動揺(前半、シオン視点、後半、侍女・トリアリ視点)
「メイリー様付きの侍女、トリアリが落ち着きを取り戻しました」
僕の耳元で、従者がぽそりと耳打ちした。
鋭い目を向けた僕に、従者は首を垂れる。
ちらりと見ると父は黙しているが、意図は伝わっている。よく見なければ分からぬほどに頷いたからだ。
アニエルは、不安そうな顔で立ち上がった僕を見つめた。
「すまないが、席を外す」
「どうかされたのですか?」
「至急確認すべき最優先事項があるので、失礼します」
「あの…」
「アニエル殿、僕は王太子だ。他国に軽々しくお伝えできることばかりではない」
暫く見合っていたが、踵を返して部屋を出た。
そこからは大股でずんずんと進んだ。メイリーへの、唯一の手掛かりへと。
なんとか我が国に戻ってきたトリアリは、怯えきっていたという。
大股で歩く僕の後を、従者が走って追いかけてきた。彼が扉を開けるより早く、扉を勢いよく開け放つ。
「入るぞ」
開口一番そう言うと、憔悴しきった様子のトリアリがベッドに座っていた。
「シオン様…」
「何があったのか話せ」
「あ、ああ…っっ!!私は…私は何ということを!!」
「お前のことを責めてなどいない。ヤイレスで何があったのか、報告しろ」
後ろで従者がオロオロしている。だが、一刻を争う事態だ。気を遣っている余裕など僕にはなかった。
「シオン様…!メイリー様がっっ!!申し訳ありません!!」
涙ながらの謝罪の言葉に、最悪の事態が頭をよぎる。血が逆流しているような気がして、うまく立っていられない。
「メイリーは、死んだのか、トリアリ」
「メイリー様がどうなったのか、わかりません…申し訳ありません…!!」
侍女の手はぶるぶると震えている。胸の辺りを抑えて、苦しそうな呼吸を繰り返した。
「死んでないのなら良い。助けに行くだけだ。メイリーはどこにいる」
「おそらく…ヤイレスの王城に…」
「お前はどうやって帰ってきたのだ、トリアリ」
「あ、ああっっ!!!申し訳ありません!!!」
遂に、両手で顔を覆って泣き出した彼女の背中に手を乗せた。
「怒ってなどいない。よく帰ってきてくれた。お前がいなければ、どうすることもできなかったのだから」
「うっ…ぐすっ…」
「何があったか話してくれるか?」
「…はい…」
✳︎ ✳︎ ✳︎
メイリー様がなかなか戻ってこられないので、私たちは皆心配して首を伸ばして、庭園の方を覗いて見ていた。
あちらの国の貴族や従者が通るたび、首を引っ込めて素知らぬふりをする。
『話が弾んでいるのでしょうか』
最年少の侍女、リンリがそんなことを言った。
誰もが『まさか、』と言いかけた言葉を飲み込んだ。
ヤイレスの気位の高さは有名である。メイリー様は身重の体だし、体調も優れないのだ。元より仕方なしの渡航であるのだから、用事が済んだならさっさと戻ってきそうなものである。
『やっぱり、ここで待っていろと言われても、付き添えば良かった』
『あちら方がそう言うのを、私たちが勝手に振る舞えないでしょう?メイリー様のお立場もあるのに!』
『だったらどうするんだよ、迎えにも行けない』
『しーっ!!やめてちょうだい!誰が聞いているのか分からないのよ?』
(まったく、何がどうなっているの…)
皆に狼狽の色が見えた時だった。
芝生を踏む音が聞こえてきたので、皆が一斉にそちらを向いた。
『皆さん、お待たせしてしまって申し訳ありません』
見ればそれは、ヤイレスの第二王女・アニエルであった。
その圧倒的な存在感に、女性陣は息を呑み、男性陣は見惚れた。
その一瞬の間があって、全員が慌てて首を垂れる。
『…あなた達にお伝えしなければならないことがあって』
『どのようなことでしょうか』
『実は、メイリー様はヤイレスがいたく気に入ったので帰りたくないとのことです』
信じられない言葉に、皆が動揺を隠せず、顔を見合わせた。
『メイリー様が、そう仰ったのですか?』
私の言葉に、突然アニエルがにこやかな笑顔になる。それが、あまりに恐ろしくて一歩後退した。
『私が、嘘をついていると言うのですか?』
『いえ、決してそのようなことは…申し訳ありません』
『まあ、良いわ。それで、メイリー様は、こちらで出産されたいのだそうよ』
『え?』
『だから、こちらで出産されたいのですって』
『あの、メイリー様は、今どちらに?』
アニエルは、ふうとため息をついて困ったような顔をすると、一人一人を見回してから言った。
『困ったわ。あなた達、ずっとここにいる?』
『メイリー様のお側に…』
『嫌よ。これ以上中に入らないでちょうだい』
『そんな、ではどうしたら…』
『あなた達だけ帰ったら良いのじゃない?』
『そ、そう言うわけには…正式な手続きを踏んでいませんし、国王陛下の許可が下りませんと…シオン王太子殿下も心配します』
『だって、メイリー様はもうお休みになってしまったし…。それに、馬車で移動するのは辛いから、戻ってからまたこちらに来るのは嫌なのだそうよ』
皆、言葉にできずに堪えている。『メイリー様がそんなことを言うはずがない』と。
どうすることもできず、困っていた私たちを見て、アニエルがポンと手を叩いた。
『そうだわ!私がスピアリーに行って報告してあげる!それが良いわ!』
(何が良いのよ!!)
『だって、あなた達は、こちらがメイリー様に危害を加えないかが心配なのでしょう?私がそちらに行けば、人質交換みたいなものだわ?ね?』
『そう仰られましても…主人を置いて帰るわけには参りません』
アニエルは、シオン王太子殿下の側室に斡旋されていたのだ。信用できるはずがない。
『誰か報告に帰って…』
振り向いた時だった。一頭の馬が嘶いて、前足で何度も空をかいて、その内口から泡を吹いた。
御者が「おい、どうしたんだ!!」と叫ぶ。落ち着かせようにも、どうにも落ち着かず、馬は首を振って倒れ込んだ。暫く痙攣していたが、馬はそのまま死んだ。
その場にいた全員が凍りつく。他国の、ましてや王城で馬を死なせるなど、と。
『…その馬。そのままにできないでしょう?メイリー様を、腐っていく馬と一緒にずっと待ってるつもり?その死骸はどうするのかしら?』
『管理不足で申し訳ありません』
『良いわ。生き物だもの、いちいち不吉を運んだなんて言わないわよ。でも、もしその馬が感染症で死んだのだとしたら、こちらの馬に移されたら困るわ』
それで、全員が再び目を見合わせて、項垂れた。アニエルの言うとおり、馬が死んだのは感染症じゃないとは言い切れない。
分かっていて持ち込んだなどと言いがかりをつけられたら…。我々が発端で国際問題になってしまうかもしれない。きっと同じことを考えて、全員が動揺した。
だから、その時の私たちは最善の選択をしたのだ。したはずなのだ。
メイリー様は勇者だ。だから、絶対に大丈夫だ、と。
メイリー様のための座席にアニエルが座って進む馬車は、念の為にゆっくり進んだ。
もしまた馬に何かがあれば、今度は他国の王女を巻き込むことになる、そんな緊張感を孕んで進んでいく。
馬車の中で、アニエルは、不気味なほどしっかり前を向いて微動だにしなかった。
向かいに座る最年少の侍女・リンリは、顔には出さないものの、狼狽しているのがわかる。
それは私だって同じだ。喉の奥からため息が湧き上がってくるのを何度も殺した。
窓の外を見ると、丁度国境の山を越える所だった。馬車は崖を登っていく。眼下は大きな川が流れていた。
アニエルも窓の外を気にしている。あんまりにも動かないから、美しい人形が一体そこにあるかのようだったのに。
(やっぱり、怖いのかな)
そんなことを思った。
アニエルの桜色の唇がわずかに動く。
『ここで落ちたら助かりそうにないわね』
『優秀な御者ですから、ご安心ください』
アニエルは立ち上がり、天井に沿うように中腰のまま窓に手を掛けると、こちらを向いて笑った。
『ごめんなさいね。私、物を挟むのが得意なの』
『アニエル様!!?危ないですから、座ってくださいませ!!』
馬たちが一斉に嘶く。地獄のような悲鳴が響き渡る。
統制の取れなくなった馬たちは暴れ、ゆっくり進んでいた馬車の窓からぬるりと抜け出したアニエルを残して、全てが崖の底へと飲み込まれていった。
どれくらい経ったか分からぬ。痛みと、寒さで目が覚めた。
目を開いたと同時に、自分たちが崖から落ちたことを思い出した。
私たちは、どうやら下流に流れ着いたらしい。血だらけの手の下は玉砂利、下半身は水位の低い川に浸かっていた。
見ると、私の隣に一番若いリンリが横たわっている。
声をかけようと手を伸ばしたが、彼女は、目を開いたまま。もう助からないことは一目瞭然だった。
『っっっ!!!!』
それから私はできる限り声をかけて回ったけれど、みんな死んでいた。
私だけが助かってしまったことを知る。
ならば、私はすぐにシオン様にお報せしなければ。それが私に託された使命である。
けれど、
(きっと王城には…)
アニエルがいる。
あの笑顔が張り付いて、声が頭の中で反響して、その度に足がすくんで動けなくなった。
それでも引き摺るようにしてたどり着いた王城を見て、私は腰を抜かした。
メイリー様をヤイレスに残し、私だけが助かってしまった事実に直面したからだ。
(どうして…)
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