(番外編)リドルの遠吠え
リドル目線です。
辺境伯領へと向かう友の背中を見送った後、俺は大きくため息をついた。
ルバートがアメリアとの結婚を勝ち取るために、死に物狂いで研究を続けてきたことは誰よりも知っている。
これまで、誰にも成し遂げられなかったことを成し遂げたルバートは、本当にすごいやつだとも思う。
けれど…。
はあ、俺じゃなかったか。
俺はもう一度大きなため息を落とした。
アメリアがルバートのことをどう思っているのか、俺はずっと決めかねていた。
ルバートは想いが通じてると言っていたが、もしかしたらあいつの思い込みなんじゃないかとも思っていた。
だから、研究室のメンバーに対して、外堀を埋めるようなことをしてアメリアを追い込むなと言った。
アメリアが、研究室にいづらくなってはいけないと思ったからだ。
実際、アメリアはルバートに特別な感情を抱いているようには見えなかった。
研究室では仕事に徹していたし、そもそも身分の違いもあって、アメリアは俺たちに対して常に一線を引いていた。
どんなに付き合いが長くなっても決してくだけた態度は取らなかったし、必要以上に近寄ってくることもなかった。
アメリアがルバートの助手を頑張っているのも、単に魔術を学びたいだけなんじゃないかと思うこともあった。
だから、ルバートが遂に偉業を成し遂げて、いよいよ結婚だと言い始めた時、違和感を抱いた。
アメリアの気持ちはどうなんだ?と。
それに、普通ルバートと結婚するつもりだったなら、姫が目覚めた時、もっと嬉しそうにしたはずだ。
けれど、姫が目覚めたあの朝、アメリアはその成功を見届けた後、何故か暗い顔をして出て行ったのだ。
ルバートはフェリクスとソフィアに挟まれて気づかなかったようだったが、俺は今にも泣き出しそうな顔をして出ていくアメリアを見ていた。
だから、俺はもしかしたら俺にもチャンスがあるんじゃないかと思ったのだ。
もし、アメリアがルバートに対して特別な感情を持っていないなら、俺にもチャンスがあるんじゃないかって。
「はあ・・・。」
ため息しか出ない。
たった一度だけ飲んだ、あの素晴らしく美味しいコーヒー。
スッキリとした味わいの理想のコーヒー。
だが皮肉にも、アメリアが俺のために淹れてくれたというあのコーヒーを飲んだ時、俺はアメリアの気持ちに気づいた。
何故なら、これまで研究室で飲んだコーヒーの味とはあまりにも違いすぎたから。
アメリアが淹れた人の魔力が宿るのだと言った時、俺はそれまでルバートが言っていたコーヒーの美味しさの理由が分かった気がした。
俺が作った魔動コーヒーメーカーは、他ではそれなりに良い評価を得ていたものの、ルバートの評価だけが散々なものだった。
しかも言ってることがおかしかったのだ。
味もさることながら、疲れが取れないとか、気分が上がらないとか、全く意味不明なことしか言わないので、俺はあいつの頭がどうかしたんじゃないかとさえ思っていた。
けれど、アメリアがコーヒーに魔力が入ると言った時、何か分かった気がした。
そして、そのあと西国の文献を読み漁ってコーヒーの秘密を知った時、俺は思い知った。
アメリアが、いつも誰のことを思ってコーヒーを淹れていたのかを。
俺が先に見つけたのになと思う。
研究室に連れて行ったのが悪かった。
あいつになんて、会わせなければよかった。
俺がアメリアを意識し始めたのはいつからだったんだろう。
身近にソフィアみたいなタイプしかいなかった俺にとって、アメリアは初めから特別だったと思う。
まず、ソフィアみたいに傲慢じゃないし、ソフィアみたいに口うるさくもない。
いつも控え目で、一歩引いたところにいるのがアメリアだった。
身分差を気にしていたのだろうけど、平民とはいっても祖父母の頃から辺境伯領で騎士を務めている家だ。
準貴族といってもいい。
立ち振る舞いに品があったし、ウィルフレッド様が是非にと支援しただけのことはあって、とても頭が良かった。
最良の結婚相手を見つけることだけを人生の目標にして生きる貴族令嬢たちとは、全く違う存在だった。
まず、王都に来た目的からしてすごい。
実家が営むコーヒー農園の収穫量を増やすために、必要な技術、魔術、それから経営などを学びたいと思っていると言われた時には、本当に驚いた。
実際、ルバートにもそういったことをよく聞いていたし、休み時間に経営学の本を読んでいるのを見かけることもあった。
それでいて、自分の能力の高さをひけらかすようなこともなく、誰かのミスでアメリアの作業が全てやり直しになったとしても、嫌な顔一つ見せないところは本当にすごいなと思っていた。
ソフィアだったら、少なくとも三日は言い続けるだろうに。
覚えているのは、俺が魔法薬の調合を失敗して、爆発させてしまった時のことだ。
ボンという破裂音と共に、ビーカーが割れ、中の魔法薬が飛び散った。
俺の手に熱い魔法薬がかかり、隣にいたアメリアの方にも飛んだのが見えた。
その時、アメリアは俺の手を取り、急いで水道の水をかけてくれた。
「アメリアもかかったんじゃない?」
と気遣う俺に対して、アメリアは
「私は大丈夫です。それより、リドル様の方が大変です。早く冷やさないと。」
と言って、手当をしてくれたのだ。
後で見ると、アメリアの手にも魔法薬はかかっていたようで、少し赤くなっていたのに、
「これくらいの怪我は怪我のうちに入りません。料理などすれば、火傷は年中ですから。」
と言って笑った。
ソフィアだったら、その怪我をネタに一生強請るくらいやりかねないのに。
こんな女の子もいるんだなと思った。
だから、ルバートがアメリアのことを気にし始めた時も、驚きはしなかった。
でも、ルバートはその想いを胸の内に押し込めることに決めていたようだった。
無理もない。
公爵令息であるルバートが、自分の結婚を思い通りにできるわけはない。
ルバートは元々その能力の高さにも関わらず、どこか自分の人生を諦めているところがあった。
誰よりも優れた頭脳を持ち、剣を振るえば、王立騎士団さえ敵わないと言われる溢れる才能。
初めて会った時、こんな高スペックの人間が実在することに驚いた。
フェリクスが、
「ルバートを敵にしたら敵う気がしないから、絶対に敵に回さないことにしてる。」
と公言するのも当然だと思った。
けれど、ルバートはどこかその才能を持て余しているようなところがあった。
全てを持ちながら、何に対しても冷めていて、自分の人生はこうなるのだと決めている節があった。
眠り姫病の研究に関しては真面目に取り組んでいたが、それも持て余した才能の使いどころを見つけたからやっていると見えなくもなかった。
だから、あの夏、セイレーンサガリバナの開花を観に行って来たルバートが、アメリアとの結婚という目標を掲げ、本気を出し始めた時、もしかしたら偉業を成し遂げるんじゃないかという予感はあった。
膨大な文献を読み漁り、ルバートの私室に積まれた書類の量は日に日に有り得ない高さまで積まれていった。
一度、あとどれくらい読むつもりなのかを聞いた時、当たり前のように
「手に入るものは全て読むつもりだ」
と言い切った。
その時、こいつに成し遂げられないことなんてないんじゃないかって思ったのを覚えている。
実際、ルバートはそれから一年も経たないうちに、砂漠地帯の古い旅行記から眠り姫病によく似たクロノスサバクネズミの記述を見つけ、砂漠からネズミを持ち帰って実験を開始した。
魔法薬の配合と濃度が決めきれず、一滴一秒単位で魔法薬の配合と濃度と時間を変え、実験を繰り返す日々。
気持ち悪くなるくらいの実験を重ね、それでも結論を出さないルバートにイラついた時もあった。
けれど、あいつは
「まだ全ての可能性を潰せていない」
と言って、先に進もうとはしなかった。
ルバートが目標としていたアメリアの卒業まであと一年を切った時、今まで口を出さなかったフェリクスさえもが焦れていた。
もう、諦めたのかと思った時もあった。
フェリクスは絶対に大丈夫だと言っていたが、治療の途中で姫が亡くなった場合、それをきっかけにルバートを追い落とそうとするものが出てこないとは限らない。
王立魔術研究所を蔑ろにして、ルバートに研究を行わせているフェリクスを面白く思わない者たちも多く、ルバートの失脚にフェリクスが巻き添えになる可能性だってあった。
ベレヌスの森へ行けることになったのは、そんな時だったと思う。
だいぶ前から申請していて、何年も許可が出なかった申請がやっと降りたのだ。
その頃、もう俺はフェリクスの直属部署にいて、眠り姫病研究室へ顔を出すことは減っていたが、やっと念願が叶ったというのに、これから行ってくると報告するルバートはやけに浮かない顔をしていた。
アメリアと行く、最後の旅だと思っているのかもしれないと思うと、送り出す俺も辛かった。
けれど、その旅で、ルバートは遂に発見した。
クロノスサバクネズミが霧を媒介して魔力を得ていることに気がついたのだ。
それからのルバートはすごかった。
鬼気迫るっていうのはこういうことをいうのだと思った。
だから、まさかアメリアに何も言ってないなんて・・・。
いや、慎重なあいつらしいのかもしれないけども。
「ああ!」
俺は空に向かって叫んだ。
「俺だって、美味しいコーヒーが飲みたい!!」
と。




