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暗転

 ベッドに蹲っているばかりでは、気が滅入る。

 筋肉が落ちて、明らかに痩せてしまった。

 安定期に入ってもなお続く悪阻に加えて、広いとはいえ室内でできるトレーニングも限られている。おまけに音を立てると外に控える衛兵が容赦なく扉を叩く。いくらスピアリー出身だからとはいえ、私は王太子妃である。問題にしようと思えばいくらでも事を大きくできる、が。


(私だけがヤイレスに残されて、国からの動きがない以上、今だけは大人しく過ごすのが懸命だわ…)


 自分だけの身体ではないのだ。反感は買わぬにこしたことはない。きっと衛兵もそれを分かった上で、嫌悪感を隠さない。


(とはいえ、何日もこの状態じゃあ、精神的に参りそうよ…)


 トコトコトコ、とお腹の中を蹴る我が子が、そんな私を励ましている気がした。

 荷物の中に紛れていた、下手くそな手編みの小さな手袋を嵌める。いつかのシオン様を思い出しながら、少しだけ膨らんだお腹を撫でた。

 腹部の右側を軽く叩けば、右側に、左側を叩けば左側に反応が来るのが面白い。


「ふふふ、天才じゃないかしら」


 微笑みが、却って孤独感を増幅させて、暮れるヤイレスの西陽に感傷的な気持ちが込み上げてきた。


「シオン様…」


 コンコン、

 優しく扉を叩く音に、涙を拭って上擦った声で返事をした。

 ひょこりと覗いた顔は、やっぱりアレン様だった。いつも心配して様子を見にきてくれるのはありがたいが、今は遠慮して欲しかったのが本音だ。

 皺の寄ったスカートを軽くはたき伸ばして、カーテシーで挨拶をする。

 アレン様は困ったように口元を押さえた。


「やあ…休んでいたのかな…申し訳ない……」

「?」


 ずかずかと大股で近寄ったアレン様は、頬を紅潮させている。


「泣いていたのですか」

「いえ、なんでもないのです」

「っ……」


 アレン様は、よろめいて頭を抑えた。どうしたのかと尋ねようとした次の瞬間、ぐいと頬を拭った腕を引っ張られる。

 知らない匂いがする胸にすっかり収まって、それでどうした訳かぎゅうぎゅうと抱きしめられた。


「痩せている…」

「それは…悪阻でどうしても食べられないものが多くて」

「ならば堕してしまえばいい」

「え?」


 くるりと視界が反転する。柔らかいベッドに体が沈んだ。荒い吐息が耳にかかって、鳥肌が背中を這い上がってきた。


「王太子妃・メイリー」

「っっっ!!!」


 諸手を、たった片手で制されている。ぐんと力を込めても、削げ落ちた筋肉では、知れたことだった。


「何も抵抗できぬか。やはり、勇者メイリーなどというのは、作られた与太話だったのかな?」

「ア、アレン、様?どうしたのですか…?」

「アニエルが帰ってこないぞ。国境を超えたあたりから、消息が途絶えている。再三に及ぶ書簡に、シオン殿からの返事もない。それはつまり、アニエルは、お前のところの王太子と仲良くやっているんじゃないのか?」

「っ!急にどうされたのですか!!シオン様はそんなこと…!!」

「そんなこと、しないとでも言いたいのか?はっ!くだらない。人間なんてものはな、すぐに情に絆されてつまらぬ快楽に溺れる生き物だ。…私にも、それをよく分からせてやらなければ」


 ぞっとする。本当にどうされてしまったのか。そうまるで、人が変わってしまったかのよう。

 顔の片側だけが西陽に照らされて、堀の深い顔を恐ろしく演出させた。

 彼の瞳がきゅうと縮む。私はかつて戦った獣や魔物がそうであったように、これが獲物を屠る目だと知っている。


 男性にしては細い指が脇腹を登るように這ってきた。呼吸が止まりそうになる。

 征服した喜びに満ちた笑顔が覆い被さる。


「っっ!!!」

「死竜は、本当にこんな脆いものに負けたのか。それとも本当に作り話なのか?」


 無理矢理奪われた唇に、私は目眩を起こした。

 混乱と、屈辱と、絶望と。今私の目の前にあるのはそれだけだった。


「ここでシオン殿が来るのを待っている間、君の従者は君を置いて残らず逃げ出したぞ」

「なに、を…彼らに何をしたの」

「ああ、あれほど滑稽なことは初めてだったな。君は置いていかれたんだ、諦められたんだ、分かるか」

「そんなこと!ない!絶対に!!」

「黙れ!」


 頬を思い切り叩かれる。冒険で受けた傷に比べれば、これくらいの痛みは何でもなかったけれど、惨めさが湧き上がってきて勝手に涙が溢れた。そんな様子に、鼻息を荒くしているのが分かる。

 私の形を確かめるような指の動きが、私の心を徐々に殺していく。

 数ヶ月前の私なら、こんなもの簡単に組み伏せていたと思うと、それが更に悔しくて思考を遮断した。


「腹の子を引き摺り出して、所詮女が何をしても無駄だということを分かってもらわなければ」


 声が遠のく。意識が暗転する。

 お腹の中で、私を蹴る動きが激しくなるのだけが分かった。


「アニエル、早く帰ってこい」

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