第20話 『箒による救助実習!』
山並みから太陽が覗き、オルヌスの基地がある運動場を照らす。
「はあ、はあ」
ロズウェルは息を切らして、黒い半袖にサファイアブルーのズボン姿で剣を構えていた。目の前にいるユーリもまた半袖にスカートという格好でロズウェルと対峙していた。
どちらかともなく、頬に流れていた汗がしたたり落ちる。その瞬間、剣を振りかざして打ち合った。
ガンッ、ガキン‼ と金属がぶつかり合う激しい音が鳴り響く。
「はい! 終わり!」
「はぁっ、はぁ、ありがとうございました」
ロズウェルが肩で息をしながら剣を鞘に収めると、ユーリは屈託のない笑みを浮かべる。
「上達が早いわね。さすがゼルツさんの教え子」
「え、ゼルツさんってやっぱり有名な戦士だったの?」
「知らないで師事していたの⁉ ゼルドナーク・ハーツ。強き者を求めて半世紀前に大陸中の猛者と手合わせをして名を馳せた戦士じゃない」
ロズウェルはその名を聞き、身を硬直させて戦慄する。
(それ知っている。確か『暴君』と呼ばれていた人だ)
戦士、傭兵、ギャング、犯罪者、という肩書関係なく、強いと呼ばれた人と手合わせをして千勝した覇者の名だ。
オスカーたちをバルロ教会に引き入れたのはいいが、ギャングたちからの報復がある可能性があった。そこでゼルツとなにか対策を練ろうとしたが、彼から「心配性じゃのぉ。たぶんなにもされないと思うぞ」とさらっと言われていた。
(さすがだな、ゼルツさん。やっぱり名のある戦士だったじゃないか)
ロズウェルが苦笑をしていると、ユーリは両手で手を叩く。
「よし、じゃあ今日は箒による飛行訓練と救助者の運び方を教えるわよ!」
「え、本当⁉」
ロズウェルは両手をぐっと伸ばして背伸びをして「やったぁ」と喜ぶ。
ここ数日はバルロ周辺の魔物討伐以外は、報告書の書き方など内職ばかりだったので、もっと体を動かしたいと思っていた。
「箒に乗るのは初めてだ」
ロズウェルはしみじみと呟く。自分の体を宙に浮かすために必要な魔力量は《八》だ。いまのロズウェルが生身で飛べば、すぐに魔力がすっからかんになってしまう。
食堂で朝食を済ませてから、再び運動場に集合する。
ユーリは二本の箒を両手で持っていた。
「え、これが箒?」
彼女の手に収まるのは、個性的な形に削られた一本の木だった。
柄に当たる部分は剣の柄と同じくらいの太さで、長さは二人乗りすることができるほど伸びている。その先に穂先があるはずだが……銃床のように平たくなっているだけで、とても箒とは呼べない。現代風に言えば、ライフルのような形だ。
「柄が直線的なのに、なんで末尾だけが平たいんだ?」
「ここに担架が格納されているからよ」
ユーリが指先で末尾を撫でると、ポコッと蓋が外れて、人ひとり分の大きさの布と、ベルトが出てきた。
「柄が長いのは二人乗りをするためで、箒に跨ることが難しい方には、こうやって箒にベルトを吊り下げて……担架にして運ぶの!」
「もしかして、僕が毒で倒れたときにこれでバルロまで運んでくれたの?」
「そういうこと」
実用的ではあるが、ユーリに運ばれている自分の姿を思い描くと……まるでコウノトリに運ばれる赤子のようで、少々、いやかなり恥ずかしいかもしれない。
ロズウェルは渋い顔をしつつ、片手で箒を受け取る。
「僕の背丈くらいあるね」
感嘆を漏らしつつ跨る。横目でユーリを見ると同じ体制をしていた。彼女はフッと目を細める。
「柄をしっかり握って!」
指示された通りにすると、ふわっと足が浮いた。
「うわっ、バランスを保つのが難しいな」
上昇すればするほど風にあおられて上半身が左右に揺れる。一方でユーリは軽々と態勢を変え、横に座って足を揃えた。
「体の一部を箒に吸着させるイメージを持てば、どんな体勢でも飛べるわよ」
ユーリは片目を閉じてから、その場で一回転した。ロズウェルは「なるほど」と呟きながら、魔力の巡りを意識しながら箒の柄を握って目を閉じる。
(あれ?)
目を見開いてから顔を上げると、ユーリと目が合った。
「長距離移動でも魔力を消耗しないようになっているの。これなら一時的にトバリさんでも空を飛ぶことができるの! いまの魔力の消費量はどうかしら?」
「そうだな。《一》くらいだ。これなら僕でも安定して飛ぶことができる」
「よかった!」
ユーリは屈託のない笑みを浮かべてから、我に返ってキリっと表情を引き締めた。どうやら指導者として大人びた対応をしたいらしい。
ロズウェルはそれを微笑ましく思いつつ、箒に向き合う。
(魔法補助道具の恩恵を忘れていたな……)
今までに魔力切れなど起こしたことがないため、改めて莫大な魔力量に頼りっきりだったことを反省する。
しばらくすると、ロズウェルは思うままに空中を飛び回ることができるようになる。箒の柄の上で立ち上がると、その体勢のままひっくり返ってみた。
(片足立ちもできそうだ)
思い切って挑戦してみるとユーリが拍手をしてくれた。
「さすがね、びっくりしちゃった」
「見直してくれた?」
つい調子に乗って問うと、彼女は気が抜けたように笑う。
「ちょっとだけね」
「!」
その笑みが愛らしくて胸がきゅんとうずく。ロズウェルがにやけそうになる口元を片手で押さえると、不意に下から視線を感じた。
(げっ、またか)
気づけば地上にレイノルドがいた。相変わらず眼鏡に光が反射していて表情が読み取れないが、不機嫌そうだ。
ロズウェルが地上に降りると、すぐに小言が飛んできた。
「おい、調子に乗っていると痛い目を見るぞ」
いやまあそれはそう、とロズウェルは忠告を素直に受け取る。
「忠告どうもありがとう」
「ふん」
入隊してから一週間が立ったが、彼は事あるごとに姿を見せる。
(僕のことが気に入らないのはわかるけど……それだけでここまで突っかかってくるものか?)
思案を巡らせていると、ある可能性が閃く。
(もしかしてユーリのことが好きなのか⁉)
全身にピシャッと雷のような衝撃が走る。ユーリはバルロの若い男の憧れだ。十分にあり得る話だと驚愕していると、
ゴロッ――
現実でもどこかに雷が落ちた。光は見えなかったが、音はかなり大きい。空を見上げると、いつのまにか灰色でぶ厚い雲に覆われていた。
そのときだった。
カーン、カーン、カーンと鐘の音が聞こえる。
街の時計台の優雅な音とは違う、早鐘のような音は基地の屋根から聞こえた。するとユーリが地上に降りてきてロズウェルの腕を引っ張る。
「こっちに来て!」
ユーリに引っ張られながら駆け出すと、レイノルドが並走してきた。横目で彼の表情をうかがうと緊迫感が張りついている。
一階の広間の右側で隊員たちが集まっていた。その中央にフレスカがいる。
「狼煙が上がった。場所は南西にあるバルロを取り囲むニア川の近くだ。地図を見てくれ」
壁に貼られた天気図には、ニア川に雨雲がかかっていた。
「急に発達した豪雨だ。おそらく【アメフラシ】によるものだろう。ニア側の水深は深い。誰かが川に流された、もしくは中州に取り残された人がいる可能性があることから、浮遊魔法が使える人材が好ましい。先遣隊はトバリ、レイノルド、ユーリ、そしてロズウェル。君たちに行ってもらう」
フレスカは人混みの中から、真っすぐとロズウェルを射抜く。
「ロズウェル。救助は実践を詰むしかない。周囲をよく観察して自分にできることをこなすんだ」
「――はい」
ロズウェルは背筋を伸ばして返事をしたあと、ユーリたちに続いて箒に乗って飛び出した。
ついにオルヌスとして救助活動が始まる。