架空遺言⑤
私はついにたどり着くことはできなかった。
これまでの経験も、抱いた希望も、強大な自然の前では消えかけの灯のように頼りないものだった。
この手紙はきっと誰の手にも渡ることはない。船は沈む。私も、私の手紙も共に。
しかし、どうか届いてほしい。行き場のない気持ちを知って欲しいのだ。この手紙を空の酒瓶に詰める。
願わくは、海の藻屑とならぬことを祈る。
黄金の国、ジパング。かの有名なマルコ・ポーロが記した東方見聞録に登場する夢のような国。
家々は黄金でできており、財宝に満ち溢れているのだという。
私はどうしても彼の地を見て、そしてその土を踏みたかった。
幼い頃からさまざまな想像を膨らませ、自分もいつかきっとジパングへ行くのだと、よく母に語っていたものだ。
小さな頃はひ弱でとても長い船旅には耐えられそうになかった私も、二十を数える頃には、そんな幼少期の面影は綺麗に消え去って、屈強な身体へと成長した。
これは、海へ出て彼の地を目指しなさいという主のご意志なのだと、私は胸が熱くなったものだ。
主よ、感謝いたします。
それからは何度も海に出た。
海はなんと素晴らしいのか。母なる海、恵みの青よ。
仲間と共に波に揺られ、遥か彼方まで広がる海を見つめるときこそ、私は自分が生きているということを実感できた。
海は私の全てだった。
一月ほど前、我々はジパングを目指して出航した。
夢にまでみる黄金の国へ、私はついに向かうのだ。
海は穏やかに我々を迎えた。暖かな日差しと潮風を浴び、彼の国の姿を思い浮かべる日々。私は幸福に満ち足りていた。
しかし今、海は急激にその姿を変えた。
大時化である。
もうそこには、母なる海など存在しない。ただ我々を飲み込もうとする黒い黒い何者かがいるだけである。
マストが不穏な音を立て、船内には海水がどんどん入り込んできている。
暗黒の空が光で割れる。すさまじい音だ。
こうしてこの手紙を書いている間にも、船は呑まれていく。
主よ主よ、どうか我々をお救いください。
マストが折れたようだ。
再び凄まじい音が響く。
激しい光で一瞬全てが見えなくなった。
どうしてこんなことに。私の夢。
私の。
主よ主よ、どうか我らをお救いください。
こわい。しにたくない。
私はこんなところでしにたくない。
わたしはおうごんのくにへ。
しゅよ、なぜたすけてくださらないのですか。
あぁ、わたしはてんごくのもんへたどりつけるだろうか。
めのまえにはくろいくろいなにかがおおきなくちをあけている。
ゲヘナだ。あれはじごくへのいりぐちなのか。
いやだ。
しゅよ、どうかおすくいください。
わたしはあなたのじゅうじゅんなるしもべ。
あなたのこえをきき、あなたをしんじるじゅうじゅんなるしもべ。
しゅよ、どうかわたしをおすくいください。
しゅよ、どうしてなにもいってくださらないのですか。