貴方の文章ルール、伝える前提を満たしてますか?
私の表現を読んだ人が分かってくれない! これは誤字でも誤用でもないのに。
私には私のルールがあるんです。
ネット小説の感想欄を拝見していると「私はこういうつもりで書きました」と言う説明に出会うことがあります。
また、最近文章ルールのエッセイを拝見しまして、ちょっと言ってみたくなったのです。
「段落」「句点」「……」等基本的な奴から、「自分自身の表現」というやつですかね。
さて最初に書いておきたいのですが、文章というか小説は「他者に自分の考える内容を伝えるもの」と言う事にしておきます。
自分の表現の方からいってみたいと思います。
例えば「ルビ」は分かり易いかなと思ます。分かり易いというのは、伝わりやすい・間違われにくいと言う意味で書いています。
「魔韓光殺砲!」とか書いて「ハーゲー」とルビにあれば大抵の人に伝わるのではないでしょうか。読んだ方は、ピッコロが使う技だと思ってくれるかもしれません。ま、禿げてるってことですね。ロシア大統領じゃないヨ。
ドラゴンボールに「魔貫光殺砲」と言う技があります。こちらは確か指から気を放つ技だったかと思います。
この「ハーゲー」をきちんと伝えようとすると、先に禿げた人物かおでこが広い人物を、登場・表現しておかなければなりません。
髪の毛がふさふさな人物が、いきなり使用しても理解を得られません。分かりにくい・独りよがりな表現と言う事になるでしょうか。
……あれ? 「魔が貫く」が「魔の韓国」になってますね。これは、誤字でしょうか、表現でしょうか?
これを書いている僕と、読んでくれているあなたには、今「僕がきちんと日本語をつかえる」と言う信頼関係が成立していません。
この状況で「これは誤字ではない、表現なんだ!」と言ったところで嗤われてしまうでしょう。
この場合、表現だとすると韓国が嫌いな人になってしまうので、二重に痛い表現、伝えなくていい事を相応しくない場所で表現する、になりますかね。
これを誤字なのか表現なのか伝えるためには「誤字・誤用が無い」と言う事が前提になると思います。
頻繁に誤字や誤用、タイピングミスをされている方が「表現なんだ!」と言ったところで、読んでいる方には分かりません。
それが分かるのは、普段ミスをしない方が常にない言葉を使っていた時、表現なんだなと理解されるのではないかなと思います。
結構ハードルが高い、この文章も多分ミスだらけなので「おまゆう」と言う状態だと思いますが、しかたがないと思います。
以前であれば、出版されて手元に届く小説には専門の方のチェックが入っていたかと思いますが、ネット小説にはそれが無いので、自分でやるしかありません。
僕は頭が悪いのあんまり思いつきませんが
一つの場合として「前後の描写がきちんとなされており、常にない言葉遣いだが意味が通る。むしろその言葉の方が味わい深い」
と言うケースなら表現だと思ってもらえるのではないでしょうか?
ただしこの場合、それなりに日本語が分かる相手にしか伝わりません、誤字なのか普通に使用される言葉か判断できない人が相手の場合、華麗にスルーされるでしょう。
二つ目は「まおゆう」とか「ニーチェの書籍」みたいな方式です。「まおゆう」の方は用語の説明だったかと思います。ページのわきに文章内で使用されている用語の解説が載っているというものですね。分かり易くて親切ですが、情緒的な小説には向かない気もします。
「ニーチェの書籍」の方はまんま文の内容の解説が、巻末だったか章末だったかに記載されていたような記憶があります。書かれてあってもそちらも難解だったので、理解できませんでしたがね。
「まおゆう」のように用語説明で、文章内で説明されてしまうとテンポが悪くなる場合有効だと思います。
もっとも「今日は太陽がきれいですね」と言う文があったとして、ページの余白に「この文章は月がきれいですねと言う元があり、この時の主人公の心情として~」と解説があったら、本文中で表現しなさいよ、と言われるでしょう。
三つ目に移りたいと思います。こちらは教科書・参考書方式ですね。なじみ深いと思います。自分でやる場合は文章を蛍光ペンで囲って、余白には補足を書き込みます。
売られている参考書などは「ココが重要!!!」とか「要チェック!!」「○○ページもチェック」とか書いてあるのではないでしょうか。
小説で言うなら作者の伝えたい場所が蛍光ペンで囲まれていたりする感じでしょうか。
もしくは、色の違う文字で書いてある、とかですかね。推理小説で犯人の名前だけ色違いになっていたら笑えませんが。
小説かと言われると疑問ですが、場合によっては面白いかもしれないとは思います。
さて以上を下敷きにして「段落」「句点」「……」等に戻りましょう。
これらは例えば「ここからが文章の始まりです」とか「ここからここまでを一塊の文章、意味がかかってゆく場所と考えて下さい」「ここが文の終わりの場所です」と言う説明の記号だったかなと思います。
うろ覚えなので間違っているかもしれません。間違ってたらごめんね。
何と言いますか、そのままのものではないでしょうか。小説のわきや巻末、蛍光ペンでいちいち「ここまでがひとまとまりの文章ですよ」とか「ここが文の終わりです」と言う事を代わりにやってくれています。
文末に「句点」が無くても大半の日本人はそこが文末だと理解するでしょう。
以前、日本人は文章が所々抜けていても文意を推測して理解する能力が高い、と言う意見を読んだ記憶があります。前後を読む能力が高いんですね。日本人は空気を読みますからね!
いえ、冗談ではなくて。会話をしているグループに後から入って、会話の切れ端から話題を推測して、会話の中に入っていける日本人は結構多いのではないでしょうか。
僕は外国の人の事を知らないので、本当に日本人の能力が優れているのかまでは分からないんですが。
冗談だけどさ、アメリカ人なら「私は途中から入ったので会話の内容が分からない。私のために最初から説明すべきだ」とか言いそうかな。
この辺りを「これは私のルールなので」とか「俺はルールなんて気にしない」とやられると、読む方は分かりにくいと思います。どこからどこまでがひとまとまりの文章なんでしょうね。作家さんの頭の中にしか無いのではないでしょうか。
結局、相手の方が忖度して理解してくれていることに甘えて、何かを伝えようとすることを気にしてないのではないのかなと感じます。
一方でネット小説ならではの事情もあります。文章がまとまりすぎると非常に読みにくい!ですね。それに「句点」の代わりに顔文字を使うなど新しい表現はあるかもしれません。
もっとも「句点」は小学校に行っていた日本人なら知っているはずですが、顔文字は同一コミュニティの中でないと理解されないものが多いと思います。
友達同士では伝わるが、他校や他地域の違う世代になると使用している顔文字が異なる……ある意味使用言語が違う状態になり、きちんと意味が伝わらないケースは発生しそうです。
\(゜ロ\)(/ロ゜)/自体直感的で、たくさんの意味が伝えられるのはとても素晴らしい反面、意味が強すぎて言葉が引っ張られることはあるかもしれないなと思います。
さて最後に「……」です。個人的には最悪じゃないかな? と思っています。
「…」「・・・」「・・・・・・」「。。」「。。。」「、、、」「、、、、、、」などでしょうか。
疲れてきたので端折って書くと、誤用なのか表現なのか分かりません。画面の向こうからは、私や貴方が出来るけどやらないのか、それともできないからやってないのかは、とても分かりにくいことです。
最後になりますが、ネット小説は趣味のものなので、好きに書いてもいいと思います。なんならすべて顔文字で表現してもいいと思います。それが出来てしまったら本当に新次元の表現かなとは思いますが。
好きに書く事は出来ますが、相手に伝わるわけではありません。文章を書くことに限らず、プレゼンであったり人に何かを伝える時は、相手に分かり易いよう・伝わり易いよう、使用する言葉、言い回し、相手に合わせた表現しますが、そうしてなお伝わらないことがあると思います。
その上でルールやフォーマットをいじるのであれば、腹を据えて取り組まれた方が良いのではないでしょうか。
ま、こういう事を書くと「遊びに何マジになってるの。ダセェwww」とか言われそうですね。
遊びにお一人だけ気が付いてくださいました。直しておきました。読んで下さって、ありがとうございます。22/07/30