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第12話 『怪我ばかりの困った人』

 今日のバルロは平穏だ。


 あと一か月で国を挙げての豊穣祭が行われ、それが終われば、冬ごもりのために保存食をつくらなければならない。


 キルクス王国の十月(アルバ)十一月(ユルム)は慌ただしく過ぎていくが、住民の心は豊穣祭に向けて晴れ晴れとしていた。


 大通りの人混みの中を、サファイアブルーのジャケットを着た二人組が歩いている。彼らの肩にはオレンジ色のラインが入っていた。


 一人は青年だ。赤い髪を藍色のリボンでひとつに束ね、丸眼鏡から見える碧眼は鋭い。


 彼は険しい顔つきのまま片手で食料が入った紙袋を持っていたが、別に不機嫌なわけではない。もともとこういう顔なのだ。


 もう一人は少女だ。触れるのを躊躇ってしまうほどの柔らかそうな金糸の髪を持ち、長いまつ毛に彩られた瞳は灰紫色だ。彼女の手にも食料が入った紙袋があった。


「ユーリさん、それも持ちますよ」


「ありがとう。でもあなたの両手がふさがってしまうわ。レイさんのほうが年上なんだから、そんなに気を遣わなくて大丈夫なのに」


 まだオルヌスに慣れない? と問うと、青年――レイノルドは眉間にしわを寄せる。


「俺はこういう性分なんです。それにユーリさんのほうが先輩ですから」


「……そう? まあいっか。レイさんのやりやすいようにやって」


「はい」


 二人は買い出しの最中だったが、警戒は怠らない。この時期になると浮足立った不埒な輩が沸いてくるが、今回はまだそういった話は聞かない。


(そういえば、あの人はどうしているかしら?)


 ユーリの脳裏に浮かんだのは、眩いほどの銀色の短髪を持っているのに気が抜けた笑みを浮かべる青年だった。任務や魔物の討伐などで忙しく、なかなかバルロ教会に様子を見に行けていなかった。


(あれから会っていないのよね)


 一度だけお昼時に教会に顔を出したことがあったが、ゼルツから「あいつのことはなにも心配ない。ユーリは心置きなく任務に専念するのじゃ」と背中を押されてしまった。


 あの反応だと、東の都市ラサエスにはまだ旅立っていないようだ。


(本当に大丈夫かしら……)


 ゼルツのそばにいれば問題を起こすことはないだろうが、ユーリにはひとつ懸念があった。


(もしあの人が『ヒスイの迷宮』で出会った人だとしたら)


「ユーリさん、どうかしましたか?」


 いつの間にか、レイノルドに顔を覗き込まれていた。


「あ、ううん。なんでもないわ!」


 ユーリはすぐに朗らかな笑みを見せて、オルヌスの基地を無心で目指す。


「ただいま戻りました!」


 基地は二階建てで、出入り口に足を踏み入れると吹き抜けのロビーになっている。その正面には階段があった。


「おーい! ユーリ!」


 黒髪を雑にオールバックにした髭面の男が、左手に煙草を持ったまま階段の踊り場で手を振っていた。


「トバリさん、どうしたの?」


「隊長がお呼びだ!」


「わかりました! あと灰がこぼれるからその煙草はしまってください!」


 トバリは「へいへーい」と言いながら煙草をふかして階段を登っていく。それを見ていたレイノルドはこめかみに青筋をつくる。


「ユーリさん、行ってください。副隊長のことは俺があとで締めます」


「ええ、頼んだわ」


 ユーリはレイノルドに紙袋を預けて階段を上る。その先に隊長室があった。


 ノックをしてから中に入ると、煙草をふかしているトバリの対面に、隊長のフレスカが立っていた。


「買い出しに行ってくれてありがとう、ユーリ」


 フレスカは艶やかな唇に弧を描いて微笑む。鮮やかな水色の髪は丸みを帯びるように整えられていて、涼やかな目元は灰色の瞳によってさらに冷涼さを帯びていた。


 女性にしては背が高く声も低いが、男性にしては見目麗すぎる。


 フレスカの隊服のジャケットの下はタートルネックで、顔と指先以外の肌を人前にさらしたことがない。ゆえに多くの人が男か女かわかっていないだろう。


「ちょっとユーリの耳に入れたい話があってね。この青年に見覚えはあるかい?」


 フレスカはユーリにとある姿絵を差し出す。そこには、先ほど脳裏に浮かべたばかりの短髪の男が描かれていた。


「……名前は知りませんが以前、猪の魔物に襲われていたところを助けたことがあります」


「それっていつの話だ?」


 トバリは白い煙越しに琥珀色の瞳を細めた。じっと見つめられ、ユーリは思わず目を逸らす。


「えっと……三週間くらい前? ほら、『ヒスイの迷宮』の入り口の結界が解かれたことで、地上にいる魔物が凶暴化して討伐の依頼が来たときです!」


「そうだな。迷宮の空気に触発されて凶暴化した魔物を討伐する依頼がオルヌスにも来て、何人かアルタレスの方に送ったが。お前まさかそれにかこつけて、一人で『ヒスイの迷宮』まで行ってないよな?」


 ビクッとユーリの肩が跳ねた。隠し事はどうも苦手だ。


「中には入っていません。出入口の様子を見に行っただけで」


「だーかーら! 『ヒスイの迷宮』に一人で近づくなって何度も行っているだろう⁉」


 トバリの強い口調に、ユーリは身を縮こまらせる。


「だって魔剣を早く見つけたくて……」


 唇を尖らせながら告げると、フレスカがユーリに肩に手を置く。


「ユーリ、焦る気持ちはわかるけど、一人で危険なことはしないで。君のご両親のためにも」


 フレスカに諭され、ユーリは「はい。もうしません」と頭を下げる。危ないことをしている自覚はあったからだ。


 素直に謝罪すると、フレスカは肩をすくめてから口を開く。


「わかればよろしい。さて話を戻すよ。彼の名前はロズウェル・アークトゥルス。代々魔導士を輩出する名家の嫡男だが、一か月前に『ヒスイの迷宮』で魔力器官を損傷して、魔力量が十分の一となり、家から勘当されたらしい」


「……え」


 ユーリは両手で口元を押さえて、身をこわばらせる。


(やっぱり『ヒスイの迷宮』で会った人と、猪の魔物に襲われていた人は同一人物だったんだ)


 魔導士は、豊富な魔力量に加え自分だけの呪文を生み出せる人しか名乗ることを許されない。ゆえに失墜すれば、生きていく目的を失い、命を絶つ人が多いとも言われている。


(――どうりで自暴自棄になって自爆しようとしていたわけだ)


 せっかく助かった命だ。せめて健やかに前を向いてほしいと願っていると、フレスカは淡々と告げる。


「今日、バルロ教会の司教であるゼルツ殿からこれが届いた」


 目の前に見せつけられた紙に、ユーリは目を見張る。これはオルヌス入隊の推薦状だった。


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