12. 美味しい珈琲の淹れ方
アメリア目線です。
辺境伯領の領都に着いたのは、王都を出てから三日後の午後だった。
まずは、大学進学の際にご支援いただいたウィルフレッド様にご挨拶をする。
「長年にわたり、ご支援いただきまして、ありがとうございました。」
私がそう言って頭を下げると、ウィルフレッド様は
「いやー。そんなにかしこまらないでよ!これからは義理の兄になるわけだし。」
とおっしゃった。
この度、私の姉がウィルフレッド様と結婚することになったのだ。
「この度は、本当におめでとうございます。」
と言うと、ウィルフレッド様はとても幸せそうに微笑まれた。
セシリア姉さんが長年悩んでいたことも知っていたので、お二人が結婚できることになったのはとても嬉しい。
「それはそうと、アメリアは本当にこっちに戻ってくるの?」
何故か訝しむような口調で、ウィルフレッド様が尋ねられた。
「はい、もちろんです。こちらの研究室でお世話になるつもりで戻って参りました。」
と答えると、ウィルフレッド様は、もう一度「本当に?」と繰り返された。
そもそも私の大学進学の時、ウィルフレッド様が新しく領内に魔術研究所を創設されるとのことで、戻って来たら手伝ってよと言われていたのだ。
私が頷いても、ウィルフレッド様はまだ納得いかないような顔をされている。
ただの社交辞令だったのかもしれないと思う。
ルバート様の元で研究していたとはいえ、私はただの助手に過ぎない。
そもそも大学で優秀な成績を収められたのは、ルバート様の指導の賜物だ。
決して、私の実力ではない。
「ダメ、だったでしょうか・・・。」
不安になって尋ねると、ウィルフレッド様は優しく微笑まれたあと、首を左右に振って答えた。
「いや、そうじゃないよ。僕は嬉しいよ。優秀なアメリアがうちの研究所を手伝ってくれるのは、とても嬉しい。ただ、アメリアは本当にそれでいいのかなと思ってね。」
ウィルフレッド様は何かを見透かしたような目でおっしゃった。
私は俯いて、小さく返事することしかできなかった。
実家に着いたのは、その日の夕方だ。
ルバート様のおかげでコーヒーの生産量が増えてきており、皆、忙しそうにしていた。
姉が辺境伯様に嫁ぐことになったこともあり、今、実家では改装工事が続いている。
父母、兄夫婦と甥っ子姪っ子たちと賑やかな夕食を囲む。
ああ、実家に帰ってきたんだなと思う。
夕食後、疲れている私を労って、母が先に休むよう言ってくれた。
さすがに馬車に数日揺られていたので、体が痛い。
私室に入り、荷解きは明日にしようと決め、その日は早い時間に眠りについた。
そのせいもあって、翌日、私はまだ夜も明けない時間に目を覚ました。
窓を開けると、霧を含んだ冷気が頬を濡らす。
急に、ウィルフレッド様に言われた言葉が頭をよぎる。
アメリアは本当にそれでいいの?
そう聞かれた時、私は素直に頷くことができなかった。
心から「はい」とは言えなかった。
未練たらしいなと思う。
せめて玉砕覚悟で気持ちを伝えていたら、また違ったのだろうかと思ったものの、そんなことはできるわけないとすぐ思い直す。
何か飲もうと思い、キッチンへと向かう。
キッチンにはいつものようにコーヒーの匂いが立ち込めていた。
どうせ暇だし、コーヒーを一から淹れてリラックスしようかと思いつく。
面倒だと思われているけれど、私は豆を炒る作業も好きだ。
まず、生豆から虫食いや欠けなどない状態のいい豆を選び出す。
そして、鍋を火にかけ、じっくりと炒っていく。
豆の温度が上がりすぎないよう、全ての豆に熱が伝わるよう、少しずつ鍋を動かしていく。
パチパチと小さく豆がはぜる音。コーヒーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
私のコーヒーの淹れ方は祖母直伝だ。
祖母はこの国の生まれではない。
西国からやってきたらしい。
コーヒーは、祖母の祖国でよく飲まれていたのだそうだ。
初めて教わった日の言葉が、耳に残っている。
『淹れる相手のことを考えながら淹れなさい。魔法がかかるのよ』と。
ルバート様は、どうしていらっしゃるだろうかと思う。
リドル様のコーヒーメーカーが気に入らなかったそうだから、せめて最後に手動でのやり方をお教えした方が良かったかなと思う。
私の淹れるコーヒーを、いつも美味しいと言ってくださった。
お一人で研究室に残って徹夜されたルバート様に、翌朝、コーヒーを頼まれることも多かった。
『ああ、本当に美味しいな。疲れが取れる。』と言って、徹夜明けの疲れた顔が緩む瞬間を見るのが好きだった。
女性であることを理由に、ルバート様は私が夜遅くまで残るのを好まれなかった。
特別なことがない限り、なるべく早く帰るようにと手配してくださった。
だから、そんな私ができる唯一のことが、ルバート様に美味しいコーヒーを淹れて差し上げることだった。
ずっと私の淹れたコーヒーを飲んでいただきたかった。
私が不相応の想いを持ったのがいけなかった。
もっとちゃんと弁えていれば、今も側にいることができたのに。
「お、アメリア、早いじゃないか。」
焙煎の過程も最終段階となり、団扇であおいで、豆を冷ましていると、父が起きてきた。
「焙煎からやってるのか。お前は母さんに似て魔力が強いから、今日は楽しみだな。」
と父が言った。
「そうかな?自分じゃ、よく分からないんだけど。」
私は魔力が強いと言われている。
一般的に平民には魔力が強い者は少ないのだが、西国出身の祖母は魔力が強い人だったので、私はそれを受け継いでいるらしかった。
父曰く、魔力が強い人が淹れるコーヒーは美味しいらしいが、自分の魔力は自分では分からないので、私には違いがよく分からなかった。
「アメリアの淹れたコーヒーは美味しいよ。俺は全然受け継がなかったから、普通の味にしかならないが。」
「でも、おじい様は飲んでくれなかったけどね。いつも、おばあ様の淹れたコーヒーしか飲まなかった。」
祖父は西国から苗を持ち込んで、コーヒー栽培を始めただけあって、コーヒーの味にはうるさかった。
高等部へ入学する前も、家族に腕前を褒められてよくコーヒーを淹れていたのだが、祖父は私の淹れたコーヒーを一度も飲んでくれなかった。
私が淹れたコーヒーがあっても、祖父は必ず祖母に頼んで、新しくコーヒーを淹れてもらっていたのだ。
「それは仕方ないさ。母さんが父さんの飲むコーヒーに特別な魔法をかけてたんだから。」
父が笑って答える。
でも、いまいち意味が分からない。
「でも、私もちゃんとおじい様のために淹れたのよ?だから、変わらないはず。」
確かに祖母の淹れたコーヒーは美味しかったが、私が淹れたコーヒーも祖父のことを思って淹れていたので大差はなかったはずだ。
それなのに、一度も飲んでもらえないことに正直少し傷ついていたのだ。
けれど、父は少し驚いた顔をして、
「それは違うよ。」
と言った。
「母さんが淹れたコーヒーには、本当に魔法がかかってた。それは、特別な相手だけが特別美味しく感じる魔法だよ。だから、俺たちが飲んでも違いは分からない。でも、父さんは母さんに選ばれた、ただ一人の特別な相手だからね。だから、もう他の人が淹れたコーヒーなんて飲めなかったんだよ。」
初めて聞く話だった。
「父さんは晩年病で、体のあちこちに酷い痛みが出ていた。医者でも治せない痛みだったが、母さんの淹れたコーヒーだけがその痛みを和らげることができた。それくらい強力な魔法がかかるんだよ。」
確かに、淹れる相手の好みに合わせてコーヒーの味が変わるのは知っていた。
だから、祖母は淹れる相手のことを考えてコーヒーを淹れるようにと教えてくれたのだから。
急に、以前リドル様が言っていた言葉を思い出した。
ルバート様が、私の淹れたコーヒーを特別美味しいと思う理由が分かったと。
もし私の淹れるコーヒーに特別な魔法がかかっていたのなら、それはルバート様だけが特別美味しく感じる魔法だったはずだ。
顔から火が出そうになる。
もし、ルバート様がそのことをご存知だったのなら、何も言わずとも私の気持ちなどダダ漏れだったのでは?
いつも、ルバート様のことを考えて淹れていた。
ルバート様が美味しいと思ってくださるように、そのお疲れが少しでも取れるようにと。
押し黙った私の背中に向かって、父が呟いた。
「アメリアも魔法をかける相手が見つかったのかな?」
と、少し寂しげに。
次話もアメリア目線になります。




