重い空気(国王視点)
王女アニエルは、ヤイレスの国王・ドトレストの次女として産まれた。出産祝いに駆けつけた時のあの目尻を下げた国王の顔は今でも忘れられない。
(人というのは、こうやって人生の深みがシワになっていくのだな…)
などと思った記憶がある。確かその時、貴重な宝石を献上したはずだ。それを加工してブローチにしたと聞き及んでいる。
(シオンが産まれた時、儂もそんな顔をしていたのだろうか)
いや、我が子の誕生を喜ぶよりも、身体の弱い妻の産後の肥立が良くなく、ハラハラしていた思い出しかない。
『待望の王子です。もっと話しかけてやって下さいまし』
と、痩せて落ち窪んだ目を細めてそう言っていたか。ならば、儂は子の誕生に目尻を下げて喜べるような人間ではないのだ。それよりも、今でも亡くなった妻のことを思うと息ができなくなる。
シオンを大切に思うのは、妻が産んだ我が子であるからだ。自分の分身だとか、そう言った気持ちは生まれないし、これからもそうなのだろう。
だから、妻が亡くなってすぐ、まだ幼いシオンに言ったのだ。
『儂は儂、お前はお前だぞ。親子といえども一人一人別の人間だ。お前自身がしっかり立て』
あの時のシオンは泣くのを堪えて『はい』とだけ答えた。今思えば、甘えたい盛りの子どもが母を亡くしてかける言葉にしては酷であったと大いに自覚している。
儂がそうであったように、シオンもまた妻を大切に思う気持ちが何より先行しているらしい。血は争えぬ。
(シオン、お前は気がついていないかもしれないが…アニエルを問い詰める時の目は、まるで処刑人のようだった)
それほどまでにメイリーを愛しているのだな、と思うと自分と同じような人生を歩んでいくのかという不安が頭を擡げた。
考えたくはないが、もしメイリーがあちらの国で亡き者にされた場合、あれはきっと狂う。
(そうならぬように、一人の存在に翻弄されぬように、そして国王の器に相応しい男になるように、愛するばかりではなく厳しく育てたのだ)
シオンは隠しているつもりなのかもしれないが、焦っているのが張り詰めた空気から伝わっている。王座に治る男が動揺してどうすると叱り飛ばしたいが、他国の王女がいる手前それもできぬ。
(お前もまだまだだな。これでは、当分儂は死ぬわけにはいかないらしい)
無いはずの左手が痛んで、摩った。
(ヤイレスの国王が…ドトレスト殿が死んだ。それも息子であるアレンに殺された…。この王女の言葉を信じるなら、だが)
アニエルは何をしにメイリーを置いてこの国に来たのだ。助けて欲しいという割に、回りくどい説明と具体的ではない提案を繰り返している。他国の問題に、こちらが干渉できるはずもないのに、だ。
つまりこちらに何を求めているのか、一向に見えない。
おまけに、逃げ帰ってきたメイリー付きの侍女も、歯の根が合わぬほど震えていて聞き取りできる状況ではなさそうである。
仕方がないが、落ち着かせることを先行させた。
「困ったものだな」
ここまで黙して思考していた儂が、ぽろりと溢した言葉にシオンは狼狽の色を隠さない。
「…こうなったら、乗り込むしか…」
「え、あの…ま、待ってくださ…」
小さく呟いたシオンの言葉に異常に反応して焦っているのはアニエルだ。落ち着きなく手を動かしている。
「そうだ、アニエル殿は国境を一人で超えてきた。ならば、アニエル殿を送り返す名目で、我らもあちらに渡れば良いだけのこと。メイリーと交換条件でお帰りいただこう」
「そ、それではメイリー様があちらにいる意味が!!」
「意味?まさかこの状況は作為的なものなのか?」
「それは……」
「ヤイレスの問題に我々を巻き込まないで頂きたい!協力を仰ぎたいなら、正式に書簡でやりとりするなり、場を設けるなり手段はいくらでも…」
「それでは意味がないのです!!!」
(……良く耐えた)
シオンは激昂を抑えている。血走った目が戦争も厭わぬと言っているも同然だった。
それにしてもアニエルは、掴みかからないだけマシだと分からぬのだろうか。
儂は重い口を開いた。
「父君の…ドトレスト殿は、なぜアレン殿に殺されたのだ?あまり言葉を選んでいる時間はなさそうなので、単刀直入に聞こう。国王の座を奪いたければ、アニエル殿をどうにかする方が早いだろうが」
「それは…言えません」
「ふむ…このままでは、我が国の王太子が王族の肩書も捨てて、そちらに乗り込みかねん。それは、こちらとしても困るのでな」
アニエルは俯くばかりである。じり、と嫌な汗が背中を伝った。メイリーは身重だ。あまり時間はかけられない。
「…ドトレスト殿は祝福された国、ヤイレスの国王であったが、ご自身は不遇であったな。長女のメリッサ殿は確か閉ざされた北極の……」
「っっっ!!!」
アニエルが突然青い顔で倒れ込んだ。シオンが声をかけようと手を伸ばしたが、その手を叩いて床に伏している。
「…父上、北極で何があったのです?ご長女は…」
「うむ…」
儂とシオンは目を合わせて戸惑うばかりだった。
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