3
さて、今夜は聖夜、つまりは初夜である。
「月日が経つの早いわぁ……」
ペラッペラの下着みたいな寝巻きを着せられて、公爵家の侍女に足の爪の間まで綺麗に磨き上げられ、まるで娘を嫁に出すような顔をした侍女頭に
「お綺麗でございます、坊ちゃんもさぞお喜びでしょう」
とウルウルの眼差しで激励されて押し込まれた公爵令息の寝室。
「いやちょっと待って、本当に。なぜこうなった?」
馬鹿みたいに研究に没頭して研究室で寝泊まりし、気絶するように寝てはコーリーに公爵家へ運び込まれてせっせと介抱されること、この半年で何十回。侍女頭にはもはや娘のように思われているのかもしれない。まぁそれは良い。
「なんでみんなこんなに好意的なの?というかなんで歓迎ムード?おかしくない?未婚の二人が初夜ですよ?いいの?」
公爵家は頭がおかしいのかもしれない。いや、大事な坊ちゃんの不能を治すための一大計画だから、気合が入るのも当然なのか?
「でもなー、毎週のデートにも全面協力だったし、本当に意味不明だわ……」
コーリーとのデートに相応しい格好なんて我が家と私の財力では不可能である。だから最初の頃は身分差があっても可能な市場食べ歩き(研究試料を買いに行った帰り)とか、森にハイキング(研究試料の熊狩り)とか、比較的お手頃価格の宝石店を訪問してペアアクセサリー購入(魔石を買い取るついで)だったりとか、そうやってデートをこなしていた。
しかし。
「カミラお嬢様、本日は私どもにお任せくださいませ!」
「は?」
例によって例のごとく、研究室で白衣を寝袋代わりに寝ていたところを公爵家に連れ去られた私は、起きた瞬間目を爛々と輝かせた侍女集団に拘束された。
「え?え?え?」
「今からお嬢様を、王家の姫君にも負けない美少女にして差し上げますのでね!気合い入れて踏ん張ってくださいませ!」
「は!?いや、ちょ、えーー!?」
ずるずると早朝から風呂に入れられ磨き上げられ、よく分からない高そうな水とクリームと香水を振りかけられ、コルセットで締め上げられ、髪を複雑怪奇に結い上げられ、とんでもなく上等の砕いた宝石があしらわれたドレスを着せられ、耳と首と頭にコーリーの目の色のサファイアを飾られ、そして。
「綺麗だよカミラ!まるで女神だ!」
「……さようですか」
死んだ魚の目になった私が連れ出されたのは、大公様主催の夜会だった。
「いやぁ、パートナーがいないならウチの娘と、って大公閣下がうるさくてね!カミラが居てくれてよかったよ!」
もはやはしゃいでいると言っても過言ではないコーリーに、全身を満遍なく観察され、事細かに描写されながら賛美の限りを尽くされ、精神的に灰になった気分で辿り着いた夜会。
さぞ悲惨な目に遭うのだろうと……つまりは、三文小説のごとく、お綺麗で高貴な身分のお嬢様方に遠回しな悪口雑言を叩かれたり酒をかけられたり、周囲のお偉い人たちから嘲弄と侮蔑の目で見下されたり、まぁいろいろ散々な羽目になるだろうと思っていた。だが。
「おや、コーリー殿。そちらが噂の才媛ですかな?」
「コーリー殿が口説き落としたと言うご令嬢か」
「やっと恋人にしたと仰っていたのがそちらですか」
「なるほどお綺麗で賢そうだ。冷たい氷のような目で睨まれて、コーリー殿もお幸せそうですなぁ」
「なによりなにより、……まぁ若人の恋路にこれ以上口を挟むのはやめておきましょう」
「そうですな、人の閨事に口を出す者は女神に首を刎ねられて死にますゆえな」
「「「「はっはっはっはっは」」」」
と、挨拶回りでは年配のおじ様方から大変に謎な扱いをされた。
しかもコーリーが片時も離してくれないしお手洗いすら「僕の恋人は逃亡癖があるので」とか言ってる付き添ってくるので、こちらを睨んでくる美女や美少女とは接触する暇もなかった。
そして散々お偉いさん……宰相とか大臣とか団長とか、明らかに普通じゃない肩書の御仁に挨拶が終わると、コーリーはさっさと私を連れて馬車に飛び乗って帰った。
「早く家に帰ってダンスしよう!」
「なんでよ!帰るなら早く脱ぎたいんだけど!?」
「そんなに綺麗なカミラ、人に見せるのはもったいない!でももう少し見たいし密着して踊りたいよ!」
「嫌よ変態!」
「頼むよカミラ!この通りだ!」
「絶対いや!!」
まぁ結局、帰路の間続いた懇願に負けて一曲だけ踊った。気を遣った公爵家お抱え楽師のせいで、五曲分くらいの長さがあったけれど。
「もう二度と夜会には行きたくないからね!今後はお仕事に絡めたデートだけでたくさんよ!」
そう宣言した結果、夜会はなかった。しかし、その後も観劇だとか奇術師が来たとか庭園の花が満開だとか、理由をつけては家に招かれ、あちらこちらに連れ回された。その結果私とコーリーの交際については当然王都で話題となり、公爵家と男爵家の身分差については釣り合わないと口さがなく言われることが増えた。研究所でも研究室の外では、面と向かって言われることも多々あった。腹は立ったがその通りだし、まぁ、半年の辛抱だと堪えた。
そして目がまわるような日々を乗り越えて、ついでに研究もほぼ完成に近づき、とうとう迎えた今日である。
初夜だ。
私は今夜、コーリーの初夜不能……いや、初夜失敗の呪いを解かなければならない。
下手にいろいろ考えて構えるよりも、普通にしていた方が良い気がする。コーリーは私といる時はしごく自然体だから、一人でいる時みたいに元気に立ち上がってくれるだろう。多分。
「いや、私も本読んで知識は蓄えたけど、実践経験はないからなぁ。ちゃんとできるのかかなり不安だわ」
なにせこれだけが条件ともいえる、破格のお給料をいただけるお仕事である。
失敗したら大変だ。コーリーの卒業までという制限時間もあるから、のんびり延長というわけにもいくまい。頑張れ私。処女だけど気合いでカバーよ!
一人で密かに己を鼓舞して緊張していると、ガチャリとドアが開いた。
「カミラ」
「……コーリー」
現れたのはもちろんコーリーだ。部屋の外を歩いてきたからか、私とは違ってきちんとした厚みのある羽織りも被っている。
「とうとう初夜だ」
「そ、うね」
感極まったように呟くコーリーに、私は緊張に乾いた声で相槌を返す。
「ふふ、緊張してるの?」
「そ、りゃそうよ。初めてだもの。あなたはしてないって言うの?」
「うーん、してるけど……それより高揚と興奮が強くて、自制するので精一杯って感じかな」
「自制?…………え?」
軽やかな足取りでこちらにやってきたコーリーの言葉に首を傾げ、チラリと視線を落とした私は絶句し、その後で叫んだ。
「アンタ、初夜不能の呪いとやらはどうしたのよ!?」
「だから言っただろう?」
「ぁ……」
火傷しそうな熱い眼差しに蕩ける笑みで、グッと私に近づいてきてコーリーは、私を力強く抱き寄せた。
「カミラなら大丈夫だと思うって」
この大嘘つき。
そう詰ろうと思ったのも束の間、私の罵倒は熱くて荒々しい口づけに吸い込まれた。
「んっ、……離してよ!」
息継ぎの合間に、必死でドンッと胸を叩いて押しやり、私は必死にコーリーを睨みつけた。
「こんなの詐欺よ!馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿だよ」
けれど私の罵倒に対して、コーリーは堂々と言い切って、切なげに目を細める。そしてグッと私を抱き寄せて耳元で囁いた。胸の底に渦巻く炎を抑え込むように、熱い声で、激しい求愛の言葉を。
「僕は君が好きなんだ」
ひゅっ、と息を呑む。流石にこの状況で、この愛の言葉を流すことなんて出来やしない。
無言になる私に、コーリーは見栄も外聞もなく、ただ純粋な好意だけを語り、切々と訴えた。
「カミラにくびったけで、散々アプローチしたのに袖にされまくって、諦めて他の女と試そうにも息子はピクリともしない。もうこりゃ何もかも投げ打ってカミラを手に入れるしかないなって思って、死ぬほどしょうもない契約を結んで君を体だけでも手に入れようとしてるんだ。これが恋に溺れた大馬鹿者の末路だよ」
「……コーリー」
聞かなかったことにしたいのに、嬉しくて悲しくて、貰った言葉をしっかり覚えておきたくて、私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。ちっとも思考が定まらない。沈着冷静な私はどこに行ったのだろう。
「でも、むりよ。無理なのよ」
泣き出しそうな声で私は拒否した。身分の違いはひっくり返せない。どれだけ愛があったって、愛のもとに結婚したって、絶対うまくいかない。私はコーリーには完璧な幸せを掴んで欲しいのだ。私じゃそれはあげられない。
「分かってよ、無理なの」
「無理じゃない」
しかし弱々しい私の言葉を、コーリーは力強く否定して、そしてにっこりと笑った。
「今夜のうちに、絶対に結婚するって言わせてみせるからね」
「やっ、絶対言わないんだから!」
「意地っ張りだなぁ……ま、そんなところも好きなんだけれど」
地団駄を踏む駄々っ子のように叫んだ私に、コーリーは死ぬほど色気のある顔で余裕たっぷりに囁いた。
「僕が絶対に君を幸せにするから。……はやく諦めて、僕と結婚して」
そこから負けず嫌いな私は、とても頑張った。経験がないにも関わらず、かなり善戦したと言えるだろう。
けれど戦いは翌朝、いや翌昼まで続き、結局私は一瞬の油断で勝負に負けた。
「もうやだ!信じられない!」
「ふははっ、僕の勝ちだね」
「馬鹿コーリー!卑怯者め!」
「何とでも言うがいいさ、勝ちは勝ちだからね」
指一本動かせそうにない疲労の中で私はコーリーを罵った。しかし勝ち誇ったような顔で幸福そうに破顔するコーリーは気にする様子もなく私の頬に口付ける。
「可愛かったよ、僕の奥さん」
「うるさい!」
「熱烈なプロポーズありがとう」
「うるさいうるさいうるさーい!」
類似の発言でも可、なんて聞いていなかったのだから、私の意思が弱いせいじゃないんだからね!
***
「で、なんでこうなったの?」
公爵家ほどではないが、なかなかに豪勢なお家の庭で侍女に傅かれて紅茶を飲みながら、私は目の前でニコニコ無邪気に笑う美貌の男に問いかけた。
「なんでとは?」
「なんでアナタは魔法師団の団長になってるの?公爵家を継ぐんじゃなかったっけ?」
二年前に卒業したコーリーは、案の定在学中に魔法師団にスカウトされ、そのまま入団した。そしてあっという間に頭角を表し、そろそろ引退したがっていたという前団長の退団とともに、史上最年少の団長に就任したのだ。そんな馬鹿な。
「魔法師団は実力主義だから仕方ないよね。この国に僕より力のある人がいなかったんだもの。家は弟が継ぐから問題無いよ」
にっこり笑うコーリーは昔と同じ無邪気な顔で、たいそう胡散臭い。そんな単純な話な訳があるか。国を揺るがす驚愕人事だったんだぞ。
「最初から狙ってたくせに」
「そりゃねー、君に公爵夫人なんか出来るわけないからさ、こっちも必死だよ。喜んで?良い感じに余ってた伯爵位を貰ったから、男爵令嬢と結婚しても問題ないよ」
「はぁ……まさかこうなるとは」
初夜に散々追い詰められ、感極まってついうっかり言ってしまった台詞で言質を取られた。ついでになにやら寝台周りに結界を張られていたせいで、自動的に契約が成立してしまった。つまり、初夜を迎えた時点で婚姻契約を結ぶ……結婚することが決まってしまったのだ。
「永遠に離れたくない、なんて熱烈なプロポーズしてくれたくせに」
「チッ、あれは一時の気の迷いよ。ベッドの上の言葉を間に受けるなんて」
「言った言葉は口の中には戻らない、諦めたまえ」
「ぐぐぐ」
分かっている。戻らないから焦ったのだ。結婚することになってしまったから困ったのだ。しがない男爵家の五女が公爵家の嫡男と結婚なんてありえないから。
「はぁ……睦言を本気にするなよって、普通は男の方が言うもんでしょう」
「一般的な男たちのことなんか知らないね。僕は僕でしかないし、今の君は僕のカミラだ」
「何言ってんだか」
これは大変なことになってしまったと顔を青ざめさせ、能天気に喜んでいるコーリーを泣きながら詰ったのも記憶に新しい。
しかし、全ての状況は私の想定を上回り、想定していた問題は一つも起こらなかった。代わりに違う面でとても大変だったけれど。
「それに、君だって悪くないでしょ?僕の妻として研究資金を背負って大手を振って研究所入り出来たんだから」
「んーーー、それもなんだかなぁ」
コーリーのお金で思う存分研究できるというのは、コーリーと対等でありたかった私には微妙だ。でもそう言うと「手に入れた環境も自分の実力だよ」と、昔私が告げた言葉を応用されて返されそうなので口をつぐんでいる。
納得いかないまま現在に至っている私とは違い、コーリーは作り上げた現状に大変満足そうだ。
「目指すは、魔法師団団長の妻にして真の権力者であり、団長補佐官であり、ついでに研究所所長!素晴らしい経歴じゃないか、君に相応しいよ」
「やめてよ」
その言い方じゃ夫の威光を背負って好き勝手やる悪女みたいじゃない。
「どうせなら実力で団長になりたかったわ」
「団長は前線に出てナンボだからね。バリバリ戦場で現場仕事があるから、それだけは認められない」
「過保護。アナタより私の方が魔法がうまいのに」
巧拙だけなら負けていないのに、と恨めしく見上げれば、やけに優しい目のコーリーが困ったように苦笑していた。
「でも君の方が優しいからね。人殺しが苦手な君が就くべき仕事じゃないよ」
「……はぁ」
宥めるように頭を撫でられて、私はため息を吐く。本当にコーリーは私に甘くて、優しすぎる。こんな甘やかしを受け続けたら、駄目になってしまいそうだ。とてもじゃないけどもう、一人で生きていける気はしない。
「アナタに騙し討ちされ続けた人生ね、私」
「嫌かい?」
あてこするように言っても、コーリーはにこやかに余裕ある笑みを浮かべて首を傾げるだけだ。やけに大人な対応をされて、己の振る舞いの子供っぽさに、私は不貞腐れてますます頬を膨らませるしかない。
「……まったくもう」
初夜に情けない童貞のはずのコーリーに散々翻弄され泣かされた身としては、過去の平民女の夜這い事件もコイツの仕業なんじゃないかと踏んでいる。
でも証拠はない。どこからコーリーの計画で、どこまでコーリーの仕業なのか、私にはまだ分かっていない。
だから、まぁ、私の負けだ。
「まぁ、コーリーになら負けても仕方ないわね」
自分より強くて賢くて優れた人間に負けるのは、実は快感だと教えてくれたのはコーリーなのだ。
「わりと幸せだから、許してあげるわ」
負け惜しみのように吐き捨てて、ひょいと立ち上がって油断している夫の唇を奪う。
「か、かみら!?」
珍しい私からのキスに、あからさまに動揺して椅子から滑り落ちたコーリーに、私は人差し指を突きつけて、宣戦布告のように言い放った。
「その代わり、一生離れてあげないんだからね!」
初夜のベッドの上で願った、その通りに。
私はこの可愛い旦那様を、永遠に拘束してやると決めたのだ。