寒さに凍える手(第一王女・メリッサ視点)
光が乱反射する、氷で閉ざされた世界、北極。
神はこの地から天上に帰ったとされ、古より人と神を繋ぐ象徴のような場所であった。
けれど、突き刺すような寒さは来る人を拒み、厳重な装備無くしては人は一日も生きていられぬ。
『ヤイレスは神に愛された国だ!!戯けたことを…』
第一王女・メリッサは、富める国の王族の中にあって、敬虔で過度な贅沢を嫌い、質素を好んだ。
けれど、対してその容姿は醜かった。
それでも人々に愛される一方で、常に自己に厳しくある姿が、『メリッサ様の前では、暗に贅沢をしていることが悪いみたい』と言って煙たく思う者も少なくなかった。
『…いいえ、お父様。それは過去の話でございましょう。天地開闢以来、ヤイレスの人々は神の恩恵を当たり前と感じ、堕落しています。スピアリーや、アズマ国の人々は日々感謝し生きているというのに』
『アズマ国は祈る神が違う!あそこは排他された国だ。スピアリーは野蛮で呪われた…』
『他国を貶めるようなその認識が、そもそもヤイレスの人々を傲慢にさせたのです。このままでは、やがて雪は冷たい温度に戻り、穀物も実らず、神の約束は反故にされるでしょう』
『っっっ!!!だったら!なぜお前の夢見に神が立たれたのだ!私は国王だぞ!!私ではなく、なぜメリッサ、お前なんだ!!』
『では聞きますが、神のお告げを聞いて、お父様はお告げの実現のために奔走できますか?きっとしないはずです』
『〜〜〜っっっ!!!くそ……!!お前だけならいざ知らず、アニエルまで神に捧げよなど、私には…耐えられぬ!!!』
その時、アニエルはまだ十二歳だった。美しい髪と、天使のような愛らしい顔立ちに、国王はこのアニエルを溺愛した。
幼さが抜け始めたアニエルは、着飾れば男が喜ぶことを覚えた。父が時期国王の座を約束すると、大人がどうすれば自分の思い通りになるかも覚えた。
当然、私が夢に見た神のお告げをアニエルに伝えると激昂した。投げつけられたクッションが破れて、羽が部屋を舞った。重力に反するかのように軽やかに落ちていく羽が、幾つかアニエルの髪に付く。
それが、ゾッとするほど美しかった。
『冗談じゃないわ!!私に贄になれというの!?』
『アニエル、国のためよ。王族として国民のために…』
『絶対嫌!!お姉様が一人で行けば良いわ!!!折角美しく産まれて、将来を約束されていると言うのに、十二歳で死ぬなんて絶対嫌よ!!』
父の反対もあって、妹の意見は受け入れられた。それはそうだ、ただの夢と言われればそれまで。
『お前は好きにしたら良い』
という国王の一言で、メリッサは一人で北極に向かうことにしたのだ。
温かい雪が路面を覆い、冬といえども寒さを感じることは少ない。けれど、海の向こうにある北極は目視で確認できるほど近い。
別名、神の足場。天上界に帰るためだけに、神は海を凍らせたと伝えられている。
暗く、どんよりとした海に一人、舟を浮かべて旅立とうと意を決した時だった。
『姉上!!』
振り向くと、二つ下の弟・アレンが懸命に走ってくるのが見えた。
『帰って』
ほとんど反射的に冷たく言い放つと、私は小舟に乗り込み、杭に繋がれた縄を手に取った。
『嫌だ!姉上!!』
縄を解く手に、温かい手が重なる。城からここまで走ってきたのか、相当息が上がっている。
『アレン、駄目』
醜い私の顔を両手で包むアレンが、口付けを落とした。
私は、弟を愛している。弟もまた、醜い私を愛していた。
『…さようなら』
『どうして』
『名前を呼んで。最期に…メリッサと…』
『メリッサ…メリッサ…!!』
『来世はどうか、姉弟などではなく…隠すことのない恋をしましょう』
アレンは呆けたような顔でボロボロと涙を溢した。
手早く縄を解くと小舟は進んだ。
『あ、ああ…っっ!!!』
震える弟に微笑みを返した。
遠ざかる生まれた地を、小さくなっていくアレンを、いつまでも見つめた。
(人は私は敬虔だと言う。けれど、それは違う。私は汚れきっている。血の繋がった弟を愛した。神はきっと私の裏切りにお怒りなのだろう)
ヤイレスから北に進むとすぐに、肌を突き刺すような寒風に驚いた。
(寒いって、痛いんだ…)
初めて知る。これが、ヤイレスがあるべき本来の寒さ。
(これがヤイレスが受けた恩恵!真綿で包まれた神の愛なのだわ)
どれくらい進んだだろう。ガツン、と小舟が北極の氷にぶつかった。
振り返れば、小さく母国が見えている。
(アレンはちゃんと帰ったかしら)
氷の上に這い上がって、ふらふらと更に北に進んだ。
進んでも進んでも真っ白な世界が続いて、一体どこまで歩けば良いのか分からなくなった頃だった。
『メリッサ、なぜ一人で来た』
どこからか響いた声は、低いとも高いともいえる妙な音程で、語りかけた後も不思議な余韻を残している。
『神様…』
『私はこの地を作りし神だ。メリッサよ、なぜお前はアニエルを連れて来なかったのか』
『申し訳ありません。ですが…どうか妹は助けてやってください!皆に愛され、時期国王の座に治る妹なのです!』
『助ける?王の座?…なにか誤解をしているらしい』
『え…』
雲がすごい勢いでヤイレスに向かっていくのが分かる。
『な、何を!!』
『私は嘆いている。祝福した地の人々は、なぜ祝福されたのかも忘れ、堕落し、他国に手を差し伸べることを嫌う』
黒い雲がヤイレスを覆って、稲妻が雲の中を縦横無尽に走っていくのが見えた。
神は言う。
『今頃、慌てふためいているかもしれないな。祝福の地は、本当の寒さを知らぬ』
『ああ!!やめて!!お願いですから!!今すぐ妹を説得しますから!!!』
私がそう叫んだ瞬間、ヤイレスを覆っていた雲が晴れた。
しばしの沈黙の後、重くのしかかるような声が響く。
『すぐにアニエルを連れて来い』
『は、は…』
私は答えることもできず、まるで犬が走るような格好で小舟まで戻った。
櫂を握る手の感覚が失われていたが、それでも懸命にヤイレスを目指して漕いだ。
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