1 願望の発芽
遠い昔、オグロの国に一人の若者がおりました。
男は強い強い願いを持ち、それを叶えるためには何でもする心算でした。
やがて男は願いを持つもの、『願者』として7つの国をまわり、それぞれの国でそれぞれの宝珠を手に入れました。
願者が宝珠を天に捧げると、神様はそのお姿を表されて彼に願いを叶える力を授けてくださいました──
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オグロの国では、死者に死化粧を施す。目の淵を赤く彩り、額に7つの珠を描く。
願者が天に捧げたとされる七宝に因んで、死者を天への捧げ物とするのだ。
テオは、己の婚約者が捧げ物となっていくところをじっと見つめていた。納棺婆が7つ目の珠を描き終えて、木製の箱に彼女がしまわれていくところを。村の男全員でこしらえてくれたという棺は、傍から見ても最高の出来だ。
なにをするでもなくぼうっと立っていると、葬儀の準備の指示をしていてくれたドリが心配げな視線を送ってくる。目が合うと、小走りで駆け寄ってきた。
「テオ……その、えと」
「気を使うなよ。……何から何までやってもらって、わるい」
「いや、俺がやりたくてやってるから。──あのさ」
ドリは視線をうろつかせたあと、強い意志を潜めた瞳でテオをひたと捉える。
「ふざけてるって思われるかもしんないけど。テオ、お前、願者になったらどうかな」
「え?」
「願者。ほら、昔よく読み聞かせられたろ?100年に一度の願いが叶うチャンス」
100年に一度のある日、天に7つの宝珠を捧げれば願者の願いが叶う──そんな、夢物語。
幼き日に、六つ上の兄貴分だというのに、しょっちゅう語っていた御伽話を思い出して、テオは力なく口端を上げた。
「ああ、うん……ありがとう。久しぶりに笑った気がする」
「冗談じゃねえよ。100年に一度がもうすぐ──3年後、巡ってくるんだって」
「……本気で言ってる?」
「ああ。俺、実はこっそり調べてたんだ。そしたら7つの国全てに同じような伝承が残ってるってわかってさ」
確かに、ドリは異国から来たという商人との取引に積極的に応じ、夜が更けるまで話し込んでいた。『ちょっと遠出する』と仕事をほっぽりだして身をくらませ村人に大迷惑をかけたかと思えば、見たこともない珍品やら調味料、便利な技術を手に戻ってくることもあった。
どこに行っていたのかと聞いてもはぐらかしてばかりで全く答えてくれなかったのだが。
「そんなことしてたのか」
「……んな目で見るなよ。村に伝わるおとぎ話マジにして研究してるなんて、言ったら絶対怒られるから」
たしかに、大事な仕事をおろそかに怪しげな研究なんて、止めないほうがおかしい。
それに話を聞いていたとて、テオは村から離れて異国を旅することなんてできなかったろう。
「それで、願者の話だけど。どんな願いでも叶えてくれるんだ──人を蘇らすことでも」
「……よみ、がえらす……」
「ああ。実際にその願いを叶えた願者も居たみたいだぜ」
脳裏に思い浮かべる。
目の前で愛しいリアラの頬に正気が戻るさまを。瞼がゆるりと開いて、茶褐色の愛らしい丸い瞳が己をうつすさまを。
彼女の小さな唇がふと開いて、名前を呼んでくれる──その瞬間を。
「……本当か?それ」
「本当だ」
俯いて、地面を見つめた。
どうしようもなく、縋りたかった。幸せな未来が頭から離れない。
彼女が二度と戻ってこないなど、耐えられない。生きた心地がしない。息が苦しくなって、衝動のままに力を振るいたくなる。
だから、リアラと再び言葉を交わせる日が来るのなら──なんだってしたい。どれだけ馬鹿げた話だとしても、その可能性に縋りたい。
「俺──リアラにまた会いたい」
「あぁ。俺もお前とリアラが一緒にいる姿を見たいよ」
「どうやったら会える?願者って、なにすりゃいいんだ?」
ドリは乗り気になってきたテオを見て、にやりと笑んだ。
「七つの国を巡ってそれぞれで保管されてる宝珠を集めなきゃなんねぇ……ん、だけど」
「だけど?」
「残された伝承とか見ると、大体願者は叶者と旅するのが普通みたいだ」
「叶者?」
村の長老から聞いた話を懸命に引っ張り出す。たしか、願者が宝珠を集め、天から力を授かると叶者になる、とかなんとか。
「願いを叶えたもの、叶者。いわばお前の先輩だな。願者を導いてくれるらしい。世界に一桁しか居ないらしいから見つけるのは難しくなる」
「ちょ、ちょっと待てよ。100年に一度しか願いは叶えられないんだろ?なんで100年前の叶者が願者と一緒に行動できるんだよ」
「え?え〜、まぁほら。不老不死とか願ったんじゃねぇ?」
「研究してるとか大口叩いた割に、そこらへんは適当なんだな」
睨むと、ドリはゴホン、と大袈裟な咳払いをした。
「つまぁり!七つの国を巡りながら、お前は宝珠を集め!さらに非常に稀な存在の叶者も探さなくてはならない!」
「……まぁ、その結果リアラとまた会えるって思ったら安すぎるくらいだな」
「おぉ……怖気付いちまわないか不安だったんだが、その様子じゃ大丈夫そうだな」
「俺はリアラのためなら地獄の釜だって浴びる覚悟だ」
「うん。やっぱお前、願者に向いてるぜ。『なんでもする覚悟』それが大事だ」
──男は強い強い願いを持ち、それを叶えるためならなんでもする心算でした──
昔話の一節が思い浮かぶ。たしかにテオはかつての願者とそっくり同じ心を持っている。リアラのためならなんでもできる。なんでもしたいと思える。その覚悟が、ある。
「旅支度は任せろ。その……お前らが結婚したら祝いになにか異国の品を贈ろうと思って準備してたから」
「リアラが目を覚ましたら、またたんまり準備してくれよ」
いたずらっぽく笑ったテオに、ドリはほっと息をついた。やっといつものテオの調子が戻ってきたように思えた。
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明け方。
村の中央に丁重に置かれた棺を、テオはゆっくり開けた。
手をかけ、重い蓋を開ければ、そこには花畑に囲まれたリアラがいる。
「リアラ……」
真白い頬の美しさが桃色の花の中で際立ち、茶の長い髪が艶やかに広がる。
彼女の姿を目に入れただけであたりの景色は一気に彩色を失って、リアラの華やかな色味だけが輝く。
彼女が振り返っただけでテオの心臓はドクドクと春の音色を響かせたものだ。
その命の灯火が消えてもリアラの美しさは健在だが、彼女への恋慕の鼓動も哀しみの奔流に押し流されてしまう。テオの心はトクリトクリと静かに慟哭し、思わず噛んだ唇からは血が溢れ出た。
テオはリアラの前髪を優しく払い、額の七宝の絵をあらわにさせた。『天への捧げ物』だなんて──
「リアラ、愛してる」
七宝の絵を、上書きするように口付ける。
リアラは紛れもなく己の婚約者だ。たとえ相手が天であろうと、渡すつもりはなかった。
彼女の細い指を手に取り、その冷たさを感じてから、テオは短い逢瀬の蓋を閉じた。
村の出口で、ずっしりとした重量のある袋を背に負う。ドリが準備してくれた旅の道具だ。
「村の連中にはうまいこと言っておいたから。リアラのことも任せてくれ。俺のツテで霊安師が来てくれることになった」
「霊安師?」
「ああ。その、遺体をきれいな状態のままにしておいてくれるやつだ。蘇っても体が腐ってちゃだめだろ?」
「全然思い至らなかった。何から何まで悪いな。ほんとうに」
「そのセリフ昨日も聞いたぜ。……あ、そだ。これ」
ドリは袖から臙脂色の板を取り出した。手のひらに収まるそれには『願者』と文字が彫ってあり、首から下げれるように糸が通してある。
「お前が願者だってわかるように。叶者にも見つけてもらいやすくなるだろうし、もしかしたら宝珠だって手に入れやすくなるかも」
「ドリは気が利くよな。これでちゃんと仕事もしてくれれば文句ないのに」
「いやぁ、はは。……テオ」
ごまかすような笑いから一転、真剣さを孕んだ表情になって、こちらも居住まいを正す。
みんなの兄貴分であるドリのこういう表情が、テオは気に入っていた。
「旅は辛く厳しいものになる。ましてやお前は村の外に出たことがないからなおさらだ。命の危険はいくらでもある。でも──逢瀬の契はわかってるな?」
「『同じ月の同じ日に死んだ者は死後も同じところへ行ける』」
「そう。つまり来年のこの日までお前は命を落とせないってことだ。リアラと同じところに行くためにはな」
大切な存在を失った者が、失意のうちに後を追わないようにするためのオグロの伝承だ。ただでさえ人口の少ないこの国では、訃報があった時、死者に近しかった者は一人になることを禁じられる。
ドリが夜が明けるのを待ってテオを送り出そうとしているのも、そのためだった。
「……村の奴らは、大丈夫かな。リアラに続いて俺まで出て行ったら」
「正直厳しい!村一番器用だったお前がいなくなると、女子供の負担が半端じゃなくなるだろうな。だけど、しばらくは俺が真面目に働いてやる予定だからお前はなにも心配するなよ!」
「ドリは不器用だから絶対邪魔になる。大人しく狩りに参加して、マシなやつを作業に回してくれ」
ははは、と顔を合わせて笑う。
豪快なドリの笑い顔が、次第にぼやけてくる。
ドリとは幼い頃から一緒だった。ドリとリアラとテオでいつも遊んでいた。リアラとテオの婚約をもっとも祝福してくれていたのは、他でもないドリだ。
「……それじゃ、テオ。気をつけてな。リアラと待ってるから」
「あぁ。……行ってくる!」
不安を振り切るように響かせて、テオは一歩一歩を踏み締めて歩み出す。
村から出たことのない青年は、これから世界に数人の叶者を探し出し、七つの国を巡り、七つの宝珠を探さなくてはならない。
この世には強い願いを持つ者など沢山いる。100年に一度のチャンスを渇望する願者はこの青年だけではない。
願いを叶える力を授かれる者は、ほんの一握り。
テオが遥かなる旅路を歩み出したその姿を、ドリは見えなくなるまで見送っていた。