1話
※現在カクヨムにて続きを連載しています。
6話以降の新規投稿はカクヨムへお願いします。
「なぜ大学に行かないの、もったいないわ」
スーツ姿で疲れ切った顔の母から放たれた言葉が、私の人生を変えると、この時は考えていなかった。
「大学に行かなくても、やりたいことはやれるでしょう?」
「やりたいこと? そんなのあるわけないじゃない、私の苦労を見て、そんなこと言うなんて……」
「違う。私は…………」
あぁ、ダメだ。
今日も母に言い返せない。
――一華はいいよな、自由で。
落胆と共に、いつぞやだか弟である一颯に言われたことを何故か思い出していた。
違う、全然自由なんかじゃない。
運動や勉強をすることも、今の高校を選んだのも母に言われたから。
私の意思なんて全くない。
――私なんてバレーしかないのに、どっちも頑張ってるのえらすぎるじゃん。
うちのママ、一華の爪の垢を煎じて飲めって言われるもん。
あの時は笑い流していた親友の何気ない愚痴が、今になって刺さる。
違う、どっちも私のやりたいことじゃない。
怒られるからやっているだけ。
偉くなんてないよ、周りは好きなことに一生懸命で、とても羨ましかった。
みんな、私のことを分かっていない。
母に言われるがまま生きているだけなのに、なんでそんなこと言えるの?
「――やりたいことがないのに、大学に行く方がよっぽど無駄だよ! だいたい、そんなお金、お母さんは持ってないくせに!」
「無駄? 今は分からないでしょうけど、後になって後悔するのはあなたなのよ?」
「お母さんがもったいないと思ったらすぐやめさせるのに? やりたくてもやらせてくれなかった後悔は見て見ぬふりするくせに! いつまであれこれ言わないと動かないと思ってるの? お母さんに私の何が分かるって言うの!」
もう限界だった。
あの後も色々言っていた気がするが、目の前にいる人に感情をぶつけるのもだんだん煩わしくなって、勢いでマンションの一室から飛び出て夜の住宅街を走る。
涙で滲んで私が観る世界は輪郭を失せて曖昧になっていた。
土地勘に頼りながら何も考えず走り続けると、やがて煌びやかな光が見えてきた。
立ち止まると鼓動がどくどくと規則的に鳴っているのが伝わってきて、マラソンした時の高揚感を思い出す。
しばらくして冷静になり、袖で涙を拭うと、周りに目を遣る。
遠くにそびえるビルに光が灯っていて、その姿にかすかな見覚えがあった。
記憶を辿ると、それは渋谷駅近くに最近出来たビルだと分かった。
何時間も走っていたような感覚に陥っていたが、知っている場所を見つけて、安堵の気持ちが湧いた。
残暑が続いているようでまだ暑く汗が止まらず、喉が焼けるように痛くて息も苦しい。
夜なのに駅前は人の気配が絶えず、いつもよりうるさく感じた。
「ばからし……」
自分の格好を見て嘲る。
スポーツブランドのロゴが入ったTシャツにジャージ姿で、傍から見ればランニングしているように見えても、部屋着として着回しているもので、しかも財布どころかスマホすら持っていなかった。
お金も連絡手段も持たず、ここまで来るなんて本当に馬鹿だ。
これからどうするか考えるのも面倒くさい。
あてもなく駅の周辺をさまようと、怒号が耳に入ってきた。
「そんな趣味ねーって!」
男っぽい声の割に、私の知っている男より圧が弱めで、気になった私は思わず声のする方へ振り向く。
「あ〜? ちょーっと遊ぶだけじゃん」
「しつこい、誰が行くか! ――ッ」
ネオンの明かりに反射されて見えにくいが、ゆるふわなハーフアップにお洒落なスカートタイプのスーツを着ているのが分かった。
その格好に見合わないゴツいリュック、パンプスを履いてなお150もなさそうなちんちくりんな子が、大学生くらいの派手そうなお兄さん2人に絡まれていた。
「可愛い見た目のくせに口悪いねぇ。俺ぇ、メンタル豆腐だからさぁ、優しくしてくれよぉ」
「おぉ。おにーちゃん、ときめいちゃったなぁ。泣かせたくなっちゃうね」
「あぁ? きっもいな、離せっ」
ガタイのいい男の方に腕を掴まれて、必死に振り払おうとしていたが、見た目通り非力なようで、振り解けていない。
それでも威勢だけはよろしいのか、必死に抵抗している。
体型的に小学生……いや、服装が大人っぽいから、せいぜい中高生あたりだろうか。
下手したら私と同じ歳かもしれない。
なんたってここは、夜中でも若い子が着飾って歩き回る治安の悪い場所で有名らしいから。
……らしい、というのはこの時間帯にあまりこの辺を歩いたことがなく、先生や友達が話していたのを聞いていただけで、実際見たことはなかった。
周りを見れば、私と同じくらいの歳の子が何人か制服に限らず、お洒落な服装で歩いていた。
この子も例外ではない。
こんな時間に着飾って何をしているんだろう。
塾やバイト帰りではない上に、何も持たず、部屋着で飛び出した私も言えたことじゃないけど。
お兄さんたちは友達というより所謂ナンパというやつなのかもしれない。
見た目が凄くチャラいし、あの子も大分困っているというか、振り解こうと必死だし。
ただの友達ならそんなことしないよね。
いつもの私なら助けようとは思わなかっただろう。
でも、この時は何故か助けなきゃと思ったのだ。
いざとなれば、あの子を連れて走ればなんとかなるかもしれない。
そう考えながら深呼吸して、ガタイのいい男目掛けて近寄ると腕を掴んだ。
「あ?」
「え……」
いきなり手を掴まれたガタイのいい男は、私をじろじろと見つめてきた。
「嫌がってるでしょ、離して」
「なんだ、おめぇは」
「何? こいつのおねーさんかなんか?」
ひょろそうな男が小柄な子に目配せするが、小柄な子は2人の目配せをスルーして私を見つめていた。
ここは話を合わせた方がよさそうな気がするなと瞬時に頭を回転させていた。
「――はい、私の妹です。一緒に帰るつもりだったんです」
「お、おい……」
小柄な子が口を挟んできたので『お願い、話を合わせて』と目配せをした。
すると、ガタイのいい男が私に目線を合わせながら、舌を舐めずる。
「じゃあさ、一緒に休憩してこーよ。ちょうど4人になったしさ」
「いいなそれ。4人でお楽しみするのも悪かねぇ」
2人で勝手に盛り上がっている。
危険を察知した私は思わず掴んでいた腕を放しそうになった。
うわ……お兄さんたち、なんかキモい。
と、ドン引きしつつ、なんですぐ引いてくれないんだろうとだんだん腹が立ってきた。
「行くわけ――」
「ちょっと! こいつは関係ねぇ、さっさと離せっ」
小柄な子が私を庇うように声を被せる。
なんで逆に私を助けようとするのか、分からなかった。
しかし、さっき走ったせいだろうか、ドーパミンが溢れ出ているようで、不思議と怖くなかった。
それどころかさっき母とやりあった時の怒りがだんだん溢れてきた。
その矛先を全て片足に向けるように地面をダンッと叩くと、3人がびくりと固まる。
「……今、と〜っても虫の居所が悪いんですよね。ただでさえ疲れてイライラしてるのに、妹も探さなきゃいけないしで、早く帰らせてほしいんだけど」
「だったらホテルでさ――」
ひょろそうな男がニヤニヤしながら私の方に近寄ってきたので、睨みつける。
「しつこい。警察呼んでもいいの?」
すかさずポケットに手を入れる。
スマホは持ってきてないし、呼ぶ手段なんて1つもない。
でも、ハッタリとしては十分だと思いたい。
「なぁ先輩、こいつ怒らせたらやべーかも」
ひょろそうな男の方は私のハッタリが効果てきめんだったらしく、ビビってガタイのいい男に縋る。
「ちっ、ガキが大人づきやがって」
「――ッ!」
ガタイのいい男が掴んでいた腕を振り払うと、その拍子に小柄な子がこちらに飛び込んできて、反射的に受け止める。
重そうなリュックごとのしかかっても軽く、余裕で私の体にすっぽり収まった。
男たちの姿が見えなくなると、小柄な子がもぞもぞと動く。
「あ、大丈夫?」
「ん……、あたしは大丈夫。すまないな、巻き込ませちゃって。これだから、夜の街は嫌いなんだよな」
小柄な子は私に抱えられながら溜め息をつく。
男っぽい声だと思ったが、よく聴けばハスキーっぽい感じの舌っ足らずな喋りだ。
喋り終わると舌打ちしてきて、とても生意気そうな子供という印象を持つ。
まぁこのくらいの子供なら仕方ないか。
「はぁ。こんな時間だし、またナンパされないうちに早く帰った方がいいんじゃない? 親も心配してるんじゃないかな……」
私も言えたことじゃないが、どう見ても私より歳下っぽそうだし、別にいいよね。
「……悪いが、仕事終わったばっかでお腹すいてんだ」
思わず絶句した。
仕事って……この子、もしかして私より歳上なの?
この見た目で?
小柄な子――もといおねえさんは、私から離れて身なりを整えていた。
体をあちこち触って怪我がないことを確信したらしく、顔を上げる。
ネオンの明かりによく照らされて見えた顔は、童顔の割にあどけなさは全くなく、どちらかというと可憐で、形容し難い感情を押し留めようと一瞬黙ってしまう。
「あぁ、そうだ。まだご飯食べてないなら、よければご飯、一緒にどう? お礼に奢るよ」
「あ、はい……」
完全に思考停止した私は、目の前にいるちんちくりんなおねえさんの申し入れを一言で応えるのが精一杯だった。
成人だと思われたらしく、居酒屋に連れて行かれた。
店員に年齢確認をされ、身分証明するものがないと説明していると、おねえさんは私に対して疑惑の目を向けてきた。
結局、身分証明出来ないせいで居酒屋を諦めて、近くのファミリーレストランに入った。
奥の方へ案内されて、おねえさんがリュックを先に降ろすと奥の方に詰め込んで、空いたところに座った。
棒立ちの私に座らないのかとジェスチャーされ、慌てて対面になるように向かい合って座る。
「まぁいろいろ聞きたいことあるけど、先にご飯ね。お礼ってことだから、好きに頼んで」
おねえさんがメニューを取って開くと、仏頂面になってページを捲る。
一緒にメニューを眺めて食べれそうなのを探す。
「えと……じゃあ、これで」
さっきご飯を食べていたが、走ったせいでカロリーを消費したらしく、ボリューミーなハンバーグセットがどうしても魅力的に見えた。
値段は他のセットより安めなのも目についたので、それを選んだ。
「他は?」
「あ、飲み物もほしいです」
そういえば喉がカラカラなのを思い出した。
「じゃあドリンクバー付けよう。デザート頼むけどいる?」
「お構いなく」
助けてあげたとはいえ、見ず知らずの人にそこまで厚かましいことは出来ない。
「好きじゃないのか」
「あ、好きですけど……」
「好きなら遠慮なく頼んでいいんだぞ」
なんだろう、凄く圧を感じる。
「……じゃあ言葉に甘えて、これを」
適当に目に入った、今時期のフェアで大きく写っていたパフェを指差す。
値段を見るといつも頼むケーキより少しお高めで、それに気付いた私は訂正しなきゃと慌てた。
しかし、おねえさんは懸命に手を伸ばして呼び鈴を鳴らしていた。
あぁ……やってしまった。
しかも、よく見ればパフェの写真には苦手なキャラメルを垂らしている。
縮こまっていると、おねえさんは注文し終えたらしい。
ドリンクを取りに行くと言われたので、お茶ならなんでもいいですとお願いする。
戻ってきたおねえさんは、ジュースがあまり好きではないのか、私と同じお茶を選んだようだ。
しかも、おねえさんのは氷なしで、私に渡されたのは氷入りだった。
私は喉の渇きに負けて、受け取るなり一気に飲み干した。
そんな私をな表情で眺めながら、おねえさんはコップをちびちびと傾けている。
視線が気まずくて、私は空のコップを見つめたまま動けなくなる。
「ふぅー。改めて助けてくれてありがとな」
「いえ……」
おねえさんがゆるふわな髪をするりとかきあげながら頬杖をつく。
その所作が綺麗で追いかけるように眺める。
「で、言いたくないことあるなら答えなくていいんだけど、ただのランニングじゃないよな。なんで財布とか持たずにあそこへ?」
いきなり触れられたくない話題で身構えた。
うっ、そんな言われ方されるとランニングですって誤魔化せない。
「あ……うん、その、親と喧嘩しちゃって」
「ふーん、ちなみに何歳か聞いても?」
ここで年齢を聞かれるとは思わなかった。
親と喧嘩しているって、やっぱり子供のすることなんだろうなと半ば諦める。
「……17歳です」
「まだ高校生!? 男を追っ払うくらいだし、大学生くらいかと思った。度胸あんね〜」
「は、はい」
だらしない部屋着なのに大学生と思ってくれたんだと驚きが先に来た。
普段の私なら追い払える度胸ない。
今までの鬱憤を吐き出しただけだったから、それで追い出せたのは助かったかもしれない。
「んー、まぁまぁ……ご飯食べるくらい大丈夫か……うん」
おねえさんは腕時計をちらっと見て、溜め息をつく。
ファミリーレストランに着いた時点で22時過ぎていたし、申し訳なくなった。
「すみません、逆に迷惑かけてしまって」
「いや、勝手に成人してると思って確認しなかったあたしも悪い。それに、お礼もしたかったんだし」
「こちらこそ、子供だと思って助けちゃいましたけど」
妹って言っちゃったし、なんなら親が心配してるから早く帰った方がいいと子供扱いしてしまった。
「そういうのは慣れてるよ。ま、未成年に助けてもらったの初めてだけど」
そう言って肩を竦めながらコップを傾ける。
ですよね。
子供だと思って助けたら歳上だったって、これから先経験しないかもしれない。
おねえさんの顔を見ると、顔つきはどことなく中高生っぽい。
声だけ聞けば、声変わりが始まった男子中学生を思わせるのに、身なりや所作はきちんと大人びている。
どこかちぐはぐに感じられた。
黙っているとクールというよりヤンキーっぽい。
口調と目つきのせいかな。
この場で煙草を吸っていても違和感ないと思う。
明るめの橙色の髪も相まって、煙草が似合いそうな印象を受けるのは、偏見というより、おねえさんの佇まいのせいだろう。
「金もないんだっけ。親も心配してるだろうし、連絡してあげようか? 迎えに来てもらえるならその方が安心だし」
おねえさんの提案に、一気に冷水を浴びせられたように体が一瞬で冷えていく。
今は母と言葉を交わしたくない。
落ち着いたはずの怒りがぶり返しそうになる。
なんとか誤魔化して家へ帰らないようにしなけれぱ。
「家に帰りたくないし、大丈夫ですっ」
しかし、口に出てきたのは駄々こねた子供が言わんばかりの台詞。
とっさに口を抑える。
失敗した、これでは連れ戻されてしまう。
「ふぅん? どーでもいいけど、これからどうすんの。泊まるとこある? ネカフェとか身分証いるよ。あ、未成年はもう入れないか」
どうでもいいと言われたものの、話を聞いてくれるような言い方だったので、内心ほっとした。
しかし油断は出来ない。
考えなしに出ていったから、これからどうするかは考えていなかった。
学校もあるのに、制服も教科書もなんも持って来ていない。
それどころか財布もスマホもない。
友達の家……は歩いて行くには遠すぎるし、あまり遊びに行かないから、友達の親に気を使わせたくなくて頼れない。
結局、どう考えても詰んでいた。
「……どうにかします」
しかし見ず知らずのおねえさんに頼ることも出来ないし、困っていることを悟られたくないので、そう答えるしかなかった。
「ん〜。捜索願出されたらもっとめんどくさいよ? いろんな人が見えるとこに、この子探してますって顔出しで名前が書かれたのを貼り出されるし、家を出るまで近所の人たちから『あの子、昔家出してたんでしょ。親不孝で嫌ね』って指差されながら耐えていくんだよ?」
「う……」
マンションだし絶対有り得る。
そういえば、マンション内で既に似たような評判を母越しで聞かされたことがある。
○○号室の子は良くない噂があるから近付かないようにと。
マンションの人に家出がバレて捜索願を出されたら、面倒臭いことになるのは確実かもしれない。
「虐待とかで困ってるなら、警察か児童相談所に連絡して保護してもらおうか?」
「大丈夫です、虐待ではありません」
「どーも、こちらハンバーグセットと季節のクリーム煮パスタでぇす」
張り詰めた空気の中、おどけた声で店員が割って入ってきた。
空気が読めない店員のおかげか、少しだけ緊張感が薄れた。
私より少し歳上くらいの店員が自然にハンバーグセットをおねえさんの方に置く。
おねえさんはすっと私の方に移動させた。
「パスタはこっちに置いてくれますか」
「……すんません」
驚きを隠しきれていない店員が謝っていた。
おねえさんの方にクリーム煮のパスタを置いて、一礼する。
「呼び鈴してくれたらデザート運びますんで。なんか御用あればご遠慮なく呼び鈴押してください」
店員が去っていく。
バイトっぽそうだけど怒られないのかなと不思議そうに店員の後ろ姿をちらりと見る。
おねえさんが頼んだパスタを見ると、シーフードっぽいのにホワイトソースが掛かっていて、お洒落な雰囲気だった。
だから私が頼んだように見えたのだろう。
見た目だけで色々苦労してそうだな、とその一幕だけで勝手に同情していた。
「いただきます」
「あ、いただきます」
倣って手を合わせる。
おねえさんは相当お腹を空かせていたのか、既に食べ始めていた。
黙々と食べながら観察すると、適当に食べる私と違っておねえさんはパスタの食べ方も凄く綺麗だった。
口は凄く悪いのに、なんでこんな綺麗に食べるんだろう。
あまりにも差がありすぎて、一緒に食べるのが恥ずかしくなってきた。
「全然美味しくなさそうだね」
「あっ!? いえ、美味しいです」
「なんか眉間にしわ寄せてさ、こう、こういう顔してたからさ」
パスタを食べながら自分の眉間に指を押さえて、私の真似をするように渋い顔をしてみせた。
綺麗な子がそんな顔出来るんだと、動揺する。
そんな顔していたのすら意識していなかったので、穴があったら入りたい気分になった。
「あ、う……あ、あまりにも……食べ方が綺麗で……」
「……あん? なんて?」
聞き取れなかったらしく、聞き返してきた。
「食べ方が綺麗すぎて場違いだなって思っただけです!」
はっきり言い切った。
おねえさんは咀嚼していた口を止め、呆けた顔で私を見つめ――、
「――ふひっ」
パスタを口に入れたまま、気持ち悪い笑い声を漏らしていた。
食べながら笑う行為が行儀悪いと悟ったらしく、慌てて咀嚼して飲み込んで、咳き込んでいた。
忙しない人だなとぼんやり思いながら、その動きを眺めていた。
「んん、場違いて何。面白いこと言うね」
口角を上げながらそう言うと、何事もなかったようにスプーンの上でフォークを使って、くるくると麺を回していた。
「すみません。食べてるとこ、見られるの嫌でしたよね」
「いや、別に。たまに『綺麗な食べ方するね』って感想くれる人いたんだよ。でも場違いって言われたのは初めて」
そう言ってそのままスプーンで丸まった麺を口に入れる。
スプーン半分を口に入れると、そのままちゅるんと麺が消えていった。
「さ、さようですか」
「そうだなぁ、ファミレスみたいなとこでふつーはこんな食べ方しないか。でも、癖なんだよな」
「ああっ! ち、違います! 逆です。私が場違いだなって」
「んん? どういうこと?」
おねえさんは眉をひそめて首を傾げる。
「なんというか……真面目なところ? で食べてるみたいで、あれ、もしかして私の食べ方、汚くない? っておねえさんの雰囲気に呑まれちゃったんです」
言ってみたものの、語彙力が残念過ぎて伝わらなそうな気はした。
真面目なところって何。
なんかあるよね、こう、結婚式みたいにちゃんとした格好して行かなきゃいけないみたいなあれ!
あれってどう言えばいいんだろう。
そもそも結婚式って汚い食べ方したらダメだよね……?
小さい頃、母の友達が結婚式を挙げていて一緒に見に行ったことがある。
厳かすぎて、子供心ながらにきちんと振る舞わなきゃって緊張していた記憶しかない。
「……っふ、ぁはは!」
あわあわしながら腕をぶらぶらと動かしていると、おねえさんは吹き出すように笑い始める。
そうだよね、何言ってんだこいつってなりますよね!
しかし大分ツボったらしいのか、テーブルに伏せて苦しそうに笑っている。
そんなおねえさんを見て、少しだけど親近感が湧いた。
あんなに大人っぽい人でも子供のように笑うんだな……。
しばらくして、おねえさんが顔を上げる。
顔は真っ赤で涙を浮かべていた。
テーブルの端にあるナプキンを一生懸命手を伸ばして取ると、それで涙を拭う。
「ふあぁ……はぁ。久しぶりにこんな笑ったぁ。このあたしを笑わせるの、なかなかないよ?」
「こ、光栄です……?」
この返し方もどうなんだろう。
正解なのかな。
「ははぁ、おもろかった。てか早く食べないと電車乗れなくなるわ」
「あ、はい」
壁に掛かっていた時計を見るともう23時になっていた。
残ったハンバーグを平らげると、おねえさんは呼び鈴を鳴らしてデザートを出すようお願いした。
デザートが来て、一緒に食べ始める。
おねえさんはやはり綺麗にケーキを切って口に運んでいた。
ファミレスを出ると、夜風が顔を撫でて涼しい。
「ご馳走様でした」
「どういたしまして」
お互いお辞儀しあっていて、なんともシュールな光景だった。
「こんな時間だし、泊まるとこねーならあたしん家に来な。明日は仕事休みだし、起きたら愚痴くらい聞いてやる」
おねえさんの顔は暗くて見えなかったが、口角を上げているのだけは分かった。
え……え? おねえさんの家に?
そのまま別れると思い込んでいた私は、慌てふためく。
「そうと決まったらさっさと帰るぞ。あたしは疲れてんだ」
無言を肯定と受け取ったらしいおねえさんは私の手首を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って! いいんですか!?」
泊まる場所を提供してくれるのはありがたい。
でもトントン拍子過ぎて逆に不気味で、後から何か要求されるのではと怖くなる。
「何、他にアテでもあんの?」
「いえ……ないです」
「遠慮するな。助けてくれたお礼だし。ほら、電車乗り遅れちまう」
お互い名前すら知らないのに泊めてくれるって正気なの?
さっきまで首突っ込みたがらなかったのに。
なんで泊めてくれると言い出したんだろう?
混乱しながら、ずるずる引っ張られるまま駅へ一緒に向かうのであった。
初めまして、燈夜月と申します。
いいねと評価、一文だけでも感想頂けると今後の励みになります。