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 しばらくの空白を置いてから、ぽんと拳を手の平に打ちつけ、「ああ!」と納得したのはリーディアのほうが先だった。


「なるほど、判りました!」

「わ、判ってくれた?」

「はい! それはつまり、『花嫁』という隠語にして若い娘を供物にするという、あのパターンですね! そうですね、『生贄』という言葉は少々生々しくて不躾な感じがいたしますものね。まあ、わたくしったら、気が利かず申し訳ございません。まずはルイさまの嗜好を確認しておくべきでした。では、そのテイでまいりましょう」

「いや、ちっとも判ってないね! そのテイってなに?! なんか俺が変な倒錯趣味を持っているような言い方、やめてくれないかな?!」


 生贄として育ったリーディアは、贄、人柱、人身御供などが出てくる古今東西の物語を片っ端から網羅している。思い返せば、確かにそういう話も数多くあった。

 捧げられるのは神さまだったり竜だったり悪魔だったりと様々だが、捧げるほうは大体若い娘と相場が決まっており、その娘が「花嫁」と称して供物にされ、身体なり魂なりを食べられるのだ。多少名称と演出は違うが、結果としては同じことである。よし、問題ない。

 ちゃんと勉強しておいてよかった、と胸を撫で下ろしたリーディアに、ルイという名の上位魔物は頭を抱えた。

「なんでこんなことに……」

 と唸るように呟いてから顔を上げ、リーディアの背後にいる国王をじろりと睨む。一瞥されただけで、けっこう頑丈そうな体格の国王はビクッと肩を揺らした。


「……どうやら俺たちには、話し合いの時間が必要のようだ。しばらくこちらに逗留させてもらうよ、いいかい? 俺も彼女ともう少し親交を深めたいしね」

「し……親交? 逗留、だと? この城に?」


 国王は呆気にとられる顔をした。一国の王に向かってルイの態度や話し方はかなり常識はずれなもののように思えるが、それすら気にする余裕もないようだ。いや、そもそも魔物と国王とでは、どちらの格が上なのかリーディアにはよく判らないので、もしかしたらこちらのほうが世界の常識ということなのかもしれない。


「まがりなりにも城なんだから、客を泊める部屋くらいあるでしょ。別に狭くても構わないよ。それともなにかな、俺は客とは認められないということかな」

 何かを含んだようなルイの目つきと言葉に、青くなった王は急いで首を横に振った。

「い、いや、そのようなことは……無論、構わない。この城は快くそなたを迎え入れるとも。至急、部屋を用意させよう。何ひとつ不自由のないように」

「悪いね。だけど多少不自由したっていいから、その部屋は、リーディアの私室の近くにしてもらえるかい?」


 その要求に、「え」と国王は言葉に詰まった。


「近く……いや、それは」

 ますます顔色を悪くして口ごもる。狼狽するように視線が泳ぐのを見て、ルイが訝しげに目を細めた。

「別に夜中に押しかけようとか、不埒なことを考えてるわけじゃないよ。城ってのは無駄にだだっ広いんでしょ? あまり離れすぎると彼女とお茶をするのも手間かなと思ってるだけさ。だだでさえ王族ってのは面倒な決まりが多いんだろうし」

「まあ……ルイさまはお茶も嗜まれるのですか。いくらでもわたくしの血を差し上げますから、それを飲んでくださればよろしいのに」

「リーディア、ちょっと黙っていてくれる? その話はあとでゆっくりね」

「いや……そ、その、リーディアの、部屋は……」


 ふらふらと彷徨わせていた視線をとうとう下の床に向けて、国王が口を噤む。

 王妃も王太子もその他二名も同じく黙り込んで、地下室は気まずい沈黙に占められた。国王の言葉の続きは誰の口からも出てこない。

 ルイの眉が中央に寄ったところで、リーディアは再び口を挟むことにした。


「あの、ルイさま。お話ししても?」

「血とか肉とかの単語はなしで頼むよ」

「はい。わたくしの居室は、この建物ではなく、離れのほうにございます。近くと言われましたら、そちらになってしまいますが、それでもよろしいですか? 渡り廊下でも繋がっておりませんので、一度外に出て行かなければならないのですけど」

 この地下室は窓がないから暗いが、現在、外は燦燦と陽の照りつける真っ昼間である。影蜘蛛も明るい場所は嫌がるし、闇の眷属が日光に当たっても大丈夫なのか、リーディアには判らない。自分を食べてもらう前に灰になられても困る。


「離れ?」

 ルイが驚いたようにわずかに目を見開いた。


「なに、この国の王族はみんな、離れで暮らしてるの? 今までいろんな場所に行ったけど、そんな慣習ははじめて聞くな」

「? いえ、王族の方々は西翼のほうにお住まいです。わたくしはあなたさまに捧げられるためのものですから、生まれた時から離れのほうで育てられました。『約束の日』までに、わたくしの身に何かがあったらいけませんので」

 首を傾げてリーディアがそう答えると、ルイの眉がますます寄り、ついでに眼が剣呑に眇められた。他の五人は首を縮めて小さくなっている。

「……じゃあ、そっちに案内してくれるかな? その離れには、俺が寝泊まりする場所はありそうかい?」

「ええと……予備の部屋はあるのですけど、ベッドはわたくしが使っているものしかございません。今までに必要ありませんでしたので」

「じゃあ、離れには、リーディア一人が暮らしてるってこと?」

「はい。世話係はおりますが。あと、警備の兵も。でも彼らはあそこで生活しているわけではありません」

「ずっと、一人? 生まれた時から?」

「はい」

 リーディアが頷くと、ルイは重いため息を吐き出した。その表情にも眉間の皺にも、明らかな怒気が乗せられている。

 ルイの履いている軽そうな革ブーツがトントントンと床を叩く音に合わせて、国王以下五人がビクビクビクッと肩を揺らしている。自分も一緒に揺れたほうがいいのだろうかとリーディアは少し迷った。


「──離れに泊まらせてもらおう。寝る場所なんてどうでもいい。構わないね? ローザ・ラーザ国王」


 許可を求めるというよりは、決定事項を告げるような言い方だったが、ルイの鋭い声に、国王は青い顔でのろのろと頷いた。



          ***



 結論から言うと、ルイは建物の外に出て日光を浴びても灰にはならず、まったく平気そうだった。

 しかし、再び戻ってきたリーディアと、一緒にいる黒マントの青年を見て、離れの兵と世話係たちは一様に恐慌状態に陥ったようだ。

 無理もない。リーディアがこの建物から外へ出るのは「約束の日」の一回きりであって、その日が過ぎたらリーディアの存在はどこからも消え失せる。当然、「帰ってくる」なんてことは、はなから想定されていなかった。

 よって、兵は完全に仕事を放棄して寛いでいたし、世話係たちに至っては、この場所からさっさと撤収すべく片付けに入っているところだった。

 小さな離れはリーディアのために建てられたものであるから、役割を終えたらあとは取り壊すのを待つばかりだ。堅固な密閉空間とはいえ、貴人牢にするには大きすぎるし、客人のもてなし場にするには縁起が悪すぎる。

 地下室からここまで、宰相に先導してもらってよかった。今まで外に出たことがないリーディアだけでは道順が判らない、という理由だったのだが、彼から説明してもらったほうが混乱も少なく済むだろう。


 そちらのほうは宰相に任せて、リーディアはルイを建物の中へと案内した。


 ずっと暮らしていたこの離れのことなら、隅から隅まで把握している。ルイは、リーディアが説明するひとつひとつに、いちいち驚くような顔をした。やっぱり魔物の世界とは、生活様式が何かと違うのだろう。

 高い木々に覆われて四方の視線を遮断する建物の周囲、外側にのみ錠が設置されている閂つきの扉、すべてに鉄格子の嵌まった窓、何度も読み返したためボロボロになってしまった本ばかりの書庫などを見ては、顔を引き攣らせ、「ウソだろ」「ウソだろ」と小さな感嘆の声を上げている。

 最後にリーディアの部屋に入ってもらうと、ルイはぐったりとソファに沈み込んだ。


「お疲れですか? ルイさま」

「うん……いろいろと衝撃すぎて」

「わたくしの生気を吸われますか?」

「吸いません。普通にお茶くれる?」

「まあ、ご無理なさらずに」

「なんでこっちに肩を差し出してるの? もしかして血を吸えって言ってるの?」


 普通のお茶をください、ともう一度強めに言われて、リーディアはがっかりしながら自分の血を飲んでもらうのを断念した。どうも彼はリーディアのやり方がお気に召さないらしい。生贄を花嫁という名で呼ぶあたり、この魔物は直接的な表現が好きではないようだ。骨付き肉にかぶりつくよりは、上品にフルコースで的な進め方をせねばならないということか。難しい。

 しかしリーディアにだって生贄としての意地と矜持がある。こうなったらなんとしてもルイに自分を美味しく食べてもらわねば。

 なみなみならぬ決意を胸に秘めて、リーディアはベルを鳴らして世話係を呼び、お茶を淹れて欲しいと頼んだ。彼女は「承知いたしました」と肯ったが、顔を伏せたまま、ルイのほうには決して目を向けようとしない。よくよく気づいてみたら、その身体は小刻みに震えている。

 扉を閉めてルイのほうに戻り、彼と向かい合うようにしてソファに腰掛ける。こうして誰かと対面で話すなど、リーディアにとってははじめての経験だ。


「今のが、君の世話係?」

「はい。世話係は他に三名おりまして、交代で仕事をしております」

「ぜんぶで四人ね。じゃ、あとで彼女たちからも話を聞きたいから、名前を教えてくれる?」

 リーディアはきょとんとした。

「申し訳ございません。わたくしは彼女たちの名を聞かされておりません。そういったことは禁じられておりますので」

 ルイは「は?」と戸惑う顔をした。

「禁じられてる? 世話係の名を知ることを? なんで」

「わたくしはあなたさまに捧げられるために生きているだけの存在ですのに、他の者の名を知ることに、なんの意味がございましょうか? 他者とも、外の世界とも関わらず、この生命を来たるべき時まで繋ぎ、我が身をもって五十年前の約束を果たせましたなら、それがわたくしにとってなによりの幸福でございます」

 すらすらと淀みなく口にするリーディアを見て、ルイは唖然とした。

 ウソだろ、と呟いて両肩を落とし、伏せた顔を手で覆ってしまう。



「ダメだ……完全に洗脳されてる……」



 呻くようにそう言って、ルイはその恰好のままじっと固まった。それを見て、さすがにリーディアの胸の中にも、じわじわとした不安が湧いてくる。

「あの、ルイさま?」

「うん?」

「ルイさまは、わたくしのやり方ではなく、わたくし自身のことがお気に召さないのでしょうか。申し訳ございません、やっぱり肉付きが足りませんでしたか?」

「に……肉付き……いやその、確かに少し細いかなとは思うけど、えーと、出てるところはちゃんと出てるし、そういうのが好きか嫌いかって言えばかなり好きなほう、かな……」

 ルイは顔を覆っていた手をずらし、もごもごと言った。視線があっちこっちに落ち着きなくウロウロし、尖った耳はまた赤く染まっている。

 食べるところが少ないのが不服だ、ということではないようでリーディアは安心した。指と指の隙間から覗く彼の目が遠慮がちに胸のあたりへ向かっているところを見るに、年寄りでなくても、肉の固い部位より柔らかい部位のほうが好きなのだろう。

「それでは、この長い髪の毛がお邪魔ですか? やっぱりすべて切り落として……」

 自分の銀髪を手で掴んで、考えるように呟いたら、ルイはぎょっとして目を剝いた。

「いやダメだよ! なに言ってんの?! せっかくそんな綺麗な髪なのに!」

「でもモソモソして……」

 食べにくいだろうし、舌触りも良くないだろう。そう続けようとしたら、ルイがソファから立ち上がり、リーディアの傍らまで寄ってくると片膝をついた。

 リーディアの手を取って髪からそっと外させ、下から顔を覗き込む。

 こちらに向けられる真っ黒な瞳は確かに闇のようだ。しかしその闇は、すべてを呑み込む不気味さを孕んでいるというよりは、優しく包み込むような穏やかさを伴っているような気がした。

 そのまま、ぎゅっと手を握られた。



「リーディア、君は今の君のままでいい。頼むから、自身をそんなに蔑ろにするのはやめてくれ。君は自分のことをもっと大事にしないとダメだよ」



 真面目な表情で言われたが、リーディアにはその言葉の意味がよく判らなかった。

 だってリーディアは、今まで自分をきちんと大事にしてきたつもりなのだ。

 周囲もずっとリーディアにそう言い続けていた。

 大事な御身ですから。自分たちにはあなたをお守りする義務がございますから。万が一にも、あなたが傷ついたり損なわれたりするようなことがあってはいけませんから。

 だからこうして小さな離れの建物に閉じ込められ、他の何物からも害されたりしないよう、大切に大切に保護され、育てられてきたのではないか。

 病気や怪我で弱ることのないように。心身ともに健やかであるように。間違っても「その日」を前にして死なないように。

 決して、逃げ出したりしないように。


「…………」

 その瞬間、リーディアの瞳がほんのわずか揺れたのを、ルイは見逃さなかったらしい。少しだけ安堵を滲ませ、微笑んだ。

「……うん、まあ、少しずつやっていこう。これから、俺のことも知ってもらわないといけないしね」

「ルイさまのこと、ですか?」

 被食者が捕食者の何を知る必要があるのだろう、とリーディアは目を瞬いた。食の好みとか、食欲のあるなしとか、そういうことか。そうか、ひょっとしたら、ルイは今はまだ空腹ではないのかもしれない。それですぐにパクッと食べてしまうよりは、食材に手を加えてより自分好みに仕上げたいと。なるほど。

 リーディアは力強く頷いた。

「はい、判りました! わたくし、必ずやあなたさま好みの食材(おんな)になって、心よりご満足していただけるよう、頑張ります! わたくしはルイさまだけのものですから!」

「う、うん……絶対に判っていない気がするけど、その台詞はまあ、悪くない……かも……」

 ルイはまたもごもご言った。今度は耳だけでなく頬も薄っすらと色づいている。

 片膝をついているため、床に垂れている尻尾がパタパタと左右に振れていた。


 まあ、元気に動いて……


 つい尻尾に目を奪われてしまったリーディアだが、「……ん?」とルイが鼻をひくひくさせていることに気づいて、顔を上げた。

「なんか、甘い匂いがするような……」

 甘い匂い? と首を傾げ、リーディアは思い出した。そういえば、今朝、全身に蜜を塗っておいたのだったっけ。

 そう答えたら、ルイは不得要領な顔をした。

「へえ、蜜……なんでまた。ベタベタするんじゃない? 美容のため?」

「ルイさまは甘いものがお好きでしょうか」

「ん? んー、大好きってわけじゃないけど、苦手でもないよ」

「それはようございました。指先までしっかり塗り込んでおきましたから」

「ふん……?」

 意味が判らないという顔をしながら、ルイが握ったままになっているリーディアの手に鼻を寄せる。くんくんと匂いを嗅がれ、少しくすぐったい。

「舐めてみますか?」

「舐めっ……は?! なに言ってんの?!」

 ルイは仰天したように叫んでさらに赤くなったが、尻尾の動きはパタパタパタパタと忙しなくなった。

「お味見に」

「味見ってなに?!」

「だってルイさまのお好みを知っておきませんと……そうだ、おやつに一本、召し上がりますか? どれにいたしましょう、中指か小指か親指か」

「食べないよ!」



 その後、ルイはまたソファに沈んでぐったりした。

 この先の道のりの長さに思いを馳せて気が遠くなった、らしい。





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