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カミラは家族の話をよくしていた。
「一番上の姉のところに、三人目が生まれたの」
「へぇ、カミラはもう叔母さんなんだね」
「随分前から叔母さんよ?一番上の子は四歳でね、『カミラおばちゃんは可愛いから、おばちゃんじゃなくておねえちゃんよ!』て言ってくれるの。可愛いわー、私にお金があったらなんでも買ってあげちゃいそう」
「そうなんだぁ」
蕩けるような顔で姪っ子について語るカミラは可愛かった。けれどカミラに見惚れていた僕は、続く言葉にコテンと首を傾げた。
「だからお金がなくてよかったーていつも思うの」
「そうなんだ?」
その価値観はよく分からない。
「だってなんでも買ってあげるなんて、教育に良くないでしょう?」
「そうなの?僕は何か欲しいと思ったことがないからなぁ」
カミラの言っている意味がよくわからなくて、僕はさらに深く首を傾げた。欲しいものは全て手に入る方が良いに決まっているのでは?と思ったのだ。手に入るのならば手に入れれば良いのに、と。だがカミラは、そんな世間知らずで愚かな僕の発言も笑わず、納得したように頷いた。
「なんでも持っているものねぇ。公爵家くらいになれば、それが正しい在り方なんじゃない?公爵様が十年チマチマお小遣いをためて高級釣竿を買ってたりしたら、領民が嘆くかも」
「そうかなあ?よくわからないや」
「分からなくていいわ、あなたはそちら側なんだから」
そうあっさりと割り切って、カミラはケラケラと明るく笑う。卑下でも卑屈でもなく、謙遜でも自虐でもなく、単なる事実として。
「でも男爵家は従兄弟が継ぐことになってるし、姪っ子たちは将来平民になる可能性も高いから、あまり物が手に入るのが当たり前にならない方がいいのよ」
「カミラは先のことまでよく考えてるんだね」
僕が感心して言うと、カミラは当然のように頷く。
「そりゃそうよ。愛する家族には幸せな未来を歩いて欲しいもの」
気負いもなく言い切って、清々しく笑うカミラに、僕は少し複雑な心境で口を開いた。
「……君は家族を愛しているんだね、カミラ」
「まぁ愛されてるしね」
「あはは、すごいね!言い切るんだ!」
気持ちいいほどの断言に、僕は思わず吹き出して笑い出してしまった。けれどカミラは僕のそんな対応に、不思議そうな顔で首を傾げる。
「え?普通のことじゃない?」
「うーん、なるほど。幸せな家庭に生まれた子はそう言うのだね」
僕は驚きと感心、そして少しの胸の軋みとともに呟いた。
「……僕には、その感覚はよく分からないや」
最近、カミラと話していると胸が軋むことが多い。
この感情は何を指すのかと書物を漁ってみたが、的確なものは見つけられなかった。羨望、憧憬、嫉妬、悲嘆、憎悪、憤怒、……どれも言葉が尖すぎている。僕の胸に渦巻くこれは、もっと淡くふんわりとしていて、そしてしっとりと湿ったモノだ。
「どうしたの、コーリー。胸なんか押さえて」
「うーん、なんだかざわざわしてね」
「あら風邪?早めに休んだ方が良いわよ」
「うーん」
そんな言葉を言われたのは初めてだ。僕は昔から魔力過多で風邪なんか引かない子だったから。……そう思うと、またぎしっと軋む。
「魔力は生命力だからね、僕は風邪なんか滅多に引かないよ。これまでも引いたことはほぼないから」
昔一度、魔鴉集団を壊滅させた時に、はしゃぎすぎて魔力切れを起こした状態で湖に落ちた時以来だ。あの時も親たちは頭を抱えていただけだ。もちろん親たちが即座に魔力を移植してくれたから、ありがたいことにすぐに回復したんだけれども。でも心配の言葉なんてあっただろうか。覚えていないだけかな?……あぁ、また胸が軋む。
「あら、そんなこと分からないじゃない。風邪は万病のもとよ?」
「……そうなの?」
当然のように言うカミラにまた胸が軋む。僕の知らないことをカミラはたくさん知っている。他の無知で無能な人間が言った台詞なら間違っているのだろうと流せるが、カミラに言われると心配になる。もしかして僕は風邪を引いたのだろうか?
「まぁ王都なら良いお薬と医師がたくさんいるから平気なのかもしれないけど、田舎じゃ風邪を拗らせて死ぬなんてよくある話よ。風邪はひき始めが肝心なの」
不安そうな僕を慰めつつ無茶をするなと嗜めるように、カミラは優しく続けた。
「私も寝なさい休みなさい!って言われると、いつも『まだ遊びたいのに』ってぐずっていたから、気持ちはわかるけどねぇ。でもちっちゃい子供じゃないんだから、聞き分けて今日は寝てなさいな」
「うん、わかったよ。……そっかぁ」
カミラにもその方針は適用されていたのか。
カミラだって、僕と同じように人間とは思えないような魔力量を持つ、規格外の存在なのに。
魔力が多いから平気だろうと、幼い頃からあらゆる自由を許されていた僕とは大違いだ。
カミラの話を聞く中で、だんだんと分かってきた。あれは信用という名の無関心、もしくは放置だったのだろう。触らぬ神に祟りなし、とばかりに、僕は距離を置かれて生きてきたのに。
ざわり、ざわりと胸が騒めき、心臓がぎしぎしと軋む。
「ねぇ、カミラ。君は……」
珍しく僕は言い淀んだ。
「コーリー?」
「あ、いや、なんでもないよ」
「なんでもないって顔じゃないでしょう。どうしたのよ」
心配そうに顔を曇らせるカミラから目を逸らし、僕は暫く唸っていた。
「うーん、何というか、不適切なことを聞こうとしている気がする」
「あら!そんな発想が生まれたの!?常人にとっては当然の発想だけれど、あなたにとっては滂沱の涙を流して感激すべき進歩ね」
「あはは」
「で、なに?」
流されてくれないカミラに、僕は諦めて口を開いた。
「うーん……カミラってさぁ、『魔物の子』って言われたことないの?」
魔物の子。
その言葉に、カミラは顔色を変えた。
「はぁ!?魔物の子なんて、言われたことあるわけな……ちょっと待って、あなたは言われてたの?」
「うん」
真顔のカミラが、厳しい声で僕に問いただす。僕も敢えて隠すことではないと思っていたから、普通に頷いた。だが。
「はぁぁあああ!?」
カミラは激怒した。そして僕の肩をガシッと掴むと、僕越しに誰かを睨みつけるかのように激しい目で問いを重ねた。
「誰に!?」
「みんなに」
「みんな!?みんなって誰よ!」
「父母弟祖父母叔父叔母その他親戚」
「ほんとうにみんなじゃない!」
適当に誤魔化そうとしても誤魔化されてくれるカミラではない。僕は大抵どうでもいいと忘れてしまうけれど、これは言われすぎて覚えているのだ。僕が極力素直に、覚えていることを話し終わると、カミラは真っ赤になって激昂した。
「四歳や五歳の子供にそんなこと言うなんて、しんっじらんない!」
「……んはっ、あはははっ」
「ちょっと!何笑ってるのよ!」
怒ってくれているカミラには申し訳ないが、僕はどうしても笑えて仕方なかった。
「うん、でも僕はその言葉を……褒め言葉だと思っていたんだ」
「は?魔物の子、を?」
「人間離れした能力を持つ子のことだと聞いていたから」
幼い頃に、おそらくは父母の嘆きの中で、もしくは親類からの畏怖を込めた陰口として呟かれたであろうその言葉を、無垢な僕はマナーの家庭教師に尋ねたのだ。唯一僕にモノを教えられる偉人と称されていた彼は、一瞬だけ言葉を無くし、けれどすぐに微笑みと共に答えた。
「それは、コーリー様が人並み外れて、あまりにも優れたお力をお持ちだと言う意味ですよ」
と。
今なら分かる。あれは嘘ではないけれど、優しい衣を着せられていたのだ。
「あまりにも僕が凄すぎたから、彼らはそう口にしてしまったんだろうね。実際、畏怖を込めた賞賛の意図も含んでいたんだと思うよ」
「そりゃそうよ、だけど魔物のように災厄を振り撒くってニュアンスも当然含むでしょうが。子供に直接言う言葉じゃないわ!」
優れた能力に見合わないほど、とても普通の家庭で育ったカミラには受け入れ難い感覚なのかもしれない。けれど僕には、彼らの言葉を否定できないのだ。だって。
「うーん、でもまぁ、僕はたしかに公爵家にとって災厄みたいなものだったしね」
そうあっさり口にしたら、カミラは凄まじい形相で僕を睨みつけた。
「コーリー!」
「っ、な、なに?カミラ。そんな怖い顔して」
怒鳴るでもなく、ただただ強い口調で、僕の意識を引き寄せると、カミラは真剣な顔で僕を見つめた。そしてまるで言い聞かせるように、静かに言葉を続けた。
「あなたの行動はたしかに災厄級だけれど、あなた自身が災厄であるわけではないわ。そこを勘違いしてはだめよ。じゃないと道を踏み外すわよ」
「……カミラ」
僕は呆然としながら、まじまじと目の前の整った顔を凝視した。カミラの言葉がじわじわと脳に染み渡る。
「あなたがもう少し後先考えて行動できるようになれば、歴史上最大の発明や改革をして、神の使者とか地上に降りた天使と言われることも不可能ではないわ。でも!」
淡々とした、でも温かさに満ちた声が、自分でも気づかないうちに僕の中で凝っていた自己への不信や嫌悪を、緩やかに溶かしていく。
そしてカミラは、僕の変化に気がついたのか、柔らかな表情になって、僕の鼻先にツンと人差し指を突きつけた。
「場合によってはそれこそ天変地異級のアホらしい事態になって、とんでもない悪名を轟かし後世に名を残すことになりかねないから気をつけなさい!」
「……でも、どうしたら良いのかわからないんだよ」
「はぁ。しょうがないひとねぇ」
つん、と鼻をつついて、優しい指が離れていく。カミラはまるで母親のような顔で、柔らかく僕を見つめた。
「じゃあ、まぁ、何かをする前には必ず、私に相談しなさい」
仕方ないわね、ともう一度ゆるやかなため息を吐きながら、カミラは苦笑とともに肩をすくめる。くしゃりと愛らしく表情を崩しながら。
「卒業するまでにあなたに常識は無理でも最低限の判断基準を叩き込んであげるわ」
「卒業まで?」
「そうよ、あと数年で私から独り立ちできるように、ちゃんと頑張るのよ」
「……うん、わかった」
カミラは僕の手を離す前提で、優しく僕を諭した。その言葉に、僕は堅く決意したのだ。
「その時までに、ちゃんと整えるよ」
うん決めた。
卒業までに、カミラとずっと一緒にいられるように、環境を整えてみせる。
僕はカミラから独り立ちなんてしたくない。
永遠に離れたくないんだから。
「これからもよろしくね、カミラ」
「ええ、よろしくね。コーリー」
楽しげに笑うカミラを見ながら、僕は頭の中で凄まじい数の可能性を考え、検討し、ベストの方法を弾き出す。
カミラを僕の伴侶にするために、最高で最善の道を。
「……あ、死んでからのことも考えないと」
思索の途中でふと思いついて、僕は慌てて脳の片隅にメモをした。
来世でも一緒にいられるように輪廻転生魔法も研究しておかなければ。
アレは禁忌だから、バレないように気をつけなくてはいけない。
特にカミラには知られてはならない。
きっと本気で怒られてしまうだろうからね。
カミラはルールは守らなきゃいけない、って言うタイプの、とっても普通の良い子だからさ。