8. ルバート様の決意
また、アメリア目線の物語です。
「アメリア、俺はこれから今まで以上に眠り姫病の研究に力を入れようと思う。必ず俺が治療法を見つけてみせる。だから、待っていてくれないか。」
前日の大嵐が嘘だったのではないかと思うほどの清々しく晴れ渡ったあの日の朝、ルバート様は昇る朝日を背に受けながら、突然私にそう言った。
あの時、ルバート様は眠り姫病の治療法が見つかるまでは結婚を待つようにと言っただけなのに、何故ずっと側にいていいんだと思ってしまったんだろう。
大学一年の夏休み、セイレーンサガリバナの開花を見に帰った私に、母はたくさんの見合い話を取り揃えて待っていた。
この国の結婚適齢期は早い。
女性はほとんどが十代のうちに結婚する。
大学まで進学する女性がほとんどいないのはそのためだ。
大学進学は、辺境伯のウィルフレッド様のお口添えもあって、何とか許可してもらったけど、母は大学卒業したらすぐに結婚できるよう、婚約だけでもしておくようにと何度もしつこく言っていたのだ。
ルバート様には、その話をしなかったはずだけれど、おそらくどこかで話を聞いたのだろう。
母は、父が団長を務める辺境伯領騎士団の若手騎士の一人に話をつけたと言って、とにかくこの夏休みの間に一度会うようにと言ってきたのだ。
この国では女性が手に職をつけて生きていくのは難しい。
だから、母の言うことは正しいのだと思う。
けれど、その朝、ルバート様の言葉を聞いた私は、ルバート様が眠り姫病の研究を続けられるかぎりは、お側にいてもいいのだと思ってしまったのだ。
私はルバート様の才能を、どこかで侮っていたのだと思う。
何世紀にも渡って、誰も解決できなかった眠り姫病の治療法が見つかるなんて、思っていなかったのだ。
けれど、ルバート様はほんの数年のつもりで、そう言っていたに過ぎない。
なぜなら、あの時からルバート様は本気で姫の病気を治すおつもりだったのだから。
***
あれは、公務でお忙しいため、ほとんど顔を出されないフェリクス様が、珍しく研究室にいらしていた時のことだ。
「お前、進捗はどうなんだよ。急がないと結婚適齢期を逃してしまうぞ。」
応接室にコーヒーをお持ちしようとした時、「結婚」という言葉が耳に飛び込んできて、思わずノックするタイミングを失ってしまった。
「分かってる!姫が目覚めなければ、俺の結婚はない。だから、こんなに必死にやってるんじゃないか!」
冷や水を浴びせられたような気がした。
勘違いするんじゃないと、神様が警告してくださったのだと思った。
そうだ、そうだった。初めから分かっていたはずだ。
ルバート様は、ずっと姫のために研究を続けられているのだ。
姫が目覚められたら、私はルバート様のお側にはいられないと、あの時、胸に刻み込んだはずだったのに!
何故、こんなにも想いを積み重ねてしまったんだろうと思う。
辺境伯領に帰る旅路は長すぎて、ずっとそんなことばかりを考えてしまう。
貸切の馬車を仕立てたのもよくなかったなと今にして思う。
ウィルフレッド様のご好意もあって、今回は贅沢にも馬車を貸切にしたものの、一人で乗っているため気を紛らわすものがなく、ずっとルバート様のことを考えてしまう。
しかも、この道のりは思い出が多過ぎる。思い出さないなんて無理だ。
初めは怖い人だと思っていた。
「嫌なら辞めていい」と言われた時は、私が来ることをよく思っていないのだと思っていた。
ルバート様専任の助手をするように言われた時も、辞めさせたいからだと思っていた。
けれど、そのどちらも私を思いやってのことだと後から知った。
それに、周りの人には無理矢理手伝わされていると思われていたようだけれど、私にとって、ルバート様の研究はとても興味深いものばかりだった。
ルバート様は、いつも口癖のように言っていた。
「今の魔術研究は遅れている」と。
ルバート様に言わせれば、今の魔術研究はほとんどが過去の文献や伝承の解読に費やされていて、実際、今起きている現象のことを研究している人は少ないとのことだった。
ルバート様は現在の魔術研究界では異端の存在で、文献より現場を重視する人だった。
実際に魔力を発しているものを採集したり、実際にそれが発生している場所へ赴いたりするのがルバート様のやり方だった。
座学中心の学校の授業に比べ、ルバート様の研究は本当に面白かった。
セイレーンサガリバナのことも思い出深いことだけれど、砂漠にクロノスコリファンタの開花を見に行ったことや、船に乗ってアーケロンウミボタルの産卵を見に行ったことも忘れられない。
でも、やはり去年の夏至の日、ベレヌスの森で見たゴルゴーンオオルリアゲハの一斉羽化は特別で、絶対に忘れられないと思う。
ついでにあのことを思い出してしまって、顔から火が出そうになる。
ああ、私はなんであんなことを…。
ゴルゴーンオオルリアゲハの魔力にあてられたとはいえ、あんなことするんじゃなかった。
今思い出しても、顔が熱くなる。
忘れよう。忘れなければと頭を振る。振って忘れてしまいたい。
けれど、いつか歳を取って、この世界に別れを告げる時には、思い出の中から大切に取り出して、お墓の中に持っていこう。
気づけば、涙がとめどなく溢れてきた。
そう言えば、まだ泣いてなかったなと思う。
ルバート様との思い出は、どんな思い出もキラキラと輝いている。
本当は何一つだって忘れられない。忘れたくない。
辺境伯領に戻るまでのこの間だけ思い出して、そして、たくさん泣こう。そう思った。
去年の初夏、ルバート様がずっと行きたいと願っていたゴルゴーンオオルリアゲハの一斉羽化を見に行けることになったとき、ルバート様は少し悩んでおられるように見えた。
二年前から始めたクロノスサバクネズミを使った眠り姫病治療の実験結果が、あまり思わしくないことは耳にしていた。
これまでに集めた様々な動植物の魔力を基にして作られた魔法薬はもう何千種類にもなっていたけれど、ルバート様曰く「決め手となるものがない」とのことで、研究はこう着状態が続いていた。
眠り姫病の患者はクレア王女しかいないため、失敗が許されないことも、ルバート様を悩ませていたのだと思う。
魔力を使った治療はとても難しい。
量を間違えれば、姫の死を早めることにもなりかねないのだから。
けれど、私はそんなルバート様の気持ちも考えず、念願のゴルゴーンオオルリアゲハの一斉羽化が見られることを楽しみにしていた。
平民で良かったなと思った。
貴族の娘なら、こんなに気軽に旅行などできない。
けれど、この旅では、私が平民であることがおかしな誤解を招くことになってしまったのだけれど。
次話が個人的に一番好きな話です。