夢の中で/リーリエの告白(シオン王太子視点)
明るい、清浄な空間だ。僕はなぜここにいるのだったか、どうも思い出せない。
木々と、光と、柔らかな温もりに、思わず手を伸ばしたが、なぜかうまく体を動かすことができない。
(メイリーは、どこに…)
周囲を見回していると、どこからか声がしたので振り向いた…というか身体がうまく使えないので、勝手に視界が切り替わった感じだった。
さくり、葉を踏む音が嫌に鮮明に耳につく。
軽やかな足音は、次第にこちらへ近づいて明瞭な輪郭線をもたらした。
それはまだ幼い少女だった。
節目がちな瞳、小さな手を前で組んで、控えめな唇が震えている。
僕はこの少女に見覚えがある。
「…君は、昨日の花売りじゃないか」
「私のせいでこのようなことになってしまい、申し訳ありません…」
「このような…?というのはどういうことだろうか」
「ここは、あなたの夢の中です。…夢の中だとご自覚のない方と、稀に自覚のある方がいらっしゃいまして…回りくどい聞き方になってしまいました」
(ああ、なるほど、僕は夢を見ているのか)
「…うん?まるで人の夢の中に忍んできたみたいな言い方をする」
「…こんなことをしたら、きっと兄に叱られますから」
「悪いが、僕は君の兄上を知らないぞ」
どう説明したものか考えているのだろう。目線が泳いでいる。
(人の機微に至るまで、妙にリアルな夢だ)
「事実からお伝えしましょう。貴方は今眠りから醒めることができずにいます」
「おいおい、子どもだからって度が過ぎた冗談だ。一体なんのこと…」
ずん、と体が鉛のように重くなった。今まで以上にうまく身体が使えない。
「現実の貴方は寝返りすらうてず、無意識になんとか体を動かそうとしているのが夢に反映されているのでしょう。苦しいですよね…申し訳ありません」
「なるほど、ただの夢じゃないのは本当らしい。…メイリーは…俺と一緒にいた女の勇者はどうしている!?」
「メイリー様は、兄と共に神殿へ向かいました」
良かった、メイリーは無事なのだと思い至った直後、ものすごい不快感が湧き上がってくる。
「君の兄貴が…なぜメイリーと一緒なんだ。僕たちはザダクにいたはず。神殿までは一日じゃ着かないぞ」
少女は伏せていた目を両手で覆った。
「…私は、神官長にたくさんの言葉を奪われました。回復師の兄は、私の言葉を取り戻すため大金を積んで神官長を説得しようとしたのです」
「待て待て、なぜ君の言葉を神官長殿が奪うのだ」
「……私が、聖女だからです」
「聖女だって…?聖女はラピだけだったのではないのか?」
「血筋なのでしょう。私もまた聖女の力を発現しました」
(血筋…?聖女は血筋で受け継がれるのか?ならばこの子は…)
「君は、まさかラピと姉妹なのか?」
ふるふると頭を振った。その否定になぜか内心ホッとする。
それはきっと、身内が牢にいることへの罪悪感なのか、それとも少女の清らかさとラピの陰湿さがあまりにもかけ離れていてアンバランスさを感じたからなのかもしれなかった。
けれど、少女の口から語られたのは意外な事実だった。
「聖女・ラピは私の母です」
「…え?」
「私は聖女・ラピと神官長の娘、リーリエです」
「そ、それは…一体…大体君は幾つだ!?ラピはせいぜい十七、八の…」
「…ラピをご存知なのですね。彼女は、実際のところ齢百を超えております」
話がぶっ飛び過ぎて、くらくらする。聖女というだけで、実際の出自は謎に包まれていたことは確かだ。だが、身元は神官長が保証していたはず。
(いや、この子の言うとおり神官長との間に子を成しているのが事実だとすれば、初めから仕組まれていたことなのだろう)
「ラピは、交わることで異性を傀儡にすることができ、また自らの若さを保ってきたのです」
「あの自尊心はその力の賜物か…」
(なるほど。ラピは王国を乗っ取るために僕を傀儡にするつもりだったのか…。いや、きっと狙いは僕だけじゃない。王城を内部から支配しようという神殿側の企みか)
リーリエという少女は一度もラピを母と呼ばない。
「私は自然を操る力を持ちます。私が売り歩いていたあの百合は、毒化したものです。その毒に侵されれば目を覚ます事はありません」
「おいおい…随分と物騒な事をしでかしてくれたもんだな」
「けれどそれは、回復師によって目覚めさせることが可能です」
(なるほど?それで、回復師という兄が治療して金を巻き上げるという算段か)
「リーリエ、と言ったか。今君は十分喋れているじゃないか」
「…夢の中では心の中で会話していますから、自由に話すことが可能です。私と会った時のことを思い出してください」
『お花を買ってください』
確かにそれしか発さなかったので、奇妙に思ったのを覚えている。
「神官長にとって私は、言葉を奪うほど脅威だったのでしょう。それまでも私は愛されて育ったという記憶はありません。それどころか、私が二人の娘だということはほとんどの者が知らないと思います」
「君の兄というのもラピの…?」
リーリエはふりふりと頭を振る。こういう仕草に幼さを感じるが、見た目に反して言葉遣いだけは妙に大人びていて、両親に愛されたことがないという彼女の言葉はなんとなく納得した。
「神殿は捨て子を積極的に受け入れます。兄も東の国から流れ着いた捨て子でした」
「なぜそれを兄と呼ぶんだ?」
「私も捨て子達と共に育ちましたから。つまり、彼らにとって私は捨てたと同義なのです。周りの子どもたちはまさか私が聖女と神官長の子などと夢にも思わなかったでしょう。よくいじめられました」
両親が近くにいながら、何という生い立ちだろう、僕の心は少なからず傷んだ。
「兄は私に特別優しくしてくれて…。そればかりか、怪我をしてばかりの私のために回復師になったのです。血の繋がりよりも深く、兄を本当の家族だと思っています」
「つまり、そんな兄だから僕の目が覚めなくても許せと?」
「そんなんじゃ…!そんなんじゃありません!」
大きな声を出した自分を恥じたのか、リーリエは急にしゅんとおとなしくなった。
「私は、私のためとはいえ人々を傷つけるような事は…とても…」
「ならなぜこのような事を?百合の花を毒化したのも、売り歩いたのも君自身だろう?」
「仰る、通りです。私は自分がしてしまったことの大きさに、死んでしまおうと思いました。私さえいなくなれば不幸の連鎖は断ち切れると…」
「…君には少なからず同情する。訴えようにもその手段を持ち得ないのだからな。だがしかし……」
「メイリー様が…兄を説得してくれたのです。このままでは同じ事を繰り返すことになる。だから、私の言葉を取り戻すために神殿へ向かったのです」
「だから、なぜそうなる…!!回復師の兄とやらにさっさと目を覚まさせて…」
「…お金を払えない人たちは目を覚ませないでしょう!?わ、私の…私のせいで…!!!」
「そんなもの…そんなもの、こちらで全部払う!!!!」
ぐぐぐ、と腕に力を込める。わずかでも動けば、と顎を食いしばる。
「え?ええ…?」
「くそっ!!!メイリー!!!!僕を置いていくんじゃない!!!」
「あ、あの…」
「目が覚めるまでなんて待ってられるか!!!自力で目覚めてやる!!!」
「そんな、本当に…」
重たい瞼が、ほんの少しだけ開いた気がした。夢と現実とが二重移しに見える。
宿の女将が僕を覗き込んでいるのか、少女の顔と重なった。
薄ぼんやりと消えていく少女は、何かに気がついたようにハッとした。
「…あ、あなたは、もしかしてシオン王太子殿下なのではないですか?」
「君は聡いな」
「ラピは…」
言いかけた少女は、複雑な笑顔を浮かべて消えた。
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