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3. 珈琲の味

アメリア目線です。

ちょっと長くなってしまいました。

 それから、私はルバート様にはなかなか会えずにいた。

 ルバート様は今回の成果が認められ、侯爵位を賜ったらしく、その叙爵式や引き継ぎがあるとのことで新しく賜った領地に行ってしまったのだ。


 そんな中、私は研究室の片付けに追われていた。

 眠り姫病の研究室は今後の治療を王立研究室に引き継ぎ、一旦解散となる。

 所属の研究員は全て別の研究室に移動するか、もしくはフェリクス様とルバート様が新しく作られる研究所に移って、また新しい研究を始めることになるとのことだった。


「アメリアはいつからルバート様のところへ行くんだ?」


 ずっと一緒に研究してきた先輩の一人が、研究室を片付けながら尋ねてきた。

 皆、当たり前のように私はルバート様のところへ行くと思っているようだ。


「さあ、具体的には何も。」


 私は言葉を濁した。

 何故なら、私はまだルバート様から何も言われていなかったからだ。


「その前に、まずは辺境伯領へ挨拶に行くんじゃないのか?」


 また別の先輩が言った。

 そういえば今年はどうされるのだろうと思う。

 辺境伯領主のウィルフレッド様は、ルバート様の叔父上でいらっしゃるし、今回の眠り姫病の研究にも協力してくださっていたから、挨拶に向かわれるかもしれないと思う。


「そうですね。まだ伺ってはおりませんが、行かれるかもしれませんね。」


 ルバート様は毎年、私の帰省に合わせて辺境伯領を訪れていた。

 もちろん、本当にただの採集旅行に過ぎなかったのだが。


 入部初年度、私が帰省から帰った時、ルバート様は「お前、辺境伯領が実家なのか!」と目を輝かせて言い、翌年帰省する時、ルバート様は大量の採集セットをしこたま詰んだ馬車に乗って、迎えに来たのだった。

 その年から、私の帰省は休暇ではなくなった。

 ルバート様と一緒に、ただでさえ田舎な辺境伯領の、さらに奥地に行きまくる普段よりずっとハードな生活が待っていた。

 毎年、行きは採集セットの隙間に小さくなって座り、帰りは大量に詰んだ採集物が崩れないように支えながら帰るのが常だった。

 何年か前、ルバート様が最後無理矢理押し込んだ虫籠が壊れて、馬車の中で大量の虫が飛び回って大騒ぎしたことを思い出す。


 あの時は大変だったな、などと思い出していたとき、先輩の一人が


「ルバート様もいよいよ結婚準備に入られるのか。長年の苦労が報われたな。アメリアも忙しくなるんじゃないのか?」


 と言った。

 心臓が止まるかと思った。

 

 ああ、ついにその時が来てしまった。


 荷物を片付けるフリで先輩方に背を向ける。


「そう…ですね。」


 そう返すのが精一杯だった。


 ルバート様のところで働くのなら、当然のことながら結婚準備も手伝わされるのだと思うと、気が重い。

 やはり、早く実家に帰ることを伝えなくてはと思う。


 何とか話題を変えなくてはと思い、


「それより、皆さんは今後どうされるんですか?」


 と問い返した。

 すると、先輩たちは私の心情を察したのか、それ以上は追及しなかった。

 貴族の子息の方ばかりなのに、平民である私のことも気遣ってくださる、本当にとても優しい先輩方だと思う。


「俺はフェリクス様からお声がかかって、来週からはフェリクス様直轄部署に異動だ!ルバート様の下で五年頑張った甲斐あったよ!」

「おお、すごい出世じゃないか!頑張れよ!俺はひと段落ついたから、実家に帰って領地運営を手伝うことにした。本当は去年までの約束だったんだけど、一年延ばしてもらったんだ。婚約者も待ってるし、明日には帰るよ。」


 などと、皆とても楽しそうだ。


「ああ。でも、アメリアの淹れてくれたコーヒーが飲めなくなるのだけが辛い。あれがないと一日が始まらないし、考え事をする時にもあのコーヒーがないと。」

「ああ、そうだった!それは大問題じゃないか!アメリア、やっぱりルバート様のところじゃなくて、一緒に来てくれよ!」

「アメリアのコーヒーなしに、いいアイデアが浮かぶなんて思えない!死活問題だ!」


 一人がそう言うと、皆が口々にそんなことを言い出した。


「そんなに評価いただいているなんて、嬉しいです。これからもご贔屓に。」


 私は先輩方に向かって、お辞儀してみせた。


 私の実家は元は辺境伯領の騎士の家系なのだが、今は情勢が安定していることもあり、農園経営の方に力を入れていた。

 祖父の代から始めたコーヒー栽培は、ルバート様の助言もあって最近軌道に乗り始め、まだ少ない量ではあるが市場にも流通し始めている。

 この国ではまだ主流な飲み物ではないが、ここ数年収穫量が増えてきたこともあり、最近では王都でも取り扱っている店が増えてきた。


「でも、焙煎しないと飲めないんだろ?俺にできるかな?」


 先輩方の一人がそう言った時、研究室の入口方向から声がした。


「魔動焙煎機のお買い上げ、ありがとうございます。」


 扉のところに立っていたのは、今や魔動具研究の第一人者となられたリドル様だった。

 リドル様は、ルバート様のための口述筆記魔動具の開発を皮切りに、様々な魔動具を開発され、今や実業家として成功していた。

 魔動焙煎機は、ご自身の研究のためにこちらの研究室に出入りしなくなったリドル様が、コーヒーを飲みたいが故に作り出した魔動具だ。


「ええ、あれ超高価じゃないですか!」


「今なら、魔動コーヒーミルとセットの特別価格!後輩割引もつけて、お安くしますよ!」


 リドル様は、最近、魔動コーヒーミルも売り出したとのことだった。

 私も試作機をいただいたのだけど、豆を挽くのはなかなか手間のかかる作業だったので、本当に助かっている。


「えー、そんなお金ないですよ!」


 嘆く後輩に、リドル様は「報奨金があるだろう」と悪魔のような微笑みを浮かべた。


 眠り姫病の治療に成功したため、我が研究室部員には国から報奨金が出たのだ。

 それを知っていて売り込みに来るあたり、リドル様も本当に怖い人だなと思う。


「ミルだけでもいいと思いますよ。焙煎は、意外と難しくないので。家にある鍋でできますよ。私はずっと鍋ですし。」


 私がそう言うと、リドル様は「そうなんだよなー」とため息をついた。


「アメリアの焙煎を真似して、かなりいいところまではできたと思ってるんだけど、アメリアの淹れたコーヒー飲むとやっぱり違うなって思うんだよ。」


 リドル様がそう言うので、ちらと時計を見ると、ちょうど午後のお茶の時間だった。

 この時間を狙ってきたのだなと気づいて、リドル様はさすが抜け目のない人だなと思う。


「ありがとうございます。ちょうど、ひと段落したことですし、コーヒー淹れましょうか?」


 私が声をかけると、リドル様はにっこりと微笑んだ。


 コーヒー農園で育ったこともあり、私はコーヒーが好きだ。

 子供の頃から、家の中にはコーヒー豆を焙煎する香りが立ち込めていた。


 研究室には寮の調理場を借りて焙煎しているコーヒー豆を常備しているので、そんなに時間はかからない。

 リドル様が寄贈してくれた魔動コーヒーミルに魔力を繋ぐ。

 コーヒー豆は粉で保管することもできるが、挽きたてで淹れる方が断然美味しい。

 祖母直伝の淹れ方で、じっくりと淹れる。

 小さな取っ手付きの金網に綺麗に洗った専用の布をセットし、細かく挽いた豆を入れる。

 そして、その豆の粉に、沸騰させてから少し冷ましたお湯をなるべく細くなるようにそっと注いでいく。

 一度注いでから、粉全体に水分が行き渡るように蒸らす時間を惜しんではいけない。


 コーヒーを淹れる作業は、忙しい研究の合間の気分転換にとてもいいのだ。

 私の影響ですっかりコーヒー好きになったルバート様も、どんなに忙しくてもこの時間だけは尊重してくれた。

 リドル様も魔動具を開発されるほど、すっかりコーヒー好きになってくださった。

 コーヒーの販路拡大の為にも、これからもリドル様には頑張っていただかなければと思う。


 コーヒーの粉から細かい泡が立ち、キラキラと輝く。

 祖母はよく、コーヒーには魔力が宿ると言っていた。

 淹れる人の魔力が入り、さらに美味しくなるのだという。


「お待たせしました。」


 そう言って、人数分のコーヒーを出す。

 ここでコーヒーを淹れるのも、あと数回なんだろうなと思うと感慨深い。


「ん?いつもと味が違うみたい。すごい美味しいんだけど!豆変わった?俺、これくらいスッキリしてる方が好き!」


 一口飲んで、リドル様が言う。


「豆は変えてませんけど、今日はリドル様のために淹れたので、リドル様好みの味になったのかもしれませんね。祖母が言うには、コーヒーには淹れた人の魔力が入ると言われているそうですよ。」


 私がそう言うと、他の仲間達も同じようなことを言う。


「確かに、いつもよりスッキリしてるかも。いつもはもうちょっと苦い感じだよな。飲み慣れてるからいつもの苦いやつも好きだけど、これはこれでいいな。」


 皆の話を聞きながら、リドル様は突然何かを思いついたような顔をした。


「魔力が入る?あー、なるほどー。うーん、そういうわけなんだねー。あー、そっかー。そうだったかー。」


 リドル様は何やら難しい顔をして唸っている。


「どうかされましたか?」


 私が問うと、リドル様は眉間に寄せた皺に手を当て、何か思い悩んでいるようだった。


「いやね、俺はずっとアメリアの淹れたコーヒーの味を目指しているわけなんだけど、今、俺のコーヒーメーカーに足りないものが分かったような気がしてさ。」


 今、リドル様は豆の焙煎から抽出まで全てできるようなコーヒーメーカーの開発に挑んでいるとのことなので、何か思いつくことがあったのかもしれない。

 リドル様の魔動具で、コーヒーの需要が高まるのは実家にとって大変ありがたいことなので、これまでにも頼まれれば、いくらでも協力してきたが、何か伝え忘れていたことでもあっただろうかと思う。


「何か伝え忘れていたことがあったでしょうか。」


 私が尋ねると、リドル様は首を左右に振った。


「ううん、そういう意味じゃないよ。ルバートにも試作機を1台貸してるんだけど、あいつの評価が散々でさ。こんなクソまずいものコーヒーじゃない。売れるわけないって言うんで、色々悩んでたんだけど、今、アメリアが淹れるコーヒーが特別美味しい理由が分かったって話。」


 以前、私もリドル様の研究室で魔動具で淹れたコーヒーを飲ませてもらったけれど、そこまでまずかったかな?と思う。

 今、コーヒーはその淹れ方の面倒さが問題となっているので、販路を拡大するためには是非とも解決してもらわないと困るのだが。

 今度、またリドル様の研究室に伺わなければと思っていると、


「はあ、疲れた。こんなに引っ張り回されるなら、爵位なんてもらうんじゃなかった。」


 紙束を抱えたルバート様が、大声で文句を言いながら入ってきた。

 反射的に、その紙束を受け取る。

 多分、これは留守中にまとめたアイデアメモだろうと察する。

 かなりの量がある。何日かかるかな?と、つい量を試算しまう。

 けれど、今はそれよりも先にやることがある。

 私は、おかえりなさいませという言葉を言い終わると、また給湯室に駆け戻った。

 ルバート様が戻ってきたら、まずはコーヒーだ。

 もう反射的に給湯室へ向かってしまう。


 先ほどと同じ手順で、再びコーヒーを淹れる。

 お湯を沸かし直して、豆を挽き、ゆっくりゆっくりと焦らずにお湯を注いでいく。

 細かい泡が潰れないよう、お湯が全体に均一に行き渡るよう、少しずつ少しずつ分けてお湯を注ぐ。


「お待たせしました。」


 私がコーヒーを差し出すと、ルバート様は軽く会釈して受け取ってくださった。


「ああ、やっぱりこの味だよな。溜まっていた疲れも一気に取れる。リドルが作った魔動コーヒーメーカーは、全くダメだ。あれだったら、飲まない方がマシだな。」


 そう言って、ルバート様が一息つく。


 私はその瞬間が好きだ。

 いつも険しい顔ばかりされているルバート様が、私の淹れたコーヒーでリラックスしてくれるのがとても嬉しい。


「お前も飲んでみろよ。お前の作ったコーヒーメーカーはこの味の足元にも及ばないぞ!」


 ルバート様に促されて、少し多めに作ってきたコーヒーをリドル様の空になったカップに注ぐ。

 リドル様は何故か呆れたような顔をして、一口飲んだ。

 そして、


「あー、これがお前の美味しいと思う味なわけね。なるほどー。うーん、そっかー。」


 と、リドル様は唸った。


「これと同じは無理でも、せめて半分くらいの味は出せないと売れないと思うぞ。」


 したり顔で呟くルバート様に、うーんと再び唸って、リドル様は言う。


「いや、お前。これは無理なんだって。さっき気付いたことだけど、この味は無理。お前にはこれが当たり前でもそうじゃないの。」


 分かってる?とリドル様は何やら思い悩んでいらっしゃる。


 ポットに残ったコーヒーを私も一口飲んでみる。

 いつもと同じ味のコーヒーだった。

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