第16話 『第一印象が最悪すぎて』
ロズウェルの教育はユーリに一任されている。今日は施設案内と、ロズウェルの実力を測るだけだと、フレスカから説明を受けたが……。
(内容が頭にまったく入らなかったな)
ロズウェルはユーリと共に隊長室を出たあと、しばらくその場にたたずむ。
沈黙を破ったのはユーリだった。
「ロズウェルさん、ごめんなさい。グーで殴ってしまって」
「大丈夫だよ。僕が原因をつくったようなものだし」
痛くないと言ったら嘘になるが、なんてことない顔をする。
「治癒魔法、かけるわね」
「ありがとう」
ロズウェルが身をかがめると、ユーリがそっと頬に触れた。
頬は炎症を起こしているだけなので、すぐに赤みと腫れが落ち着いた。
「本当にごめんなさい」
彼女は深々と頭を下げた。小さなつむじがよく見える。ロズウェルは妹を諭すように優しい笑みを浮かべる。
「気にしないで。おかげで緊張が吹っ飛んだから」
とは言ったものの、心の中はすさんでいた。
(あ~~これは絶対に嫌われたな。なにやっているんだろう、僕は)
壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られる。いますぐお茶を飲んで心を穏やかにしたい。
(まあ、第一印象が最悪だからもう下がることはもうないか)
もともと底辺にいるのだ。ここは開き直って隊員としての任務に専念する。
「ユーリさん、これから僕はなにをすればいいのかな」
指示を仰ぐと、彼女はほっとした顔を見せる。
「まずはフレスカさんに言われた通り、施設案内ね。それと私のことはユーリでいいわ。堅苦しいのは苦手なの」
「え⁉」
恐れ多くて考えあぐねたが、ユーリの控えめに期待の籠った眼差しが眩しすぎて、ここは余裕のあるお兄さんを演じる。
「わかった。じゃあ、僕も呼び捨てでいいよ」
「え、さすがにそれは……」
ロズウェルは腐っても元お坊ちゃまで年上だし、遠慮しているのだろう。
「君は僕の指導者だから、そのほうが相棒らしいだろう? よろしく、ユーリ」
思い切って手のひらを差し出し、ハイタッチを試みる。
心臓が破裂しそうなくらい脈打って痛い。この音が聞こえませんようにと願いながら彼女の反応をうかがうと、「ふふふ」と嬉し声を噛みしめ両手を合わせた。
だがすぐに我に返って、無防備な表情がキリッとした表情に変わる。
「こちらこそよろしく、ロズウェル」
可愛い子に名前を呼ばれる喜びを、ロズウェルは心の中で密かに噛みしめた。
(くぅ)
しかし、それはすぐに塗りつぶされる。
基地の二階には隊長室のほかに、資料室、仮眠室があり、すれ違う隊員に挨拶をしていく。
すると男性隊員は必ずと言っていいほど、笑顔で肩を組んできて、耳元でそっとささやく。
「ユーリに手を出したら――わかっているよな」
ドスが効いた小声だった。穏やかさの欠片もない脅しに、ロズウェルは小刻みに頷くことしかできない。
(怖っ。でもそれだけみんなに大切にされているってことか)
ユーリは手ぶりを使って一生懸命に施設の説明してくれる。その小柄な後ろ姿を見ていると愛しさが込み上げてくるが……。
ロズウェルはふと視線を落とす。彼女の腰元のベルトに下げている剣だけが異彩を放つ。
「あ、あのさ。ユーリはいつからオルヌスにいるの?」
ぎこちなさをにじませつつ問うと、ユーリは大きな目を何度か瞬きさせてか答える。
「十年前だから七歳のときかしら?」
「じゃあ創設当時からいるの⁉」
「えへへ、そうなの……そうよ。本格的に救助隊となったのは十五歳だけど」
ユーリは再び顔を引き締めてから、ロズウェルに背中を向けた。
(彼女の親御さんは救助隊員になることをよく許可したな。もしかしてオルヌスの関係者なのか……?)
考えながらユーリの後に続いていくと、一階に辿り着いた。
「一階の広間の左側では旅に必要な道具を取り扱っていて、右側が作戦室を兼ねた情報交換の場になっているの」
「へえ」
ロズウェルは談笑中の隊員に会釈をしながら、右側の壁に貼られている地図を指さす。
「地形の上に雲のような霞が描かれているけど、これは?」
「バルロ周辺の天気図よ。ほら、よく見ると雲の位置が動いているでしょう?」
「!」
ロズウェルは舌を巻く。
(十数年前に『カゲロウの迷宮』から発掘された、魔法遺物の複製じゃないか)
そういった便利な天気図があるのは知っていたが、市井に出回っているのは知らなかった。
この基地には予想以上の設備が整っている。太い支援者がいるのか、それとも隊長のフレスカの手腕によるものなのか、気になるところだ。
「広間の奥には救護室と食堂があるの。ひとまず食堂に向かうわ」
ユーリは広間の右側の奥にある扉を開ける。廊下を進んだ先にはこじんまりしたサンルームのような食堂があって、ロズウェルは日の光の眩しさに目を閉じる。
薄っすらと目を開けると、四人掛けのテーブルがふたつと、六席のカウンターが見えた。さらにガラス張りの向こう側には更地の運動場が広がっている。
「おや、ロズウェルじゃないか!」
カウンター席の奥の厨房から顔を覗かせていたのは、以前ロズウェルにパンをごちそうしてくれた『いちじく亭』のおかみさんだった。
「あ、こんにちは! その節はありがとうございました! でも、どうしてここに? おかみさんもオルヌスの隊員だったのですか?」
矢継ぎ早に問いかけると、おかみさんはひとつに束ねた白髪交じりの髪を揺らしながら近づいて来て、片手を横に振って否定する。
「違う違う。あたしはボランティア。オルヌスにはなにかと世話になっているからね。力になりたくてバルロの婦人会と協力して、日替わりでご飯を提供しているのさ」
「そうだったんですね」
ロズウェルが感嘆を漏らすと、おかみさんは屈託のない笑みを見せる。
「ああそうだ。あんたに提案されたローズマリーを使ったフォカッチャは売れ行き好調だよ。ありがとね」
「いえいえ、そんな」
「それに、あれからハンドクリームが手放せなくてさ。婦人会のみんなも喜んでいるよ。もうすぐ豊穣祭があるだろう? ぜひ店に寄って行ってくれ。おまけするから」
「はい、ありがとうございます」
ロズウェルは元気よく返事をしてから、片手でお腹を押さえる。気が緩んだのか腹の虫が鳴いた。
ふとシチューのいい匂いが鼻腔をくすぐる。どこかローズマリーの気配もするため、主食はフォカッチャかもしれない。
(施設案内はこれで終わりで、次は食事か。いい職場だな)
すっかり和やかな気分でいると、いきなり背中に痛みが走る。おかみさんに叩かれたのだ。
「ユーリ、あんたロズウェルの指導役になったんだろう? しっかり鍛えてやりな」
「ええ、任せて!」
ロズウェルは「ん?」と眉を寄せる。
(あれ、食事をする流れじゃないのか?)
思わず目を点にしていると、ユーリに「こっちに来て!」と腕を引っ張られる。
向かった先は運動場だった。地面は所々ひび割れていて、激しい稽古の跡がうかがわれる。
ユーリは運動場の中央で足を止めると、腰元の剣を引き抜いた。
「さあ剣を構えなさい」
(出たな、無茶ぶり!)
対応する力はゼルツのもとで鍛えられた。ロズウェルは焦ることなく剣を構えるが、お腹の虫が鳴き始めて止まらない。
どうか聞こえませんように、と柄を握る力を込める。
同時に、不思議と口角が上がった。
ついに彼女の目の前まで来たのだ。がっかりされたくはない。全力を尽くす。
「次はあなたの実力を見せてもらうわ」
「望むところだ」
ロズウェルは夜明け前の空のような濃紺の瞳を鋭くさせ、大きく踏み込んだ。