【外伝】
「勇者・リリエッタの最大の功績はなんであるか。出席番号三番」
黒板に大きく描かれた大陸の地図に、指し棒で我が国をコツリと示して先生が問うた。
「はい、南国のトラッタを皮切りに、諸外国が我が国の魔物を駆逐しようとしたのを食い止めました」
「その通り。今では明日の課外学習で行く予定の観察公園の保護区域でのみ、魔物の存在を知ることができるのです」
ざわざわ、とあちこちで生徒たちが話し始めた。
「ねえねえ、明日一緒に回るでしょう?」「班が決まってなかったっけ」「観察公園なんて、小学科じゃあるまいし」「サボっちゃう?」
(うるさい)
「静かに。授業中ですよ」
言いながら、先生が前から順に紙を配る。
(げっ)
「今から小テストを行います」
「「「えぇーーー!」」」
明らかな反発の声。それを遮るように片手で制して「始め」と言うと、反発の声はピタリと止んだ。
問題文を読みながら、かちり、とシャープペンシルの芯を出す。
問一、リリエッタの持つ剣を何というか。
(フェンネルの剣、と)
問二、リリエッタのパーティメンバーを答えなさい。
(ワカナチだわ、簡単ね)
問三、勇者が活躍したのはおよそ何年前であるか。
(千年前、っと)
窓からカーテンを踊らせて、教室の中を風が抜ける。
テストは全て答え終わってしまったので、ぼうっと窓の外を眺めた。
(千年前もこんなふうに青い空だったのかな)
勇者・リリエッタ、その素性は全くわかっていない。なぜこの世界に突然勇者が現れたのか、フェンネルの剣のフェンネルとは一体何の名前なのか。
(フェレネアという土地の名前だという説もある)
「クレア・ミュークレイ!」
「!!?」
「テストを回収しますよ!授業に集中しなさい」
「すみませんでした…」
くすくすくす、
クラス中の女子が私を見て笑っている。真面目でガリ勉の私が注意されているのが面白いのか可笑しいのか。
(どうせクラス中から嫌われているから関係ないけれど)
地味な黒髪、分厚い眼鏡。いつも猫背で歩いている私。
教科書に載っている肖像画をまじと見た。
(ブロンズで碧眼のリリエッタがうらやましい)
ため息が出る。うちの家系は黒髪が多いから土台無理な話だ。
「染めたい!?あなたいくつだと思っているの?馬鹿言わないで頂戴」
「だって…」
「まったく、ミュークレイ家の黒髪は誇りですよ!?何代も前、ミュークレイの娘がその黒髪を王家に身染められて…」
「今と昔では時代が違うわ!」
「とにかく、うちは認めません!それより明日は課外学習なのでしょう!?準備はできているの?」
(王家に見染められたなんて、家系図も残っていないし、ただそう伝わっているというだけだわ)
わざと大きな音を立てて扉を閉めたくなったけれど、そんな勇気はなかった。
(…私に足りないものは髪の色なんかじゃない)
そんなことは分かっている。ミュークレイ家が大財閥であろうと、私が冴えないから無視されているのだ。全てはもっとシンプルなのである。
「明日、行きたくないな…」
勇者・リリエッタのことは好きだ。だから本音で言えば明日の課外授業は楽しみだったのだ。彼女のことは史実でしか知らないけれど。
「かっこいいな…私にはないものばかり持ってる」
勇者になると言った時、リリエッタの家族は反対しなかったのだろうか。千年前なんて、女は家庭に入るものという考えが今よりも強かっただろうに。そして、ワカナチとは恋に落ちたのだろうか。
私は考え事をしていて、いつの間にか眠りについてしまっていた。
「クレア・ミュークレイ!遅刻ですよ!優等生のあなたが…珍しいこともあるものです」
「す、すみません」
くすくすくす、
嘲笑の声に囲まれながら、先生に頭を下げる。
「みなさん、本日保護区域内を案内してくださるベラルドさんです」
よく焼けた肌のお爺さんがぺこりと会釈した。
「えー、ベラルドです。お約束事がありますのでよく聞いてください。区域内の魔物たちはおとなしいですが、決して大声を出したり触ろうとしたりしないようにしてください」
「「「はぁーい」」」
「では、先頭の班からついて来てください」
私は一班なので、先頭へと駆ける。
ドン!
後ろから誰かに強く押された。
「邪魔」
「え、で、でも私一班…」
「一緒のグループだって思われたくないから。こっちに来ないでよ」
「そんな…」
続く二班、三班とも「入らないでよ」「あっちに行って」と言われてしまい、結局かなり距離を置いて着いていくこととなってしまった。
(ベラルドさんの声が全然聞こえない…)
褐色の肌の老人は、なにやら大型の魔物に指差して説明している。
あれは何だろう。優しい目をしている。
(あれが、リリエッタが守りたかった魔物…)
ほうと見惚れる。他の動物にはないような色味や肌感、無機質なようで温かみのある瞳。
「…君は魔物が好きなのかい?」
「わ!びっくりした」
見ればそれは、案内係のベラルドさんだった。
「後ろの方にいるから、てっきりお友達と喧嘩でもしたんかと思ってな」
「そんなんじゃ、ありません」
くるりと見渡すと、先生もクラスメイトも姿が見えない。
「あれ?みんなは…」
「…君、ずっと見惚れてただろう」
「え?私が?」
「魔物のことは好きかい?」
「いえ、そんなんじゃないです。かわいくないし。ただ、リリエッタはなぜ魔物を守ろうとしたのかなって」
「ほお、君は勇者・リリエッタが好きなのか。うん、それは何十年も前に議論になったことがある。生態系に影響するからじゃないか、とかな。けれど儂は人間の都合で駆逐される命があってはならんと思ったからじゃないかなと」
「じゃあ、なぜ駆逐しようという動きがあったのでしょうか」
「もっとずっと遥か昔は魔物が獰猛だったらしい」
俄かには納得できない。保護区域でしか生きられないような生物が?
「不満そうな顔だ。納得できないかな」
「たった千年で生物の強弱が変わるものでしょうか」
「まあ、そうだな。とにかくリリエッタの時代のことは何もわかっておらんからな。今とは違って王様が統治していた世界のことだから」
「なら、なぜ女であるリリエッタが諸外国相手に魔物を守ろうとしたのでしょうか。王様がなんとかすれば良かったのでは?」
「はっはっは!そうだなあ、リリエッタは女王だったという説もあるから何とも…」
「そんな話は授業で習ってません」
「さて、授業で習うことばかりがいつも正しいとは限らん。例えば、こんな説もある。リリエッタは本当はいなかったのじゃないか、という都市伝説だ」
「そんなはず…」
「リリエッタという名前の騎士団が乗り込んだとか、何人もがその名を名乗っていたとかな」
「ワカナチは!?ならワカナチの存在はどうなるのですか!?」
私は珍しく声を荒げた。ふぉふぉふぉ、と老人は笑う。
「今のはあくまでも一説に過ぎないがの。ワカナチというのは東の国の名前じゃろ?東国と交易のなかった時代に、どうしてパーティメンバーに東国の人間がいるのかというのは、いまだに謎だ」
「そんな…」
私が明らかに落胆してしまったのを見て、老人がちょいちょいと手招きした。
なんだろうと着いて行くと、そこには大地に深く刺さった剣と、剣を守るように魔物が取り囲んでいるのが見えた。
「あれは、フェンネルの剣だ」
「え!?まさか!だって博物館で見たことがあるわ!?」
「それはレプリカっちゅーやつじゃろうて。本物は勇者じゃないと抜けぬのだからの。ほら、だから今もリリエッタが大地に刺したまま、ああして次の勇者を待っている」
「次の、勇者…。ベラルドさん、リリエッタの前にも勇者がいたのでしょうか」
「まあ、これも都市伝説みたいなものだが…リリエッタの母親が勇者として活躍したらしいという話が東国に民謡として伝わっている」
「え?東国に?どうして」
「…そう考えると、ワカナチは本当にいたのかも知れぬし、あるいはその子孫が伝えたのかも知れない。不思議なことに我が国よりも、東国にリリエッタの母親ではないかと思われる昔話が幾つも残っているんだ」
そんなもの、初耳だった。
世界は私の知らないことで溢れている。
「私…学者になりたいんです。でも全然だめだわ」
「あんたはまだ若い。諦めるよりも前に実行したら良い。やりもせんうちからダメと決めては自分が可哀想だ」
(そうか、私は勇気がないんじゃない、諦めてばかりだったんだ)
「ベラルドさん、フェンネルの剣を触ってみても?」
「触ろうとすると魔物が怒るでな、やめた方が無難だ」
ざわざわざわ、
ざわめきが耳元に戻ってきて、今までどんなに静寂に包まれていたのかを知る。
(あれ?私…)
見れば遠くの方でクラスメイト達がベラルドさんを囲んで説明を受けていた。
私は一歩踏み出す。
フェンネルの剣を守る魔物達が私をちらりと横目に見たが、安心し切ったように昼寝の体制に入ってしまった。
恐る恐る手を伸ばして、剣にちょん、と触れてみる。冷たいはずなのに、なぜか温かいような不思議な感触がした。
柄を持ってぐっと持ち上げてみる。
それはいとも簡単に抜けてしまった。
「あれ?抜けないはずじゃあ…」
ちら、と周囲を見渡す。とても悪いことをしてしまった気がして、また深く地中に剣を突き刺した。
心臓の鼓動が早くなる。
小走りでクラスメイトの方へと戻った。私が戻るや、一人の女子生徒が蔑んだ目で言った。
「ちょっと、こっちに寄らないでよ。あなたと同じクラスメイトだと思われたく…」
「うるさいわ。黙って頂戴」
私が初めて強く反抗したので、驚いて押し黙ってしまった。
ふふ、と笑みが溢れる。ベラルドさんは私を見て口角を上げた。
今日、帰ったら両親に相談してみよう、東国に留学できないかって。
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