第30話 『誰もが月に魅せられて身を焦がす』
一部、欠損描写あり
ユーリはロズウェルの頭を撫でながら、心の中でごめんねと謝った。
(あの日、もっと私が駆けつけるのが早ければ、あなたは魔力器官を損傷することはなく、この場にもいなかったのにね)
ロズウェルが仲間たちと共に『ヒスイの迷宮』の最深部に到達したとき、実はユーリも居合わせていた。
あの迷宮は、ユーリにとって身内の墓場だ。
十五年前に、両親をあの場所で失った。幼い頃の出来事だから、記憶はほとんどないけれど。
いくらネフリティス公爵家の血が流れている王太子からの命令としても、配下である部外者が墓場に踏み入れて、中を荒そうとするのを黙ってみているのは嫌だった。
だから隊服を脱ぎ、気配すら遮断できる真っ黒な外套に身を包み、時折迷宮に訪れる者を監視していた。
(フレスカさんとトバリさんに心配をかけるのは心苦しいけど)
ユーリには一人で『ヒスイの迷宮』に出入りできる権限がある。それを活用しない手立てはない。
(おそらく王太子は魔剣を探している)
ネフリティス公爵家には四本の魔剣があったとされている。その四本は、どれも魔剣自身に魔力を蓄えることができ、所有者によって姿を変える。
王太子はすでに二本所有している。これ以上、彼の手に渡すわけにはいかない。それにまだ見つかっていない剣の中に、ユーリが受け継ぐはずだった魔剣がある。
もしロズウェルたちが回収しようとしている魔剣がユーリのものであれば、横取りも辞さない覚悟を持って彼らの動向をうかがっていたのだが。
結晶の灯りだけが頼りの真っ暗な第三層の中で、初めてロズウェル・アークトゥルスを見たとき、息を呑んだ。
燦然とする銀青色の三日月のような男だった。
腰まで真っすぐと伸びた銀髪は、枝毛一つなく、美しい星の色をしていた。端正な横顔は自信が満ち溢れていて、夜明け前のような濃紺の眼光は鋭い。
一本の樫から作られた杖を持ち、重そうな真っ白なローブの裾をたなびかせて歩く姿は、高貴さと冷淡さに満ち溢れている。
――あ、目が合った。
ユーリは魔法遺物の外套を身に付けたため、目が合ったように見えただけで実際は彼に姿は見えていない。
だがロズウェル・アークトゥルスの瞳孔が赤く光ったように見えたと思いきや、彼は無言詠唱でユーリのいる方向に風による斬撃を打ち込んだ。
ユーリは悲鳴をこらえながら一回転して避けた。するとロズウェルは「気のせいか」と背中を向けたが……。
(いま思い出したけど、あのときの殺気はトバリさんよりも怖かったわね)
ユーリの知っているロズウェルとは似ても似つかない姿だった。
(でも、あんなに狭い空間の中で風魔法を使えば、周囲の岩壁に大きな傷がついて崩落するかもしれないのに……彼は岩壁に当たる直前で魔法の効果が消えるようにしていた)
迷宮はネフリティス領の民の墓場でもある。それを重んじている人は、迷宮内を極力傷つけることはしない。その時点でユーリはロズウェルに好印象を抱いていた。
彼がいるなら迷宮内で無体は働かないだろう。そのまま様子を見守ろうと思ったとき、
(彼の仲間たちの叫び声が聞こえてきて)
駆けつけたときには、ロズウェルの手足は切り刻まれていた。その近くには真っ黒な靄が渦巻いていて、いまにもロズウェルを飲み込もうとしていた。
その後ろには、腰を抜かしている彼の仲間の姿があった。
だからだろう。ロズウェル・アークトゥルスは無意識のうちに自分の身を守ることよりも、仲間に転移魔法をかけて地上に逃がしていた。
見事な自己犠牲だ。でも全滅するよりはいい。それはわかる。わかっている。けど。
(私は、あなたが犠牲になるのは嫌だった)
ユーリは気づいたら駆け出していた。
真っ黒な靄はユーリの姿に気づくと、なぜか姿を消した。追う時間はなかった。
地面に散らばった右腕と左足を掴んで両手でつかんだ。生暖かくて鮮血によってぬるぬるとしていたが、歯を食いしばって大切に抱えて、ロズウェルに駆け寄った。
身体に欠損した部分をくっつけると、ロズウェルはうめき声をあげた。彼の意識は朦朧としていて、呼吸が浅い。
ユーリは両手をかざして最上級の治癒魔法の呪文を唱えるが、魔法の効きが悪かった。あろうことか魔力器官が損傷していたのだ。
応急処置だけして急いでロズウェルを背負って地上に戻ると、呆然とする彼の仲間たちだけではなく、迷宮管理機関『ドルイド』の使者もいた。
ユーリは使者に近付くと、ロズウェルの身柄を引き渡して治療を受けさせることにした。
それから一週間後。
迷宮の出入り口の結界が解かれたことで、周囲にいた地上の魔物たちが凶暴化し、オルヌスにも討伐依頼が来た。
ユーリは任務にかこつけて一人で『ヒスイの迷宮』の様子を見に行ったが、その帰り道にまさかロズウェルと再会するとは思わなかった。
しかもユーリに助けられたことで、彼はオルヌスに入隊してしまった。
高貴さと冷淡さに満ちたロズウェル・アークトゥルスが相棒になる。
初めての相棒に落胆されたくないと思い、キリっとした表情を浮かべて慣れない対応をしてみたが、彼はあのときとは別人だった。
優しくて、お茶に対する異常な愛があって、変わり者と言わざるを得ない困った人だ。
あのときの冷淡な彼はどこにいってしまったのかと考えていたが、今日、彼の弱さを見て確信した。
(ロズウェルは、魔導士としての高潔な自分が『ヒスイの迷宮』で死んでしまったと思っている)
同時に、彼はようやく素の自分をさらけ出せるようになったのだ。
ユーリは彼のいろんな表情を見ることができて毎日が楽しいが、中には魔導士としての姿を崇拝し過ぎて、変化を認められない者もいる。
レイノルドがそうだった。なにかとロズウェルにやたらと突っかかるのは、元の彼を知っているからだろう。
(もったいないなあ)
そう思うと同時に、ユーリは口角を上げる。
(ロズウェルの泣き顔を見たのは、きっと私だけ)
胸の中にじんわりと湧き出してくるのは――優越感。
(ねえ、ロズウェル。人を助けることって難しいね)
『ヒスイの迷宮』で助けることができていれば彼はいまも魔力を失わずに王国の第一線で活躍していたかもしれない。そしてユーリの相棒になることはなかった。
アメフラシのときもそうだ。アメフラシを退治しなければ、口鳥に襲われることはなかった。でもなにもしなかったらユーリたちは悪天候に救助活動を妨げられ、馬と荷車は川に流されていたかもしれない。
人を助けるために行動した結果が最良とは限らない。でも、最良でなくても、できるだけ良い方向に変えていかなければならない。
そうでないと息苦しさを抱えたまま生きていかなければならない。
(私でないとあなたの相棒は勤まらないって、うぬぼれてもいいかしら)
ロズウェルはユーリに心の弱さを見せてくれた。
ならば、ユーリも応えなければならない。
(武闘会が終わったら、『ヒスイの迷宮』での出来事だけではなくて、すべて話すわ。名前すら偽っている私の過去もさらけ出すから)
そして、桃色の唇をそっと動かす。
すべてを打ち明けても、あなたはそばにいてくれますか?