アルソンという名前の老人
「ワカナチ!!今のうちにメイリーを殺してよ!!!」
ラピの命令に、彼女の背後から、ゆらりと亡霊のようなワカナチが歩み出した。
だらんと下を向いて、表情を窺うことができない。少し痛んだ髪の毛が、フワッと風に揺れている。
「儂は殿下の出血を抑える!あの妙な若造は任せた、メイリー!」
「…東の国の異国人、それが彼です。お父様」
「厄介か?」
「酒に酔っていないことを祈ります」
父は妙な顔をして、生唾を飲み込んだ。
迫るワカナチに対して拳を握って構える。
(決して早くない、間合いまで一足飛びに駆けて回り込む!!)
ゆらゆらと近づいてくるワカナチに一足で迫り、背後に回り込もうとした時だった。手の甲でトン、と肩の辺りを叩かれる。
「え、」と声が漏れた瞬間、ワカナチは颯爽とした歩みに変わった。
大股でシオン様に近づいていく。
顔を上げたワカナチの目は、しっかりと前を見据えている。
「そいつは任せとけ、俺を誰だと思ってる?」
「ワ、ワカナチ?」
「おい、オッサン!誰が妙な若造だ!!」
父は陽を求める亀のように首を伸ばして驚き、口を結んでいる。
私は混乱して、振り返る。ずんずん大股で進むワカナチの背中に問うた。
「ラピに操られたのじゃあ…」
「ばーか。面白くないことに、ラピとは長い付き合いだからな。こちとら、アイツがどうやって傀儡にするかなんて熟知してんだ。つまり、傀儡の血を飲み込む前に吐き出したんだよ」
「操られたフリを…していたというの!?まさか、本当に!?」
「お前の親父が術を解除したらしい時は、バレやしないかヒヤヒヤしたけどな。目の前にいる奴らは操ってると思い込んでやがる迂闊さが、ラピらしい」
ラピが青くなって、声にならない声で叫んだ。
ワカナチは耳をほじって舌を出している。
「おい、あの性悪聖女は頼んだぜ?勇者様」
「…ありがとう。シオン様をお願いね、ワカナチ」
膝をついて手を翳したワカナチに、父は「待て待て、何が何だか…」と慌てたが、ワカナチがぶっきらぼうに「俺は回復師だ。俺が回復するから、オッサンは剣を抜いてくれ」と言うと、父は信じられないと言うふうに「人は見た目によらんなぁ」と首を捻った。
「ふん」と鼻を鳴らしたワカナチの、回復が始まった。
「抜くぞ、若造」
「ゆっくり抜いてくれ。焦るなよ」
「あ、ああ…」
シオン様から剣が完全に抜けた時、「ぐうっ…」と、くぐもった声が漏れた。
それでも、傷口はみるみるうちに塞がっていく。
素行も口も悪いけれど、ワカナチの回復師としての腕は一流だろう。
(良かった…)
シオン様の胸が上下しているのを見て、私は心から安堵した。
ほっと胸を撫で下ろして、呼吸をひとつ整えてから、シオン様の傍らに転がった剣を取り、ラピに向かって構えた。
距離はある、けれど先ほどの余裕そうな顔とは打って変わって、ラピは明らかに私を恐れ、震えていた。当たり前だ、彼女は第一線で私が戦っている姿をその目で見ているのだ。自分が逃げられないと知って震えが治らないのだ。
けれど、裏を返せば私の性格もよく知っている。彼女は私に懇願しようと試みた。
「メ、メイリー…!私をころ、殺す?殺すの!?」
「国王陛下が生け捕りにしろとのことよ、ありがたく思うことね」
「…は、はは…。な、なんだ!なぁんだ…!!なら良かったわ!」
「!!!」
何を思ったのか、ラピは地下牢への階段を駆け降りて行った。
(この状況で、今更なんだと言うの!?最後の悪あがき?それにしても幼稚すぎじゃない?)
地下牢は行き止まりの筈だ。当然、出入り口はこの階段しかないのである。下に逃げて時間を稼ぐつもりなのだろうか。つまらないことをする。
仕方なく、私はラピの後を追って駆け出した時だった。
ラピが後ろ向きに、よろめきながら一段一段戻ってきた。
「ラピ、一体なんのつもり…。…!!?」
異様な気配に気がつく。地下牢から続く階段を、這い上がってくるような異質な気配。
「あ、ああ…」
ラピは私を横目に見て、口をぱくぱくさせた。
「?」
暗闇から何かが登ってくるのが見える。
その何かは嗄れた声で言った。
「…バランさんが言っていた、抜け道を探すつもりか…」
(誰なの、一体…!?)
「聖女・ラピ…。もう、お終いだ」
「ア、アルソン…!術が…切れて…!!」
「俺の…花嫁は、こんなシワシワを見て、これが俺だとは思わないだろうな…」
「禁断症状に、耐えたと言うの!?」
「全部、全部覚えている…。君を裏切った…一夜の過ちの罰は、こんなにも重い。許してくれ」
「アルソン?ちょっと…ねえ、やだ…」
太陽の光に晒されたアルソンという者は、白髪の老人だった。
衛兵の鎧に身を包んで、サーベルを持つ手は震えていた。
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