空の箱
______素直になればいいのにね。
そんなことを言ったのは誰だったか、もう、あまり思い出せない。
目の前には、楽しそうに笑い合う男女1組、僕はそれを、少し離れたところで見ていた。
毎度毎度、良くやるものだと、そう思う。
「飽きないねえ」
思わず、乾ききった、冷たい声がこぼれた。
少し前までは、その場所は____。いいや、もう、『どうでもいい』んだ。
「ほら、いちゃついてるところ悪いけど遅れちゃうよ」
ぺたりと、困ったような笑みを顔に貼り付ければ、談笑する幼馴染と親友に向けて、そう声をかけた。
2人の馴れ初めは、そう、たまたま高校が同じになった幼馴染に、中学でできた親友を紹介した時だった。
甘栗色の髪の毛を短く切り揃えた、愛らしくもどこか男勝りな勝気な幼馴染様は、その琥珀のような瞳を、凛とした切れ長の、青い瞳を持つ、何処か常人からかけ離れているような、そんな不思議な印象さえ抱かせる黒髪の、大人びた僕の親友へと、興味深そうに向けて、しばし硬直したかと思えば、
「アンタに私以外の友達がいたとか聞いてないんだけど?」
だなんて少しむくれながらそう告げ、小突くように、肘を横腹へと当ててきていた。
ひゃぅっ、だなんて男として情けないような声を上げた僕と、幼馴染を交互に見やりながら、親友はカラカラと声を上げて、
「あははは、2人とも仲良しなんだね」
だなんて笑っていた。
当然だ、小さい頃からずっと一緒に育って、その関係性は友達、というよりはむしろ家族にすら近しいもので、そもそも、仲が良くなければこの関係はどこかで終わっていただろうと思う。
彼女への小さな恋心は、未だ伝えられていないけれど、このまま笑い合えるならそれでもいいと、そう思っていた。
それからは、いつも3人で過ごしていたような気がする。
部活に入っていなかった僕たちは、放課後になれば学生服のままゲームセンターに行くのがお約束となっていた。
親友が得意なのはシューティングゲームで、幼馴染が得意なのは格闘ゲームだったか。
僕は得意なジャンルは特になくて、浅く広く、だったような気がする。
店に着くなり、それぞれが得意なゲームからやろうと主張して、「どちらでも良くない?」と僕がいうと、2人は決まって、
「良くない!!」
と息を揃えてそう言い切る。
けれど、いつまでたっても2人の言い争いは止まらないから、僕はいつも、じゃんけんで決めればいいじゃないかと、そう提案するのだ。
勝った方は大袈裟に喜ぶと僕らの腕を引っ張って、やりたがったゲームの前へと導いてくる。
格闘ゲームにしろ、シューティングゲームにしろ、僕は得意、とは言い難い腕前で、粘っても結局は幼馴染や親友に負けてしまうわけだけれど、2人は心の底から楽しそうに、楽しそうに笑うのだ。
だから、負けて悔しいけれど、それでもいいか、とそう思えた。僕自身も楽しめたのだから。
それから月日は流れて、僕らは二年生に進学していた。
そこからだ、何かが崩れ始めた。
いや、崩れたのではないか。
ただ、「見方」が一つ、くるりと変わってしまった、それに、僕が気付いてしまった、それだけの話だった。
今更いうことではないかもしれないが、僕は幼馴染に恋慕を抱いている。それはどうしようもなく事実で、だからいつも気がつけば彼女を目で追っていた。
告白する勇気のないチキンだと罵れば良い。けれど、繋がりが壊れるのが、怖かったのだ。
だからずるずると甘えて、けど、微笑む彼女の姿を見れば、満たされるような気がしたんだ。
だけど、彼女は、もう僕なんて見ていなかった。いや、見てはいた。けれどそれはあくまで幼馴染として、家族として、弟や兄を見るような、そんな見方で。
彼女の視線の先には、いつも僕の親友がいたんだ。
優しくて、頼りになる、僕の親友。
でもまだ、彼女が告白したという話は聞かないし、彼が好きだという明確な証言も聞いていなかった、だからまだ、気の所為だと自分に言い聞かせて、明日こそは伝えるのだ、だなんて意気込んだ。
その日の夜のことだった、部屋の窓を小突くような音が聞こえた。
カーテンを開けると、そこには幼馴染が、どこか神妙な面持ちで佇んでいた。
僕の家と彼女の家は隣同士で、僕の部屋と彼女の部屋は同じく二階にあり、ベランダから屋根を伝って向かい側に行けるようになってしまっている。
そうやって彼女は、良くこちらへときていたし、内容はいつもゲームや漫画だったから、特に気にはしなかったのだけれど、いつもとは明らかに、様子が違っていたのだ。
窓を開けると、そこから身を乗り出すように彼女は僕の部屋へと転がり込んで、鈴の鳴るような声で告げた。
「相談があるんだけど、聞いてくれない?」
「______いいよ」
どこまでも真剣なその言葉に思わず頷いてしまったけれど、どんな内容であれ、僕は彼女から相談を持ちかけられたら、断れない。
これが親友であってもそうだし、僕はほとほと、身内には甘いのだと思う。
けど、この直後、僕は自分の発言を深く、深く後悔した。
「私ね、ユーキの事が、好きなの。けど、こんな事初めてで、どうしたらいいかがわからないんだ」
信じたくなかった、けれど。
彼女の頬に差した仄かな朱色が、それが嘘ではないと告げているようだった。
好きな子から、自分じゃない男への恋愛相談なんて、誰だって嫌に決まってるし、耳を塞いで、無かったことにしたいものだ。すくなくとも、僕はそうだった。
けれど、相手は僕の親友様だ。無碍にはできない。
彼女が好きで、何よりも大切なのは変わらないけれど、親友のことも大切なのだ。
だから、この件は真剣に考えなければいけないと、そう、無理やり自分を納得させて、思考を働かせて。
『____ご、ごめん』
『い、いや気にしないで!?こ、こっちこそごめんね』
ある日の光景がフラッシュバックした。
漫画か、と言いたくなるようなシチュエーション。幼馴染と親友が、同じ本を取ろうとして、手が触れてしまい、顔を赤くして、取ろうとした本を譲り合う光景。
思い返せば、似たような光景は何度もあって、その度に押さえつけていた黒い衝動が、ふつふつと、湧き出しそうになってしまって。
「あははは!!しょうもないことで悩んでるなぁ。告白すればいいじゃないか。多分、それで全て解決するよ」
「で、でも」
「取られちゃうよ?」
「そ、それはやだよ!!」
ごまかして、取り繕って、大げさに笑ってみせた。
発破をかけるように、そう言って、彼女に言い返す暇を与えぬままに、
「明日、放課後屋上に言うようにあいつに伝えておくからさ、心の準備しとけよ。ほら帰った帰った」
そう言って、薄ら寒い笑顔を浮かべて、彼女の背中を押してベランダへと出せば、親指を立てて見せて、頑張れ、と心にもないことを言った。
もう何も聞くことはないと、窓を閉めて、カーテンを閉め、小さく溜息をついた。
溜め込んだものが、口と、目からあふれそうになって、そして、視界は真白に染まった。
目を開けると、そこはガラクタの山だった。
錆び付いたバイク、壊れた自転車、薄汚れた冷蔵庫。
そんなガラクタたちが積み重なった山がそこら中にできていて、だからこそ、僕が立っている場所は一際目立っていた。
ガラクタが転がっていない空白地帯、ポツンと建てられたプレハブ小屋の前に、赤い髪の少女が立っていた。
綺麗な赤い髪は腰まで伸びていて、ふわりと広がっている。
頭頂にはまるで火の玉かと思うような、まとまったアホ毛が立っていた。
最も異質なのは、こんなガラクタにまみれた場所にいると言うのに、その身にまとった橙色のワンピースは一切汚れていないことだ。
まるで燃える炎のようにも思える柄がある裾の方ですら、汚れが一点も見受けられなかった。
「何か用かな?」
少女は、微笑みながら告げた。
困惑する頭をよそに、口は勝手に開いて、言葉を紡ぐ。
「『空ろの箱』が欲しいんだ」
「任せてよ」
僕の言葉に少女は微笑みを浮かべたまま頷いて、いつの間に持っていたのか、手に握られた機械を、左手に握ったガラクタに向けた。
ドライバーやスパナ、電動ノコギリなどに姿を変えるそれを、彼女はまるで手足のように自在に、流れるように淀みなく操ると、いつのまにか左手に握られていたガラクタは、小綺麗な箱に姿を変えていた。
「____うん、それで君が良いのなら」
よくわからないその『箱』を受け取ると、ドス黒い何かとともに、心を躍らせてくれていた何かが、吸い込まれるような気がして、僕の意識は闇に堕ちていく。
「ねえ知ってる?『ガラクタ山のトリモチさん』の噂」
眩む視界の中、堕ちていく闇の最中に、幼馴染の笑顔が浮かび上がる。
楽しげに笑って告げていたそれは。
「____」
告げようとした言葉は、声にはならなかった。
放課後、屋上にある給水塔の上で、僕は見知った2人を見下ろしていた。
手に握ったのは、黒と桃色のストライプが入った、不思議な箱。
『ガラクタ山』の存在の証明。
まあ、そんなことは『どうでもいい』。
重要なのは幼馴染様の告白を見守ることだ。
「__あなたの事が」
「勘違いだったら恥ずかしいけど、先に言わせてくれないか?」
告白しようとした幼馴染の言葉を遮って、親友はそう言葉を紡いだ。
こくりと、小さく頷いたことを確認すると、決心するように息を吸って、
「貴女の事が好きです。付き合ってください」
「____喜んで」
彼女の華やぐ笑顔と、嬉しそうな親友の顔が印象的だった。
もう、黒い何かは浮かび上がらない。
「幸せになれよ」
ポツリ、屋上から出ていく2人には聞こえないよう呟いた。
「____素直になればいいのに」
「十分素直だよ」
夕暮れの教室に僕はいた。
2人といないのか?と聞かれればイエスと答えよう。
親友様と幼馴染は付き合いだしても変わらず、一緒に帰ろうと誘ってくれるけど、いちゃつくカップルと一緒に歩くなんざ、勘弁願いたい。
2人の笑顔を見るのは好きだが、甘い空間にいたいのとはまた別なのだ。恋人を大切にしてやれと、2人で帰らせるようにしてから、もう何ヶ月か。それでもまだ誘ってくれるのはありがたいが、いい加減諦めて欲しいと、そう思う。
「本当に?」
綺麗な銀色の髪を持つ少女は、けれど怪訝そうに眉を潜めて僕に問う。
男勝りだが人懐っこい笑顔を浮かべていた愛らしい幼馴染と違って、目の前の少女はどこ険のある表情を浮かべていて、突き刺すようなその冷たい瞳は、正直苦手だった。
「本当だよ」
事もなさげに、そう返す。だって、実際そうなんだから。
ヘラリとした笑みすら貼り付けて、ぷらぷらと手を揺らす。
どうしてそう思ったのかと、問いかければ、
「だって、それは偽りでしょう?」
その言葉に固まってしまって、けれどヒビの入った面をすぐに付け直した。
「まったく、人を嘘つき呼ばわりかい?」
「だってずっと仮面を貼り付けたような笑みを浮かべてるじゃない」
気の所為だよと、そう返そうとして、けれど、何も言えなかった。
胸が詰まったような感覚がして、でも。
「苦しくないの?」
「____僕は、これで幸せだよ」
心配をかけないように、もう一度仮面をかぶり直して、そう笑う。
だって、僕はもう幼馴染のことを『愛していない』のだ。愛はあれど、それは友愛で。
親友と幼馴染が幸せなのが嬉しいのだ。
そうだ、そうなのだ。
「____馬鹿ね」
呆れたように、彼女は笑った。
幸せなのは本当のはずなのに、胸が苦しくて、涙が止まらなかった。
____ポケットに入れた『箱』は、なぜだがズシリと重かった。