第10話 『本気の殺気に成すすべなく』
「イテテ……はあ、追い風最高」
ロズウェルは両手を広げて、背中で清々しい風を感じる。内ももに力が入らないため、風に背中を押されてよろよろと歩きながらバルロの街を歩く。
(それにしても、バルロはのどかで可愛らしい街だよなあ)
どの建物もオレンジ色の屋根に白い壁で、ベランダには季節ごとの花が飾られている。いまは紫色のパンジーだ。
(看板がなければ家なのか店なのかわからないのが難点だけど、さすが守りの要所)
ゼルツから貰った鑑定所までの地図を頼りに歩いていると、「やあ、ロズウェル。足が小鹿のように震えているじゃないか」「今日の稽古は終わったのかい?」といろんな人に声をかけられる。
ロズウェルは片手を上げて「この通り鍛えてもらっているよ」と苦笑すると「まだまだオルヌスには程遠いな!」と激を飛ばされた。
(……アルタレスにいた頃は、街歩きすらしたことがなかったな)
そもそも興味すらなかった。屋敷の中でお茶を飲んでいるほうがよっぽど有意義な時間だと思っていたが。
(前よりも景色が色づいて見える)
こうして誰かと話しながら歩くのは楽しいと思っていると、視線の端にオルヌスの基地が映り、足を止める。
(早く剣術で、中型魔物を一人で倒せるようにならないと。あそこには行けない)
ゼルツの指南で腕を磨くのもいいが、適度に打ち合いができる仲間がほしい。どこかにいないかなと考えながら再び歩きはじめると、
「え、この道?」
目の前に現れたのは、細い路地裏だった。日が傾いてきたとはいえ、ここまで光が入らない道があるとは。
(追い込まれたら逃げ場がなさそうだな)
風が吹き込み、ロズウェルの銀髪を撫でる。なんだか迷宮を探索するときのような緊張感が漂ってきた。
(進むしかないか)
ここはゼルツの地図を信じるが、内ももの痛みもあってつい速足になってしまう。
そのとき、ドンッとなにかにぶつかった。
(今度はなんだよ‼ 壁⁉ ではないな、やわらかくて弾力がある……?)
気が付けば、体を覆うように影が落ちていた。
ロズウェルは恐る恐る顔を上げると「ぎゃっ‼」と奇声を上げる。
なんと大男の大胸筋に顔をうずめていた。しかも最悪なことに胸元ががっつり空いているため、地肌に触れる。
「すみません!」
すぐに飛び退くが、大男の口元がひくひくと痙攣し、心なしかこめかみに青筋が浮かんでいた。
一本道のため、どう見てもぶつかってきたのは大男のほうだが、正面に人影はなかった。そうなると物陰に隠れて待ち伏せしていたことになる。
「ぶつかって申し訳ありません‼ 失礼いたしました‼」
勢いに任せて謝罪をして踵を返そうとするが、大男が片手を壁に伸ばして道をふさいだ。
「おいおいおい、オレさまにぶつかっておいて逃げるのはないだろう」
琥珀色の双眸が、薄暗い闇の中でロズウェルを見下ろした。
ロズウェルは自分より一回りも身長が高い人になかなか出会わないため、まじまじと彼を見上げる。
よく見れば、彼の髪色が青だ。そして頬にはナイフでえぐられたような傷があった。ゼルツが言っていた危険人物はこの人のことだろう。
気づけばロズウェルの背後には、彼の子分らしき男が二人いて、ニヤニヤと口角を上げて退路を塞いでいた。
(なるほど。教会から出たときから後ろをつけられていたのか)
大男と子分二人の腰元には剣が備わっている。一方で、ロズウェルは丸腰だ。
「お前だよな。最近バルロにやってきたよそ者はァ」
大男に話しかけられた。ややあって、ロズウェルは口を開く。
「あー……そうです。はい」
「オレはオスカー。お前は?」
「ロ、ロズウェルです」
「そうか。ロズウェル、よろしくな」
挨拶ができる不良なのか。オスカーは人当たりのいい笑みを浮かべて片手を差し出した。握手を求めているのだろう。
どこかで見たことがある光景と思いつつ、断ると後が怖いため、ロズウェルは素直に片手を伸ばして握手に応じようとした。
そのとき風が吹いて、白いシャツとズボンを撫でる。
「ふうん、これが銀か」
気づいたら、オスカーの手には銀のボタンを入れていた小袋があった。
「!」
ロズウェルは慌ててズボンのポケットを確認する。
(やられた)
握手に応じている隙に、風魔法によって小袋が抜き取られたのだ。
(この男は呪文を唱えてはいなかった。どうやって……まさか悪戯魔法か⁉)
おそらくオスカーが見せたのは、目に見えないマナを一から使うのではなく、自然に吹く風を利用して少量の魔力で発動する市井で生み出された悪戯魔法の類だろう。
「返せ!」
オスカーに向けて手を伸ばすが、彼は身をひねって簡単に避ける。
「駄目だ。もうオレの手の中にある」
そういって小袋から銀のボタンをひとつ取り出し、人差し指から小指のあいだをくるくると器用に移動させる。
「よォし‼ お前ら、この銀で今夜は酒と女で豪遊するからなァ‼」
オスカーが声を張り上げると、子分たちが「いやっふう‼」「楽しみっすね‼」とはしゃぐ。
「ふざけるな! これは剣を買うための資金なんだ‼」
ロズウェルは拳を握り締め、真っ向からオスカーを睨みつけた。彼は物ともせず、ハッと鼻で笑う。
「ふざけているのはお前のほうだろう」
「は⁉」
「宮廷魔導士候補が魔力を失って、泣く泣く杖を手放して、今度は救助隊になるために剣を欲するとは。お前はもう守られる側の人間なのによォ」
「――」
ロズウェルは反論できなかった。頭をガツンと殴られた気分だ。さらに胃に重石が沈んだように苦しくなる。
「どこで僕の身の上の話を聞いた」
「調べればわかるんだよ、ばァか」
オスカーたちはロズウェルを指さして見下すように笑う。
「ひゃひゃひゃ‼ ゼルツのじじいも焼きが回ったなァ! こいつになにを期待しているのか」
「本当ですね! 兄貴‼」
「見ていて痛々しいっす!」
嘲笑が全身を突き刺す。言葉の刃を向けられたのはこれが初めてだった。己が一番ふがいないとわかっているのに、それを他人に指摘されることほど惨めなものはない。
「ああ笑った笑った。それじゃあ、じじいも耄碌したことだし、こいつを痛めつけたらあの教会をぶっ壊そうぜ。いまならやれるだろう」
だけど。
「――本気じゃないくせに」
冷ややかな声が、路地裏に響いた。
ロズウェルは、オスカーの琥珀色の瞳を真っ向から見据える。
そして鳩尾の前で両手を合わせると、右手を前に滑らせ、まるで剣を持っているときのように構えた。
オスカーは目を見開いてから、腹を抱えて下品に笑う。
「嘘だろ、おい! 剣もねェのにオレたちとやり合うつもりか? まさかお得意の魔法でも使うっていうのかよォ⁉」
日が傾いたことで一筋の光が路地裏に差し込み、ロズウェルの瞳孔を赤く照らす。
「魔法は使わない。使う価値もない」
「――はっ、上等じゃねーかァ」
オスカーは歯を見せると、鞘から剣を引き抜く。
「お前、喧嘩の経験は? ねェだろ」
「ない」
でも、とロズウェルは言葉を続ける。
「殺し合いはしたことがあるよ」




