第28話 『これが落ち込む、これが挫折⁉』
結果として、ロズウェルはボコボコにされた。
半袖を脱いで肌をさらすと、背中と脇腹には痛々しい痣ができていた。ロズウェルは治癒魔法を使って痣を治す。
「私、水と手拭いを持ってくるね!」
ユーリは颯爽と駆けていく。ロズウェルは息を切らして話せないため、大袈裟に頷いた。
(ユーリの猛攻とオスカーの馬鹿力も加わって、ようやくトバリさんを再現できるのか。あの人本当に規格外だな)
ちらりとオスカーを横目で見れば、機嫌がよさそうに鼻歌を歌っていた。目が合うと、彼はニヤリと口角を上げる。
「おめェもまだまだだなァ」
「そう、だね」
「いまのままではぜってェに勝てないぞ」
「……わかっているよ」
小さく吐き出すと、オスカーは一歩、また一歩と距離を詰めてきた。
「なぜ魔法を積極的に使わない」
「僕の魔力量はたかが知れている。いまは剣を扱うことに慣れないと」
「ああ、そうだよなァ」
彼は琥珀色の目をかっぴらいて、ロズウェルの顔を覗き込んだ。
「剣まで失ってしまったら、おめェはなにもできないもんなァ」
意地悪な言い方だが、人を馬鹿にする雰囲気は一切ない。ロズウェルは表情を変えないまま、淡々と問う。
「どうしてそんなことを言うの?」
「おめェ、魔法を使うのが嫌になっているんだろう?」
「は?」
オスカーの指摘に、ロズウェルはこれでもかと目を見開く。
「この僕が魔法を嫌いになるわけがないだろう」
威嚇するような低い声が出て、ロズウェルは勢いよく口元を押さえる。自分でもこんな声が出るとは思わなかった。
オスカーの様子をうかがうと、彼は余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。
「ユーリに魔法の稽古をつけているときから思っていたが、おめェ、たまにこんなときに魔力があればな、と悲観した顔をしているんだよ」
「……っ」
そんなことないよ、と言い返したいのに、喉奥がひりついて声が出ない。
「まさか、自覚がなかったのかァ?」
その瞬間、ドッと心臓が跳ねた。
ロズウェルは肩を小刻みに震わせる。悪寒を感じているわけではない。ただただ身体が震えて止まらないのだ。
(? なんで?)
頭の中が疑問形でいっぱいになっていく。その傍らでオスカーが「まァ、人生初の挫折がこれじゃ、落ちこむ気持ちはわからなくもねェが」と呟く。
「いまなんて言った?」
ロズウェルはすさまじい勢いでギュンッとオスカーに詰め寄った。
彼は「お、おおう」と珍しく狼狽えるが、先ほどクサい台詞を吐いた自覚があるのか、頬を少し赤く染めながらぶっきらぼうに告げる。
「おめェってやつは! 人の話は聞いとけよォ!」
「もう一度言って、お願い‼」
ロズウェルは勢いよく地面に膝をつけて土下座した。オスカーはマジかよこいつと呆然としてから、気を取り直すように声を張り上げる。
「いつまでも落ちこんでいるなァ‼ ヘタレェ‼」
「落ち、こむ――⁉」
ロズウェルはそのまま地面に尻もちをついた。
脳裏に、残酷な光景が浮かび上がる。
――『ヒスイの迷宮』で手足が吹っ飛んだ光景。
――気づいたときには屋敷のベッドの天井だった光景。
――魔力器官を損傷したことを告げられた光景。
――仲間が見舞いに来ることはなく、一人で窓を眺めていた光景。
――父親から勘当された光景。
ロズウェルは手に砂をつけたまま、両手で顔を覆う。
(……勘当されたときにお茶のことばかり考えていたのは、たぶん僕の防衛本能だ)
あのときお茶巡りの夢がなければ、魔力量が減ったことを悲観して命を絶っていた。現に猪の魔物に追い回されとき、自爆しようとしていた。
十九年間生きてきて、初めて実感した感情に、体の震えが止まらない。
(そうか、自爆したくなるくらい落ちこんでいたのか)
自覚してしまったら最後、胸に棘が刺さって抜けない。前みたいに笑うことができない。
(……僕にとっての魔法はなんだったのだろう)
気持ちが重く沈む。武闘会に向けて、いま考えるべきことではないと頭の片隅ではわかっている。
(でもいま考えなれば、いつ向き合えばいいんだ?)
不意に、陽だまりのような温かい声を聞きたくなった。彼女の姿を探すために顔を上げたとき、ロズウェルは「ヒィッ」と小さく悲鳴を上げる。
頬に痛々しい傷がある男が、至近距離でロズウェルを見下ろしていた。
「おめェも、そんな顔をするなんてなァ。助けてやろうか?」
「……え」
「冗談だよ、冗談! オレ様がおめェを助けるわけないだろう」
うひゃひゃひゃと笑ってから、オスカーはロズウェルの耳元で囁く。
「だが興が乗った。おめェにとある権利をやる」
「⁉」
そして囁かれた内容に、ロズウェルはぽかんと口を開く。
「もらっていいの?」
「いいぜェ」
ロズウェルとオスカーが見つめ合ったときだった。
「私の相棒になにをしているの?」
ユーリが鞘から剣を引き抜いて、オスカーを睨みつけていた。怒りのあまり毛先が逆立っている気がする。
ロズウェルとオスカーは戦慄してから顔を見合わせる。
よく見れば、まるでオスカーがロズウェルをいじめたみたいな構図になっていた。
「ちげェ! こいつが勝手に地面に転がったんだ!」
「はい! 僕が勝手に転びました‼」
「……そう言えって脅されたの?」
「違う違う違う‼」
◇◆◇
稽古が終わったあと、教会で夕食を食べたロズウェルは、ユーリを家まで送っていく。
「んも~、なにかあったかと思って身構えちゃったじゃない」
「ご、ごめん」
ユーリは唇を尖らせてぷりぷりと怒るが、先ほどの本気の殺気との温度差についていけない。
――私の相棒になにをしているの?
ロズウェルは思わず胸元を押さえる。
(ああもう! なんで君はそんなにカッコいいんだ! それに比べて僕は……)
気持ちが重く沈むが、ユーリには気弱になった自分を見せたくはない一心で平然を装う。
(ユーリを送ったら高台でお茶を飲もう)
実は肩掛け鞄の中に茶葉と茶器を一式入れてきた。やはりこれがないと心が整わない。
「今日の夜は眩しいわね」
ふとユーリが足を止めて呟いた。
ロズウェルもつられて空を仰げば、濃紺の夜空にチカチカと火花を散らすように輝く星と、眩いほどの丸い月が浮かんでいて、バルロの街を照らしていた。
その光に負けないくらい、地上にある街灯のオレンジ色の炎は揺らいでいて、ふと『ヒスイの迷宮』の三層を思い出す。
(石壁にはたくさんの結晶が生えていたけど、太陽も月も松明もないのに、残酷なほど美しい光を放っていた)
こんなに幻想的な情景を目の前にしても、ロズウェルの心は重く沈む。
(あいつらは、どうしているかな)
仲間だと思っていたパーティーの面子の影が、頭にちらついた。同じ空を見ているのだろうか。それともロズウェルのことなど忘れて、三人で楽しくやっているのか。
(いいよ、僕のことなんか忘れても。君たちが三人で上手くやっているならそれでいい)
目を伏せたとき、右手になにかが触れた感覚がして、勢いよく顔を上げる。
「!」
気づいたら、ユーリがロズウェルの右手を握っていた。
「えっええ⁉」
驚きのあまり二度見をしていると、彼女はふっと微笑む。
「ねえ、せっかく綺麗な夜だから、寄り道しましょう?」