズの肉をこんがり焼いた串のお店や、塩だけでグリルされたトマトとジャガイモ、ズッキーニの上に、熱々のチーズをとろ~りかけていただくお店など、見るだけでお腹が空いてくる。
「うわっ、すご! 鮮魚を葉っぱにくるんで焼いた料理もある。レモンを絞って提供しているのか。美味しそう……」
口に出してから、心の声が駄々洩れていたことに気づいた。気まずそうに横を向くと、ユーリが母親のような慈愛の眼差しを浮かべていたため、ぎょっとする。
「なにか食べる?」
「あー、えっと……いいの?」
「今日は無礼講だから、隊長からの許可は出ているわ」
買ってあげようか、と言われたがそれは遠慮した。
一度彼女に泣き顔を見られてから、手のかかる弟扱いというのか、男として見られなくなった気がする。
(僕も男だとどこかでわかってもらわないとヤバイかもしれない)
内心で冷や汗をだらだらとかいていると、聞き慣れた声が聞こえる。
「あらロズウェル! こっちだよ!」
「おかみさん!」
ロズウェルを呼び止めたのは『いちじく亭』のおかみさんを筆頭とした婦人会のマダムたちだった。
「見回りかい? はい、これ食べて力をつけな」
ドーンッと差し出されたパンに、ロズウェルは目を輝かせる。硬めのパンの中央に、香草が練り込まれたソーセージが堂々と挟まれていた。
「いいんですか⁉」
「もちろんさ! 仕上げのトマトのソースは甘めと辛めがあるけど、二人はどっちにする?」
「僕は辛めでお願いします!」
「私は甘めで!」
ロズウェルとユーリは大きな口を開けて、パンにかぶりついた。
ソーセージのまろやかな肉汁と香草のさっぱり感が口いっぱいに広がり、ほのかに甘くて香ばしい麦のパンと相まって美味しい。
街中を警戒しつつ、もぐもぐと咀嚼をしていると、
「ロズウェル、ユーリ。ちょっと助けてくれ」
食べ終わった頃に、とある男性に呼ばれた。ロズウェルたちが駆け寄ると、一台の荷車が道の側溝にはまって立ち往生していた。
ロズウェルとユーリが浮遊魔法を使って荷車を持ちあげると、周囲から拍手が沸き起こる。さらにお礼に鹿の干し肉を貰った。
そのあとも少し歩けば声をかけられて、農作物や加工品を貰っていくが……。
(ありがたいけど持ちきれない)
ということで次に声かけてくれた人に渡していくが、逆にお礼の品を貰ってしまい、どんどん増えていく。
「あ、お二人とも。このあいだはありがとうございました!」
声をかけてくれたのは以前、川岸で救助活動を行った際の救助者である商会の面々だった。馬も元気そうである。
「今年の豊穣祭はバルロで過ごすことにしたんです。あの節は本当にありがとうございました」
深々と頭を下げられたので、ロズウェルとユーリは慌てて声をかける。
「顔を上げてください。そうだ、みなさんは長旅をされますよね? もしよければこれを貰ってくれますか?」
「私たちだけでは食べきれなくて」
ロズウェルとユーリが鹿の干し肉などの保存食を渡すと、商会の人からとっても喜ばれる。
「この干し肉、あぶって食べると美味しいんですよ! しかもほかにも保存食までいただきありがとうございます! ではお礼にこれをどうぞ」
商会の人が取り出したのは光沢感のある紫色の糸で編まれた手袋と靴下だった。
「断熱断冷布の手袋と靴下です。ぜひ使ってください!」
「え、そんなに貴重なものをいいんですか?」
ロズウェルは声を上げる。断熱断冷布で作られた手袋と靴下は迷宮探索には欠かせない必需品で、寒さも熱さもしのげることから、体力の消耗を防げる。
「すみません、ありがとうございます! とっても助かります!」
「いえいえ。ぜひ救助活動にお使いください!」
このあとも街を見回りながらエンドレス物々交換をしていき、本当に貰い過ぎたので孤児院と教会に寄付することにした。
孤児院に寄って子どもたちとシャボン玉で遊んでから教会に行こうとしたとき、ロズウェルは眉を寄せる。
「ん?」
人混みから外れたところに、一人の老人がベンチの上に座って呆けていた。髪は真っ白で短く、藍色の古めかしいローブを身に付けている。さらに手には樫でつくられた杖を持っていた。
(見たことがない人だな。よそから来たのかな?)
ロズウェルはユーリの肩先を指で触れる。
「ユーリ、ちょっとあの方に声をかけてくるね」
「そうね、お願い」
彼女の許可を受けてから老人に近付き、「どうかされましたか?」と声をかける。
「!」
老人は目を見開いたあと、困ったように無造作に伸びた白い眉を寄せる。
「バルロ教会に行きたいのですが、この人混みで道がわからなくなってしまって」
「偶然ですね、僕もバルロ教会に向かう途中だったんですよ。もしよければ一緒に行きませんか?」
「……いいのですか? ありがとうございます、ありがとうございます」
老人はロズウェルのほうが萎縮してしまうくらい何度も頭を下げた。
「お気になさらず。僕は救助隊オルヌスの隊員なので、頼ってください!」
屈託のない笑みを浮かべると、老人は「そうですか……救助隊の方でしたか」と目を和ませた。
ロズウェルはユーリと老人の三人で、他愛のない会話をしながらバルロ教会を目指す。
「へえ、今年の豊穣祭はご友人と過ごすためにわざわざバルロへお越しになられたんですね」
「ええ。十何年ぶりに街を訪れたら様子が変わっていて驚きましたよ」
するとユーリが「確かにそうかもしれないわね」と小声で呟きながら苦渋の顔を浮かべた。それを見て、ロズウェルは察する。
(たぶん、五年前の魔物の大量発生で多くの民家が倒壊したんだろうな)
そういった被害はロズウェルの故郷であるアルタレスでも起きていた。
(魔物の被害を減らす宣言をするためにも、明日の武闘会を立派に勤めないとな)
内心で気合を入れていると、教会が見えてきた。人だかりができていて、ゼルツと参列者たちが談笑している。
その傍らではブラックベリー兄弟が訪れる人々に薬膳茶を振舞っていた。
美味しいお茶の入れ方はロズウェルによる教育済みだ。遠目から見てもたくさんの方に喜んでもらっている。
(オスカーは……人に囲まれている?)
ブラックベリー兄弟の近くには聖職者の礼服をきっちりと着こなしたオスカーの姿もあった。彼はガラの悪い職人たちに深々と頭を下げていた。
職人たちの顔は険しいままだ。何人かが口を開いたが、どんな会話をしているのかここまでは聞こえない。でも、いい話ではないのは確かだ。
「……」
ロズウェルは眉をひそめ、唇を引き結ぶ。
「じゃあ、私は頂き物をゼルツさんに渡してくるわね!」
「あっ、ごめん、ありがとう」
ユーリの後ろ姿を見送ると、老人が控えめに声をかける。
「あの、ここまで送っていただいてありがとうございました」
「いえいえ。あ、そうだ。これをどうぞ」
ロズウェルは腰に巻いていたポシェットから、拳よりも一回り小さい丸い水晶を取り出す。水晶の中には灰色の煙が渦巻いていた。
「救助隊の狼煙です。帰り道に困った際はぜひこれを使ってください」
「いいのですか?」
「はい、これもなにかの縁ですから」
ロズウェルがにっこりと微笑めば、老人は目を伏せて頭を下げた。それからユーリと合流し、ロズウェルは老人に手を振って背中を向ける。
◇◆◇
老人はロズウェルたちの姿が見えなくなったあと、藍色の古めかしいローブを脱ぎ、裏返す。
するとほつれひとつない上品なローブに変わり、いつの間にか老人の背丈もすらっと伸びていた。さらに腰まで均等に結ばれた三つ編みが現れる。
その色は白髪ではなく、銀。男は無言のまま片手に収まる狼煙を見つめたあと、柳眉をつり上げてため息をつく。
「……相変わらず甘い男だ」