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ある初夏のこと①(ワカナチの懐古)

「あ、ケガレだ。ばっちー。目線汚されたんだけど。さいあく」

「早く目ぇ洗えよ。ぜってえ洗うまで俺を見るなよ」

「分かってるよ。っていうかなんであいつチョロチョロしてんだよ…ほんと、うっとーしーわ」

「あの顔の模様、式人(しきも)が彫ったんだろ?こえーよ。気味わりー」


 泉からバシャバシャと跳ねる水の音が聞こえてくる。

 少年の一人が目を洗っているのだろう。


「なんか、毎日島中歩くらしいぜ?ケガレを集めて回るんだと」

「なら夜やれば良くね?」

「いや、真っ暗で歩けんだろ」

「だからって、ばったり会いたくねーよ」

「まあ、十歳になったら西の大陸に捨てられるんだからあと二、三年の我慢だろ」


(…こんなんで本当に島中のケガレが俺にくっついてくるのか?磁石みたいに?)


 でも、産まれた時からそう決められたことである。そうじゃなかった瞬間など一時もなかった。


「早くいこーぜ。海で魚釣ろう」

「やだ、俺蟹取る」


 きゃっきゃっとはしゃぎながら駆けて行った。今までこちらに向かっていた嫌悪は遊びの好奇心に打ち消されたらしい。

 こちらはただただ虚しさが残るだけだ。


(あいつらのケガレも俺にくっ付いたのだろうか…だとしたら、なんか…やだな)


 父ちゃんは目が見えないから働けないし、母ちゃんは心の病でずっと籠っている。二人が元気な頃の記憶は靄がかかって覚束ないけれど、いつもそれを大事に取り出して真綿のような温もりを思い出していた。

 俺がケガレを背負っているから、家の前に島の人からの供物がたくさん並べられた。お陰で食うに困らない。


(困らない、けど…)


 胸の奥がざわざわする。


「おや、ワカナチじゃないか」


 振り向くとそこには好好爺然としたミンミンがいた。式人(しきも)という祭事を執り行う老人だ。

 俺の顔の刺青も、産まれた時にミンミンが入れたのだ。


「…俺のこと見ると目が汚れるんだってよ。ミンミンも見ない方がいいんじゃないか?」

「ほっほっほ!目が汚れるなんて、さすがにそんなことはない」

「だってよ、漁師の子どもらが…俺のことそう言うんだ…」

「全くなあ。子どもらには、ワカナチのおかげで平穏に暮らせるということをなかなか分からんのじゃろうて」


 そうは言うが、満面の笑みの爺いは一定の距離を保ち、それ以上は近寄らない。


「なんで…こんな…。俺ばっかり…」

「そればっかりは星の巡り合わせじゃからなあ。みんなワカナチには感謝しておる。ほれ、家の玄関にブダイだのを置いてきた。他にも米だのなんだの色々と置いてあったでな、お前の好きな菓子なんかもあるかもしれんぞ。行って見ておいで」


 暗にさっさと立ち去れと言っているのくらい、分からないとでも思ったのだろうか。


(ミンミンは俺が産まれた時、あの笑顔で刺青を入れたのかな…)


 家は狭いが、島の中でも比較的新しい。

 いつものように玄関には供物が山のように置かれていた。ミンミンが置いたというブダイがこちらを見ている。


 島は決して裕福ではない。けれど、俺の家に置いてある供物を黙ってくすねるような人はいない。律義とも言えるが、裏を返せばそれだけケガレが嫌悪されているということでもある。一度供物として置いたものを食ったら腑が腐るだなんて言っているのを聞いたことがある。


「父ちゃん、母ちゃん、今帰って……」


 玄関から奥に向かって細く細く光の筋が伸びている。その光の筋は、異様な光景をくっきりと映し出した。

 なぜか父ちゃんが、母ちゃんが寝ているのを見おろしている。


「父ちゃん?」


 ぐりん、とこちらを向いた父ちゃんは俺の目をまっすぐに見た。

 目が見えないはずの父ちゃんは、まるで目が見える人みたいに、俺を見たままこちらに向かってきた。


「ワカナチ、母ちゃんが死んだ」

「え…」

「埋めるから手伝え」

「何、言って…。父ちゃん、変だ…。母ちゃん!!かあちゃ…」

「行くな!!!」

「なんで…だってさっきまで普通にしてて…」

「良いか?見るな、聞くな、触るな。お前はただ穴を掘って来い。俺が埋めるから絶対に見るんじゃねぇぞ」

「なんだよ!それ!!」


 ばっちーーん、と頬に鮮烈な痛みが走った。


「いうことを聞かないなら、次は拳だぞ」

「父ちゃん、まさか、目が見えて…」

「…ああ、見える。よォく見える。昔から視力は良い方なんだ」

「な…どういう、ことだよ…」

「無駄口聞いてねぇでさっさとやれ!!」

「ま、待ってくれ!だって死んだら葬儀するんだろ!?なんだってすぐ埋めるなんて…」

「…穢れの家の葬儀なんて、誰が手伝うってんだ。俺たちでやるしかねぇのよ」


 父ちゃんに言われるがまま、家の裏に穴を掘り続けた。どんなに頑張っても、人一人が入れる穴なんてそうそう簡単に掘れるもんじゃない。

 なんとかそれなりの深さに掘り下げた頃にはとっくに深夜になっていたと思う。

 豆だらけの手を庇いながら、汗と泥に塗れた体を拭いていると、父ちゃんが母ちゃんを埋めている音が聞こえてきた。


 そっと、窓の外を覗き込んでみる。

 暗くてよく見えなかったけれど、父ちゃんは悲しむでもなく淡々と作業をこなしていた。


「…これでお前に働け働けって言われなくて済むなあ」


 その言葉に思わず口を押さえてしゃがみ込んだ。


(どう言うことだ?)


 どくどくと心臓が脈打って、呼吸が浅く早くなる。

 さっさと布団に潜ってしまおう。明日になればきっと普通の日常が戻っているはずなんだ。


 そろ、

 四つん這いで布団に向かおうとした時だった。


「おい」


 頭の上から父ちゃんの声がした。


「っ…!!」


 初めて目を合わせる父ちゃんの瞳が変にギラついて、恐ろしくて冷や汗が背中を伝う。


「見てたのか」


 ぶんぶん、

 何度も何度も首を振った。

 父ちゃんは俺を通り越して、乏しい蝋燭の光の中でほとんど腐ってしまったブダイを鍋に放り込んだ。

 無言で調理している姿を、ただ立ちすくんで見守るしかなかった。


 やがて適当な皿に盛って、酒瓶を煽って魚をつついている。父ちゃんが、こんなにスムーズに食べている姿は初めて見る。


「お前は食わねえのか」


 ぶんぶん、と頭を振る。


「なんで…なんで母ちゃんは死んだんだ…」

「さァな」

「と、父ちゃんは悲しく、ないのか?」

「悲しくなかったら、なんだってんだ」

「だって…家族じゃ、ないのか?」

「ぐだぐだうるせえ!!!」


 がん、

 コップが叩きつけられて、酒がこぼれてその手を濡らした。


「いいか、ワカナチはあと二年もしたら島を出る。そうしたらウチはもう供物なんぞもらえないだ。どうやって食ってったら良い?」

「えっ…」

「と、母ちゃんは毎日俺にそう言ってな。ほら父ちゃん目が見えないから働けねぇだろ?」

「そんな、だって本当は見えるんだろう?」

「見える!でも働くのは嫌だ。だからずっと見えないフリをしていたんだ。でもワカナチが大きくなる度、母ちゃんうるさくなってなあ」

「ま、まさか…それで母ちゃん殺し…」

「人聞きの悪い。先に父ちゃん殺そうとしたのは母ちゃんだぞ。よっぽどお前が出ていくのが不安だったんだろうなあ、父ちゃんのこと刺そうとした。この包丁で」


 どかっ!とものすごい音でテーブルに刃物を突き立てた。

 父ちゃんは続ける。


「まさか父ちゃんが避けるなんて思ってないもんだから、驚いたんだなァ。だってほら、目が見えないと思ってるからさ、母ちゃんは。簡単に殺せると思ったんだろうな。余った勢いに転んで自分自身に刺さっちまった」

「父ちゃん、どうかしてるよ…」

「なんで父ちゃんがどうかしてるんだ。殺そうとしたのは母ちゃんだぞ」

「だって目が見えないフリをしてたなんて…」

「ならお前が働け。ウチは物が貰えても金はねぇんだ。かかりたくてもワカナチくんのお陰で医者にも診てもらえないんだ」


(これは、この人は、本当に父ちゃんなのか?)


 父ちゃんはいつも、

『目が見えなくてごめんな』『働けなくて申し訳ない』『ワカナチ、お前のおかげでご飯をいただける』

そう言って、気弱で、どこか誰かに怯えている風で…。


(こんな父ちゃんは知らない)


「あと二年か…。ワカナチ、あと二、三年伸ばせないか聞いてみてくれよ」


 俺は日の出まで、狂ったように島中を走り回った。

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だから人を信頼出来なくなったのか・・子供のながらにこんな・・
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