フーラ、野生の湖
野生の動物相手では、言葉はもちろん通じない。人間が思う<優しさ>や<愛情>も、すぐには理解されない。なので、互いに距離を保つことを察してもらうには、『戦うのはリスクが高い』ことを実感してもらうのが一番だった。
別に痛め付ける必要はない。あくまで力では勝てないことを示せればいいだけだ。ただ、中には無茶をするものもいるので、結果として痛みを与えることになる場合も少なくはない。
けれど、決して痛みで従わせるのが目的ではないのだ。ましてや恐怖で抑え込むことも望んではいない。
ただ今回は、少々、精神的なダメージが大きかったようだ。
「これはまた今後の課題だな……」
自室で情報を精査しながらアンデルセンが呟く。別に意味のない振る舞いではあるものの、彼も七百年ばかり活動してきたこともあって、いささか人間臭い部分があったるもするのだ。
まあそれはさておいて、斬竜はどうにも錬義を頼るようになったらしく、これはこれでは<怪我の功名>であったのかもしれないが。
こうして、<総合研究施設アンデルセン>の中央に位置する湖、
<フーラ>
へとやってきた。
朋群人の社会がある台地<錬是>には海はなく、フーラも純粋な淡水湖である。広さは約六十平方キロメートルと、十和田湖とほぼ同じくらいである。
が、何度も言うようにここは<リゾート地>ではなく、観光資源としての湖ではなかった。泳ごうと思えば泳げなくもないものの、それは命懸けとなる。何しろここには……
錬義と共に波打ち際まで来た時、
「!?」
斬竜が身構えた。瞬間、湖から飛び出してくる影。
<スペニスキダエ竜>
という海獣だった。
ラテン語でペンギンを意味する<スペニスキダエ>の名を冠されている通り、シルエットこそはペンギンにも似ているものの、直立時の体高は二メートルを上回り、性質は基本的にサメやシャチを上回るほどに凶暴な肉食の猛獣である。
ペンギンのくちばしに似た口にはノコギリ状の鋭い牙が並び、ヒレの役目をする平たい腕の先には長さ十センチ強のナイフのような爪も備えている。
とにかく、地球人が強力な武器も持たずにこれと遭遇すれば、およそ死を免れる方法はないほどの恐ろしい捕食者なのだ。
けれど、逆に斬竜は、
「ガアッッ!!」
と、錬義に縋りついていた姿はどこへやら。本来の彼女の姿を取り戻し、初めて見る獣であることなどまるでお構いなしに襲い掛かり、爪でスペニスキダエ竜の首を切り裂いた。
しかし、スペニスキダエ竜は、その見た目とは裏腹に皮膚が分厚く頑丈で、彼女の爪も、一撃では仕留めることができなかったのだった。




