第21話 『これより救助を開始する』
ロズウェルは曇天の下を箒に乗って進む。バルロのオレンジ色の屋根はくすんで見え、空気がひんやりと冷えている。
先頭にいるのがトバリとレイノルドで、次にロズウェル、そして殿がユーリだった。
「緊張している?」
ユーリに声をかけられ、ロズウェルは顔だけ振り向きながら「少し!」と告げる。
「トバリさんの命令に従って動けば大丈夫。その上で、対応中になにか気づいたことがあれば私に報告して」
「わかった!」
「あと」
ユーリは一拍置いたあと、陽だまりのような笑みを浮かべる。
「どんな困難があろうと、自分の力を信じて」
「――」
ロズウェルは「うん、ありがとう」と力強く頷く。
(すごいな、ユーリは。その一言で僕がどれだけ勇気づけられたことか)
そして正面を見据えた。ニア川の上空に停滞するおびただしいほど黒く染まった雲から、滝のような雨が地上に降り注いでいる。
「みんな雨の中に突っ込むぞ! レイ、魔法を!」
「わかっています! 《大地の涙よ、我が身にまといて穢れを弾け》」
レイノルドが防護魔法の呪文を唱えた瞬間、雨が体を叩きつけた。
誰かに背中を押されているような圧力に高度が下がるが、防護魔法のおかげで肌や服が雨を弾いていく。
(やはり視界が悪いな)
アメフラシとはウミウシを象った手のひらほどの小型魔物で、普段は岩場などの日陰に隠れているが、体になにかしらの衝撃が加わると雨雲を呼び寄せて雨を降らせる。
粘膜をまとった体はそう簡単に潰れず、衝撃をくらっている時間が長ければ長いほど、雨の規模は強くなるため、素早く倒さなければいけないが、視界による捜索は天気の悪さによって難しく、魔力探知頼りになる。
ロズウェルは子どもの頃に一度だけアメフラシに遭遇したことがある。
初めて遭遇したときは乗っていた馬車の車輪に挟まっていて、一緒にいたアルティリエと一緒に魔力探知を使って探していたが、全然見つからずに時間がかかってしまい、倒す頃には御者も妹もずぶぬれだった。
(あのときに父上から『時間は有限。判断を見誤れば人が死ぬ』と叱られたんだよな)
ロズウェルは目を凝らして地上に視線を送る。
ニア側の川岸にいまにも消えかけている狼煙が見える。その近くには荷車が二台と馬が三頭、そして四人の救助者がいた。
彼らは必死に川の中州を指さしている。
そこには三人の救助者がいた。それぞれが怪我をしているのか、砂利の上に座り込んでいる。そして近くには大破した荷車と馬が横たわっていた。
「俺とレイは中州へ行く! ユーリとロズウェルは川岸の救助者から事情を聞くんだ!」
「了解‼」
返事をして二手に分かれる。
ロズウェルとユーリは降下すると、箒を片手に川岸の砂利の上に着地する。そしてユーリが川岸にいた四人と馬に防護魔法をかけて雨を弾くようにする。
「救助隊オルヌス現着しました。狼煙を上げたのはあなたたちですね?」
「は、はい」
「なにがありましたか?」
ユーリの声色は切迫した空気を包み込むように優しかった。救助者たちは顔を見合わせると、意を決して口を開く。
「アルタレスを目指していたところ、急に雨が降ってきて……川が増水して荷車が流されそうになったので、その対応に追われていたら仲間が中州に取り残されてしまって」
ユーリはなにか言いたげに眉を寄せたあと、言葉を続ける。
「川に流された方はいますか?」
「いいえ。中州に取り残された三人と我々四人で全員です」
ロズウェルが横目で中州のほうをうかがうと、トバリとレイノルドが取り残されている救助者に声をかけていた。
彼らはオルヌスの隊員が来たことで安堵の笑みを浮かべているが、茶色く淀んだ川はどんどん水かさを増して、砂利の範囲を侵食している。
一刻も早く中州にいる人たちを安全な場所まで運んだほうがいい。
そう思うと同時に、トバリたちが予測通りに中州の救助者たちを誘導し始めた。担架をつくって二人を乗せ、残りの一人はレイノルドの後ろに乗せるようだ。
「雨が強すぎる」
ユーリがかろうじて聞こえる声で呟いたあと、救助者たちに険しい顔を向ける。
「これから救助を開始しますが、最悪な場合、馬と荷車は諦めてください」
「そんな! 困ります!」
「馬も大切な仲間なんです!」
「荷物を待っているお客様がいるんだ!」
「なんとかなりませんか⁉」
すぐに救助者たちから声が上がるが、彼女は表情を変えないまま一蹴する。
「申し訳ありません、人命救助を優先します」
これに異を唱える者などいなかった。
「――……はい」
誰もがうなだれると、ユーリはフッと口角を上げる。
「その上で間に合えば馬も荷車も救いますから。みなさんは我々の指示に従って後方へ」
希望を感じさせる笑みに、誰もが足を動かす。
(後方といっても川岸から離れすぎると針葉樹の森がある)
先ほどから雷が鳴っているため、あの下にいくのは得策ではない。あと二十歩ほど後退するだけで充分だ。
馬の手綱はすでに荷車から切り離されていた。救助者たちと協力して動かそうとするが、怯えているのか動こうとしない。
しかも体が震えている。よほど雨が怖いのか。
ロズウェルは救助者たちに恐る恐る問う。
「あの……この辺りにもともと橋はかかっていませんよね。なぜこんな砂利の上を荷車で渡っていたのですか?」
「ロズウェル」
なぜかユーリにとがめられた。すると救助者の一人が顔を顰める。
「こ、ここだけは浅瀬ですから、浮遊魔法で荷車だけ浮かせて馬に引いてもらっていて。いつも同じことをして他の商会より移動時間を短縮させていましたから……」
「……なるほど」
ユーリはそれに気づいていたから、先ほど事情聴取をしたときになにか言いたげに眉を寄せていたのか。
正規の商業ルートである橋には衛兵が配置されている。そちらを使っていれば今回の事故はなかったはずだ。
(まあ、一番は魔物が悪いんだが)
そのとき、光が雨雲の中で閃くと、バキッと骨が砕けるような音がした。
雷が鳴ったのだ。
中州に視線を向けると、担架を広げているところだった。
よく見ると中州には一本の木が立っている。もしもあそこに雷が落ちたら、トバリたちもただ事では済まない。
ロズウェルは救助者たちに切羽詰まった声で告げる。
「急に雨が降ってきたと言いましたよね? いつの場面でしたか?」
「この川を渡っている途中ですけど」
「まさか」
ロズウェルは顔を顰めてから駆け出す。
「ユーリ! もしかしたら荷車の車輪にアメフラシが挟まっているかも!」
「え⁉」
これだけ伝えればユーリなら十分だろう。ロズウェルは彼女の返答を待たずに川岸の荷車の車輪を確認する。一方で彼女は箒に跨って中州の荷台を確認しにいった。
「いた……!」
ロズウェルが川岸の車輪に両手を突っ込むと、ぬるっとして弾力のある塊を掴んだ。刺激を与えないように優しく包み込んでから車輪から取り除く。
手の平には案の定、アメフラシがいた。胴体は傷がついているのか、血が漏れ出している。
「ユーリ‼ こっちにいた‼」
ロズウェルは雨にも負けない声で叫んでから、アメフラシを平らな石の上に置くと、剣先で貫いた。
その途端、嘘のように雨が止まった。
中州を見つめると、トバリとユーリがロズウェルに向けて「よくやった!」と親指を上げていた。
「よし、いまだ!」
トバリの指示のもと、レイノルドが救助者を連れて上昇する。ユーリも中州にいるため、取り残された馬と荷車もより安全に回収することができるだろう。
空にかかっていた雨雲は徐々に薄れていき、青空が広がっていく……はずだった。
「あれはなんだ」
誰かが空を指さした。
雨雲の切れ間から黒い渦が見えた。まるで巨大な蛇の如く、胴体をひねるようにうごめいている。
目を凝らすと、黒い巨大な蛇が斑の集合体だとわかる。ぽろぽろと斑が緩やかに弧を描きながら落ち、やがて羽を広げ毛玉のように丸い形をした胴体と、真っ白な歯が現れる。
その数、百以上。
「……敵襲‼ 口鳥だ!」
トバリは声を張り上げる。
魔物は、動物の形を象っていることが多いが、稀に人を殺すのに特化した強化型が生まれる。
口鳥は蝙蝠の魔物の強化型だ。歯並びが整った白い歯は、鋼鉄すら砕くため、人間の骨などひと噛みで粉々になる。もとが小型魔物なので一匹であればそれほど脅威ではないが、集団で襲ってこられたらひとたまりもない。
(嘘だろう)
口鳥の大群がアメフラシの雨雲を利用して移動していたなんて。聞いたことがない。
トバリは琥珀色の瞳を鋭くさせ、レイノルドとユーリに指示を出す。
「レイ、一度中州に戻るぞ! それから救助者三名に防護魔法で結界を張り、応援要請の狼煙を上げろ!」
「了解!」
上空にいれば手練れのオルヌス隊員は対処できるが、担架に乗った救助者たちが食い荒らされてしまう。正しい判断だ。
「ユーリは川岸に戻ってロズウェルと共に対処しろ!」
「ええ!」
「ロズウェルッ‼」
まさか、名前を呼ばれるとは思っていなかった。ロズウェルは肩を揺らしたあと、トバリを見つめる。
「そっちは任せた! きばっていくぞ!」
その声に、背筋が伸びる。
「……はい‼」
ロズウェルは声を振り絞ると、剣を構えるが、手の震えが止まらない。
(アメフラシを倒すべきではなかったのか……⁉)
いや、救助活動に最初から正解なんてない。その時々の状況で、対応していくまでだ。
ロズウェルは肺に酸素を送り込み、ゆっくりと吐き出す。なにがあっても救助者たちは守る。
反省はこの場をやり過ごしてからだ。