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13. 美味しい珈琲の秘密

 リドル様が我が家を訪ねられたのは、それから数日後のことだったと思う。

 これから辺境伯様のところに行かれるとのことで、その前に少しお立ち寄りくださったとのことだった。


「やあ、アメリア。久しぶり!もう急に帰っちゃうから、びっくりしたよ!」


 結局、リドル様やソフィア様には直接ご挨拶もできないまま帰ってきてしまったのだ。

 大変申し訳ないことをしたと頭を下げる。


「ちゃんとしたご挨拶もせずに、大変申し訳ありませんでした。」


 帰郷してから手紙は書いたのだが、やはり不義理をしたと反省する。


「いや、俺はいいんだよ。ずっとあっちこっち行ってて、王都にいなかったし。それよりも、ソフィアが大騒ぎして大変だったよ。アメリアに何かあったんじゃないかって、自分も辺境伯領まで付いて行くって言い張るから、なんとか押し留めてきた。あいつ、もう来月が産み月なのにさ。全く、相変わらずだよ。」


 やはり、ソフィア様だけでもお会いしてから帰るのだったと心から後悔する。

 今、第二子をご懐妊中のソフィア様のお気を煩わせてしまうなんて、本当に申し訳ない。

 でも、ソフィア様の前で嘘をつける自信がなかった。

 何故急に帰るのかと聞かれたら、答えに窮するのは分かっていた。


「いや、俺はさ。アメリアが元気ならいいんだ。でも、どうやらそうじゃないみたいだね。ルバートと何があったの?あいつ、なんかやらかした?」


 リドル様にそう聞かれて、やはり隠し事はできないなと思う。

 リドル様は私の気持ちに気付かれているはずなのだから。


「ルバート様は何も悪くありません。」


 ルバート様は何も悪くない。

 私が勝手に勘違いして、勝手に苦しくなって、そして逃げてきた。

 私のことを単なる助手としてしか見ておられなかったルバート様に、何の非もない。

 新しく領地を得られたルバート様が、これまで仕えた助手に、これからも務めるように誘ってくださろうとしただけなのに、遮って帰ってきた。


「いや、あいつが悪いよ。アメリアにそんな顔させるなんて、あいつが悪い。で、ルバートは何て言ったの?」


 リドル様が真剣な表情で私を見ていた。

 何か誤解されているような気がしたので、これは正直に申し上げた方がいいと覚悟を決める。


「ルバート様は、これからも仕事を手伝うようにと言われただけです。コーヒーを淹れて、口述筆記をするようにと。新しい屋敷には屋根裏部屋があるから、そこに住んでいいともおっしゃってくれました。」


 口にすると、全く当たり前のことを言われただけだなと改めて思う。

 ずっと助手を務めていたんだから、場所を変えるよう言われただけで、何もおかしいことはない。むしろ、通勤の心配をして住み込むように言ってくださったというのに。

 けれど、私がそう言うと、リドル様は酷く驚いた顔をされた。


「はあ?!あいつ、そんなこと言ったの?」


「はい、確か、そのようなことをおっしゃいました。」


 正確には覚えていないけれど、大体は合っているはずだ。

 途中で話を遮ってしまったのだけど。


「はああああ。」


 リドル様が、床に穴が開きそうなほどの大きなため息を落とされた。


「あいつ、ほんっとに馬鹿だ。何にも伝わってないじゃないか。」


 リドル様は頭をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら、独り言のように呟かれた。


「で、アメリアがそれを聞いて急に帰ってきたのは、何で?結婚準備って言うのは、断る口実なんだろ?」


 リドル様がそう思われるのも無理はない。

 普通なら、引き受けるだろう。

 ルバート様の元で働くのは楽しかった。

 できる限りお側に仕えたいと思っていた。

 けれど、それを引き受けられなかったのは、私の不相応な想いのせいだ。


「ルバート様のお側にいるのが辛くなってしまったのです。」


 涙が勝手にぽろぽろと溢れてきた。


「ごめんね、アメリア。泣かせるつもりはなかったんだ。俺はずっと、アメリアがルバートをどう思ってるのか分からなかったんだ。アメリアはいつも俺たちに一線を引いていたし、もしルバートの独りよがりなんだったら申し訳ないと思ってた。」


 リドル様が、まるで子供に諭すように話しかける。


「どういう意味ですか?」


 だんだん話が見えなくなってくる。独りよがりって、どういう意味なんだろうと思う。


「でも、この前、アメリアが淹れてくれたコーヒーを飲んだ時に気づいたんだよ。研究室で飲むコーヒーは、いつも苦味が強かった。でも、俺のために淹れてくれたコーヒーはそうじゃなかった。研究室で飲んだ何千杯というコーヒー、それは全て、あいつの好きな味になってた。つまり、全てルバートのために淹れたコーヒーだったんだろ?」


 ああ、やはりリドル様には知られてしまったと思った。

 自分の魔力は、自分では分からない。

 だから、私には味の違いが分からない。

 でも、飲み慣れているリドル様がそうおっしゃるということは、それだけ私の気持ちがコーヒーにこもっていたのだろう。


「アメリアがコーヒーには淹れた人の魔力が入るって言ってたのを聞いて、俺、あれから色々調べたんだ。そしたら、西国では、特別な想いを込めて淹れた珈琲には特別な魔力が宿るとされているそうだね。ルバートが何度も言ってた、アメリアの淹れたコーヒーはすごく美味しくて、飲むと疲れが取れるって言ってた意味が、それで分かった。俺がどんなに頑張ってもアメリアのコーヒーには近づけなかったわけだよ。だって、ルバートはいつも特別なコーヒーを飲んでいたんだからね。」


 ルバート様がこのことを知らないといいなと思った。

 勝手にそんなコーヒーを飲まされていたなんて知ったら、気持ち悪いと思われてしまうかもしれない。


「ルバート様には言わないでいていただけますか?」


 気づいたら、そう口にしていた。

 ルバート様の重荷になりたくない。


「え、俺からは言わないけど、どうして?」


「ルバート様のご結婚に水を差したくないのです。そうだ。クレア様にコーヒーの淹れ方を覚えていただければいいんですね。そうすれば、また美味しいコーヒーが飲めるようになりますね。」


 と自分で言って、虚しくなる。


 きっとクレア様の方が上手に淹れられるようになるはずだ。

 なぜなら、お二人は十年もの時を経て、やっと結ばれた恋人同士なのだから。


 けれど、私の言葉に、リドル様はとても驚かれた顔をした。


「ん?なんか、俺、話が見えなくなってきた。何で突然クレア王女が出てきたの?」


 研究室の先輩方が、ルバート様が結婚の準備を始められるという話をしていたはずだけれど、リドル様が知らないなんてことあるのだろうかと不思議に思う。


「ルバート様は、クレア様と結婚されるのではないのですか?」


 私がそう尋ねると、何故かリドル様は額に手をあてて、考え込み始めた。


「え?何で、アメリアはルバートがクレア様と結婚するって思ってるの?」


 何故と言われてもと思う。


「ルバート様が、婚約者であるクレア様のために研究をされているのは、初めから知っていました。それに以前、ルバート様がフェリクス様とお話しされているのを偶然聞いてしまいまして・・・その時、姫が目覚めなければ、自分の結婚はないと。」


 私がそう答えると、リドル様はまた大きくため息をつかれた。


「ああ、そういうことね。あー、やっと意味が分かってきた。でも、それは違うよ。ルバートとクレア様は、たぶん目を覚ました時が初対面じゃないかな?いや、色々分かったよ。あいつが何も言ってないってことがよく分かった。」


 ルバート様とクレア様は結婚されない?

 では、何故ルバート様は、姫が目覚めなければご自身の結婚はないとおっしゃられたのだろう。


 未だ話の意図が見えない私に、リドル様はしばし考え込み、そしてしばらくした後、こう言った。


「アメリア。コーヒーが特別美味しくなるには、もう一つ条件があるって知ってる?一方が特別な想いを込めるだけじゃダメなんだ。お互いが想い合ってないと特別美味しいコーヒーにはならないらしいよ。」


 リドル様の言葉が、まるでさざなみのように心に広がる。


 お互いが想い合ってないと特別なコーヒーにはならない?


 そして、リドル様は続ける。


「これは俺から言うことじゃないから、ちゃんとルバートから説明させるよ。ああ、でもあいつの文章力じゃ、ちゃんと伝わるかどうか怪しいよな・・・。」


 と独り言のように呟いてから、はたと手を打った。


「俺、今いいことを思いついた!ルバートのやつ、埋まりたいって言ってたし、ちょうどいいかもな。」


 そう言って、リドル様は不敵な笑みを浮かべられた。


次話が本編最終話です。

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