4. 最後の会話
アメリア目線です。
ルバート様が来たことで、片付けは夜遅くまでかかった。
いつものように最後まで残っているのは、私とルバート様の二人だけだ。
今日言おうと心に決めていたのに、本人を目の前にするとなかなか言い出せない。
ここの片付けも今日でだいたい終わる。
せめて、今日が終わるまでは言わない方がいいような気もしてきた。
それに、ルバート様からはまだ大学卒業後の進路をどうするのか聞かれていない。
聞かれてからでいいかと思ったものの、ふと、ルバート様に結婚準備を手伝うよう言われた場合、なんと言って断ったらいいか思い付かないことに気づく。
ただの平民の助手が、何の理由もなく公爵令息であるルバート様の依頼を断ることはできない。
どうしよう。ウィルフレッド様の研究室へ勤めることになってるからと断る?
いや、それはダメだ。すぐ、ウィルフレッド様に話をつけてしまうだろう。
ウィルフレッド様に辺境伯領の研究室へ誘われてはいるけれども、実際はまだ返事もしていないし、急ぎで来てほしいとも言われていない。
ルバート様が結婚準備のために私の手を借りたいということであれば、ウィルフレッド様はその後でいいよと言ってくださるだろう。
なんて言ったらいいか思い付かずにいた時、ルバート様が口を開いた。
「今日、新しく住む屋敷を見てきたんだが、いいところだった。ちゃんと手入れされているから、すぐに住めるとのことだったし。ただ、ここからちょっと離れているのが面倒だな。」
いつもルバート様は世間話のようなものはほとんどしないのに、珍しいこともあるものだと思う。
さすがのルバート様も、今回の叙爵は嬉しかったのだろう。
もしかして、さっきリドル様を見送りに出て行った際、ルバート様が戻ってくるのが少し遅かったのは、外のバーでリドル様と軽く祝杯でも上げたのかもしれない。
少し顔が赤い。
「それにしても、リドルの作った魔動具で淹れるコーヒーは不味いし、それに口述筆記のあれも、余計なところまで全部書き出すから使いづらくて敵わん。やはり、アメリアがいないとダメだな。」
確かに、考えてみれば、ルバート様とこんなに長く離れていたのは、この七年間で初めてかもしれないと思う。
私が側にいないと、ルバート様はそれなりに不便だったのだろう。
そう言われて嬉しい反面、ルバート様にとって、自分は所詮魔動具程度の存在なのだと思い知ってしまう。
ルバート様は暑いのか、開けてある窓のそばに行き、首元のクラバットを緩めた。
「俺はまた領地に戻らなければならないんだが、それでアメリアにも一度準備のために来てもらえないかと思ってだな。」
話の途中で、私は何かを探すフリをして、ルバート様に背中を向けた。
涙で視界が揺らぐ。
ああ、なんてことだ。
分かってはいたけれど、やはりクレア王女との結婚準備を手伝わせるつもりなんだ。
思ったよりも、全然心の準備ができていない。
今言われたら、私はきっと泣いてしまう。
「そうそう、言い忘れていたが、屋敷には子供が走り回れるような広い庭もあってだな。いや、それは先の話かもしれないが。あと、屋根裏部屋もあるから、だから、アメリア・・・」
「私、実家に帰るんです。」
ルバート様の言葉を遮るように、なんとか言葉を紡ぎ出した。声が震えてしまう。
もう、この話の続きは聞きたくない。
いくらルバート様の願いと言えども、ご結婚されるルバート様のお側にい続けるなんてできない。
結婚準備だけならまだしも、今の言い方だと、ルバート様はクレア様との結婚後も、私を新しい屋敷の屋根裏部屋に住まわせて、毎日コーヒーを淹れさせ、仕事も手伝わせて、そして将来的にはお二人の間に生まれてくる子供の面倒まで任せようと思っているに違いない。
私にはそんなことできない。
「え?」
私が言い返すと思っていなかったのか、ルバート様がこちらを見ている気配がした。
顔を見られないように、そのまま片付け続けるフリをする。
泣き顔なんて、絶対に見せたくない。
そして、なるべく明るく聞こえるように声を張る。
「私も結婚の準備をすることになりまして、実家に帰るんです。直接申し上げたかったものですから、ご連絡が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。」
大嘘をついてしまった。
もうこれくらいしか断る口実を思いつかなかった。
私ももう結婚適齢期を過ぎている。
私自身の結婚準備のためなら、ルバート様は私を引き止めないだろうと思った。
すぐにバレてしまう嘘かもしれないけれど、破談になったとか、いくらでも言い訳はできる。
実際、母には早く結婚相手を決めるように言われているのだ。
このまま帰れば、そうなるのも時間の問題かもしれない。
不用品を持ち、それを外に持ち出すためを装って、ルバート様に顔を見られないように出口へ向かう。
出口へ向かう間、大きく息を吸って、気持ちを落ち着ける。
たぶん、これが最後になる。
後の片付けは私がいなくても大丈夫なはずだし、辺境伯領に戻ったら、おそらくもう二度と会うことはない。
この姿が、少しでもルバート様の記憶に残るのであれば、最後くらい笑顔でいなければ。
表情筋を総動員して、泣きたがる顔を無理矢理笑顔に変える。
「長い間、お世話になりました。あまり無理なさらないよう、お体には気をつけてくださいね。これからもルバート様のご活躍をお祈りしております。」
では、お先に失礼します。と言って、頭を下げた。
少し涙が滲むのを堪えられなかったけれど、ここを離れることへの感傷だと思ってもらえないだろうか。
でも、どうせ最後だ。どう思われたっていい。
「…ああ。」
ルバート様は驚いた顔をされていたけれど、それ以上は何も言わなかった。
あの日を最後にしようと思ったものの、やはりまだ私でないと処分方法が分からないものがあるとのことで、辺境伯領に帰る前日、私は同期に呼び出されて再び研究室に来ていた。
ルバート様はあの後、領地へ戻られたとのことで、それきり研究室には顔を出していないとのことだった。
私が実家に帰ることにしたと言うと、皆、すごく驚いていた。
そこまで驚くことかしら?と思ったけれど、皆、私がルバート様から言われた言葉を聞けば納得してくれるだろう。
屋根裏に住んで、生涯ルバート様のお世話をし続けるなんて、耐えられない。
もちろん、私の口から言うことはないが。
「アメリア、実家に帰るの?一時帰郷じゃなくて?えっ?なんで?」
「ルバート様・・・、どうするんだろうな。大丈夫かな?」
「いや、大丈夫じゃないだろ?」
などという皆が口々に言っている声を、何処か遠くから聞いているような気持ちになる。
ルバート様はとても優秀だけれど、字は汚いし、研究への熱意ゆえに怖い人でもあった。
渡される仕事量も膨大だったし、繰り返ししつこく何度もやり直しを要求された時などは、魔王かと思うこともあった。
けれど、眠り姫病の解明に、誰よりも全身全霊を捧げている人だった。
いつ自宅に帰っているのだろうかと思うほど、ほぼ研究室に住み着いていたし、私たち研究室のメンバーの何倍もの仕事量をこなしていた。
魔術の研究のためならば、地位も何もかも投げ捨てて、知識と好奇心だけを携え、どこへでも飛び込んでいく人だった。
泳ぎかたも知らないまま海に投げ出された子供のように、魔術の知識の海で何度も溺れそうになる私のことを、時には怒鳴りつけながらも、いつも最後にはちゃんと導いてくれたのだ。
だから、次の人も大丈夫。
絶対に導いてくれる。
こんな、何の取り柄もない私でもできたのだから。
「大丈夫ですよ。すぐ慣れますって。私より優秀な方はたくさんいますから。」
私はそう言って笑った。
多分、今日は上手に笑えたと思う。
ここで一旦、アメリア目線は一区切りです。
次話は、ルバート目線になります。




