兄妹
「メイリー!!!!」
馬車の扉が開くや否や飛び出てきたシオン様に、思い切り抱きすくめられた。
「シオン様…!!」
「っっっっ!!!!メイリッッ……ああっ!!!!」
「く、苦しいです」
シオン様は「すまない」と言って、私の肩に手を乗せて少しだけ離れた。今にも泣き崩れそうな顔をしている。
「良かった…もう、会えないかと…」
「ご心配をおかけしました。お腹の子どもも、元気に動いています」
「僕がまず案じているのは君だ。君は大丈夫なのか」
「は、はい。この通り、悪阻も終わって元気に…」
琥珀色の瞳が私を見つめて離さない。その瞳に映る私が、泣きそうな顔をしていた。それで私は重たく自覚する。
「寂しかったです、とっても…。お会いしたかった」
ぎゅうと再度抱きしめるシオン様の顎が、僅かに上向いたのが分かる。
「…アレン殿、再三に亘る書簡のお返事はなぜ頂けなかったのか」
その言葉に、私は「え」と声を漏らす。けれど、困惑したのはアレン様も同じらしい。慌てたような声が後ろから聞こえてくる。
「そ、それはこちらの台詞です!何度となくお出しした手紙に一切の返事を頂けなかった」
「そんなはずはない。こちらにそんなものは届いていない」
一体何がどうなっているのか分からない。振り向きたいけれど、一層きつく抱きしめるシオン様がそれを許してくれなかった。
がたり、と馬車が揺れる。曖昧な色のドレスの裾、華奢な腕、煌めく銀髪。そこから出てきたのは、微笑みすら湛えたアニエル様だった。
馬車から降りてきただけなのに、まるで天から舞い降りてきたよう。
綺麗な形の唇は、そこにいた全員を黙らせた。
「…駄目、だったのね」
なにが駄目なのだろう。思い切り意味がわからない。けれど、誰もそれを問いただす事ができぬまま、アニエル様は一歩また一歩とこちらに近づいた。
警戒したままのシオン様と私を通り過ぎて、アレン様の目の前で止まった。「私は」と言いかけた声を遮って、妹を叱咤する声が響いた。
「お前は何を考えているのだ!!メイリー殿を呼び寄せておいて、自分はスピアリーに渡るなど…どれほどそちらの国にご迷惑をかけたか…」
アレン様が珍しく声を荒げたが、アニエル様は一切動じず冷たく低い声で言い放った。
「お前では話にならない」
「アニエル!」
「もう一度言う。お前はアレンじゃない」
シオン様は私の耳元で「何の話だ」と言った。私は困惑して、どこからどう話したものか分からない。
やっと言葉にできたのが
「アレン様は二つの人格をお持ちのようです」
だけだった。
ようやくシオン様の腕の隙間からヤイレス側を見ることが叶う。
アレン様はよろけて、息が荒くなっていた。
「わ、私は…私は、ヤイレスの国を良くしようと…どんなに奮闘したことか…!!」
「ふ。アレンは、国のために懸命に動く人じゃないのよ」
「アニエル、お前はやはり気狂いだ!!お前に国王が務まる訳がない!!」
「ねえ、貴方は知らないでしょう?本当のアレンは、私だけを愛していたの」
ドリトンがアレン様を背中に匿った。アニエルが手を伸ばす。それがまるで、この世で一番恐ろしいもののように、アレン様は腰を抜かした。
「父親だけじゃなく、兄である私まで籠絡しようと……」
「違う。この身体はそれを覚えていたとしても、私の魂は貴方だけなのよ、アレン」
「アニエル、お前が父を殺したのか」
「私じゃない」
怯えきった表情のアレン様と、立ちすくんで淡々と語りかけているアニエル様が対照的なものに映る。
細い指が私を指差した。
「…どうして?メイリー様を置いていったのに、どうして何もしなかったの?」
「馬鹿なことを言うんじゃあない…」
「お前はメイリー様のことが好きだったのでしょう?」
「ま、まさか…もう一人の私に人格交代させることが…」
「そうよ、それが目的。だってお前は偽物だもの」
あの天使のような王女が、恐ろしいことばかりを口にするのが信じられなくて気を失いそうになる。
「う、うぅ……うっ!」
アレン様は何度か呻いて、地面に俯した。次の瞬間、天を仰いで声にならない声で発狂した。
「っっっっっぁぁぁああああ!!!」
ゆら、と立ち上がる。ドリトンを押し退けてアニエルの胸ぐらを掴んだ。
「おかしなことを!おかしなことを!!!」
シオン様が私を離れて、兄妹を引き剥がそうとする。
「やめろ。帰って自分たちの城で存分にやったら良い」
アニエル様がふっと微笑んで兄の耳元で何かを呟いた。
その言葉をきっかけに、アレン様は掴んでいた手を離し、ふらふらとよろめく。
一歩横に逸れれば断崖である。私は手を伸べてアレン様を引き戻した。
まるで酔っ払っているかのように、ぐらぐらしている彼が私のスカートの裾を踏む。
二人で転倒して、思い切り私に覆い被さった。
「メイリー!!アレン殿、何をしている!!早く退いてくれ!!」
シオン様の上擦った声が響いた。大袈裟だな、などと思った次の瞬間だった。
「…女のくせに…随分と…」
「…アレン様?」
「ああ、もう一人の私がつまらないことをしていたらしい」
「あっ…貴方は…」
ふっと歪な笑顔を向けたアレン様は、しっかりと私の腕を締め上げた。
「声を上げてみろよ」
「…悪かったわね、さっきまでの私じゃあないの」
私は思い切り手に力を込めると、腹のあたりを蹴り上げて投げ飛ばした。
「メイリー!!!」
シオン様が駆け寄ってきて、私を抱きしめる。
「…シオン様、あれがもう一人のアレン様です」
「おい、冗談じゃあない。あんなのといたのか」
「お陰で大変でした」
「何をされた」
「今はそれどころでは…」
私たちを風のように追い越したアニエル様が、転がっているアレン様に抱きついた。
「アレン!!」
「…やめろ。私にそんな趣味はない」
「ねえ!アレン、私よ!メリッサよ!」
メリッサ、北極で神にその身を捧げたという、ヤイレスの第一王女。それは自分だという。アニエルが気狂いというのは本当かもしれない。
その光景を見て、私たちは閉口するしかなかった。
アレンは、メリッサだというアニエルをじっと見つめている。
「アレン…やっと、やっと出てきてくれた…やっと会えた…」
「メリッサ……」
見つめ合う二人は、まるでそこだけ時間が止まったかのようだった。
(やはり、シオン様への恋心などなかったのよ)
訳がわからないなりに、そんなことを思った。
「あははははははは!!!!!」
アレン様は、天を仰いで歯を剥き出して大笑いした。驚いて私たちは肩が跳ねた。
アニエル様は困ったように笑う。
「ア、アレン?」
「あぁ…滑稽だなぁ。おい、お前は思い切り勘違いをしている。元々のアレンの心は、死んだ」
「しん、だ?アレン、アレンの…え?」
「メリッサが処刑された日、アレンの心が死んだ。それでできたのが私だ。そして、私があんまりひねくれてるもんで、王族として生きるのに対応するためにできたのが、もう一人の私だ」
「う、嘘…」
アニエルの顔が思い切り崩れていく。その顎を掴んでアレンはニヤニヤと笑っている。
「嘘だああああぁぁああ!!!!」
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