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第2話 『だからお前は甘いのだ』

「ロズウェル。此度の失態により、お前をアークトゥルス家から追放する」


「はい、父上」


 青年は、夜明け前の空のような濃紺の瞳を閉じ、当主の前で首を垂れた。ラピスラズリの雫型の耳飾りが、さらりと揺れる。


「父と呼ぶなこの無能め! 王太子殿下から迷宮に眠る魔剣の回収という任務を与えられたのに、魔物に敗北するとは! しかも魔力器官を損傷して魔力量が十分の一になっただと⁉ なにをやっているのだ貴様!」


「返す言葉もございません」


 淡々とした声は、小さくも大きくもなく、波紋のように部屋に伝わっていく。


 どこか他人事に聞こえたのか、当主は柳眉をつり上げ「お前という奴は……! だから王太子殿下に見捨てられるのだ!」と叱責を重ねる。


 ロズウェルはそれを聞き流しながら、拳を握り締める。


 今回の失態がアークトゥルス家にどれだけの損害をもたらしたか、事の重大さは自分が一番わかっていた。


(あれは本当に僕よりも強い魔物だったのか……)


 王太子から与えられた任務は『ヒスイの迷宮』に眠っている魔法遺物と呼ばれる魔剣を回収することだった。


 同じ任務を受けたパーティーの仲間たちと迷宮の最深層に着いたのはいいが、背後から魔物の奇襲を受け、反撃する間もなく全身を切り刻まれて右腕と左足が吹っ飛んだ。


 なんとか仲間たちに助け出されて地上に戻ることができたが、怪我の後遺症で魔力量が減った上に、魔導士としての誇りのひとつであった腰まで伸びた銀髪を失った。


 いまは戦士のいでたちのように短く切り揃えられている。


(王太子殿下からもパーティー解任の通達が来た。僕の魔導士としての人生がこれで終わりか。あっけなかったな)


 ロズウェルは唇を歪めて自嘲する。考えるべきことはこれからの生活だけだ。


「もういい。さっさと出ていけ」


 呆れ果てた声が聞こえてロズウェルが顔を上げると、当主はいつの間にか背中を向けていた。


 ロズウェルは()()の後ろ姿を目に焼き付ける。


 背筋が真っすぐと伸び、腰までの銀色の三つ編みはいつ見ても均等で、彼の几帳面さと威厳さがよく表れている。

 だけど子どもの頃から追っていた背中はどこか小さくも見えた。


(悪いけど、僕は別の道を行く)


 ロズウェルは迷いなく踵を返し、部屋から出た。

 北の都市アルタレスの一等地にあるこの屋敷ともこれでお別れだ。


(名残惜しいとしたら、中庭の花や草木に囲まれてお茶を楽しめないことだな)

 はあ、とため息をつくと、


「お兄さま」


 しんしんと降り積もる雪のように、静けさをまとった声が聞こえた。


「アルティリエか」


 ロズウェルがその場で振り返ると、二歳下の妹がひとつに束ねた銀髪を揺らしながら近づいてきた。


 彼女は距離をつめてから足を止め、なにか言葉をかけようとして唇を動かしたが、ロズウェルは笑みを浮かべてそれを制する。


「さよならだ、アルティリエ」


「……っ!」

 妹のアクアマリンを思わせる瞳が潤む。


(……泣いてくれるのか)


 ロズウェルは腰をかがめ、彼女の視線に合わせた。


「この家を頼んだよ」


 そういってから抱きしめる。アークトゥルス家の跡継ぎはロズウェルとアルティリエしかいない。これから彼女は次期当主として、魔物討伐を行い社交界でも渡り合っていかなければならない。


 心配がないと言ったら嘘になる。だけど彼女なら大丈夫だ。魔導士としての実力は十分にあるし、ロズウェルよりもいささか、いや、かなり強かで世渡り上手だから。


「お兄さま、私からもひとついいですか?」


 アルティリエは上目遣いをする。可愛い妹を前にして頬が緩まない兄などいるのだろうか。

 ロズウェルは「なんだい?」と柔らかく微笑む。


「決して人様の迷惑になるようなことはしないでくださいね」


 飛び出してきたのは、兄の身を案じる言葉ではなかった。


「相変わらず辛辣だな。僕にはもう魔導士としての力はない。誰にも迷惑はかけないさ」


「そうは思えませんが」


「疑り深いなあ」


 アルティリエはため息をつくと、父親そっくりの柳眉をつり上げる。


「表情がにやけているんですもの。追放された人の顔ではないわ。よからぬことでも企んでいるのでしょう?」


 ロズウェルは笑みを崩さないまま答える。


「よからぬこととはとんでもない! 僕は老後の夢だった世界中のお茶巡りをいまできることにわくわくしているだけだ!」


 劇中に出てくる道化師のように、その場でくるりと回ってから片手をアルティリエのほうに伸ばした。それを見た彼女は頭が痛いとばかりに額に手を添える。


「なぜお父さまはお兄さまを野放しにするのかしら」


 そう呟いた気がするが、ロズウェルは聞こえないふりをする。


(朝から晩までお茶に囲まれた生活なんて最高だろう⁉ 国内だけでも紅茶、ハーブティーの種類がたくさんあるのに、世界には抹茶、烏龍茶、チャイというものがあるのだから! はあ、早く出会いたい)


 胸の奥底から高揚感が沸き立ち、溢れそうだ。居ても立っても居られない。


「まずは東にある王室御用達の紅茶の産地でも目指すよ。アルティリエもいろいろと気を付けるんだよ」


 アルティリエはいま一度大きなため息をついたあと、両手を腰に添えて身を乗り出す。


「お兄さまも本っ当に気を付けてくださいね!」


「わかった、わかった。じゃあ、行ってくる」


 こうしてお茶に取り憑かれた男は、早歩きで廊下を進み、自室の棚から選りすぐりの茶葉とポットなどを持って、意気揚々と屋敷を出て行った。



 このあと、一人の少女に人生を変えられるとも知らずに。


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