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「ゴトー。とりあえず、褒めよう」
オータニと店の前で待ち合わせて一番に、そう言った。
「生きていてくれてありがとう。人を殺すことを最後にやめてくれてありがとう。勇気を出して話してくれてありがとう。褒めるというより、感謝の方が近いかも知れない」
「なんだよ、本気でカウンセラーやるつもりか」
「文系だと教養科目で心理学もやるんだよ。昨日頑張って色々調べ直したんだ。お前はあんまり喋るなよ」
俺は首を傾げた。
「何でだ」
「お前からは陰キャの匂いがする。そのくせ陽キャみたいに話しかけまくるから、居心地が悪い。一日目の清掃がずっとそうだった」
俺とオータニは軽く挨拶してから、バーのバックヤードに入る。坊主頭のヤクザはパソコンのキーボードを叩いている。一瞬だけ顔を上げて、すぐに興味を無くしたように顔を下げた。
案内のヤクザは始めに少しだけ話したツーブロック。
「清掃員からカウンセラー、昇進だな」
「本当にそう思うよ」
アジータとヴァヒッドは相変わらず硬い表情だった。
「眠れたか」
「少し、眠れました。お気遣いありがとうございます」
俺は小さく頷いた。やっぱり日本語は俺よりまともかも知れない。
「昨日は色々質問攻めにしてすまない。色々話してくれて、本当にありがとう。もう少し訊きたいことがあるんだけど、いいかな」
なんだか体操のお兄さんみたいな口調で、オータニがいう。ポテトチップスのかけらみたいなフケが頭に乗っていなければ完璧だった。こいつは一週間に何回風呂に入っているのだろうか。
「二人の親御さんのことは分かった。どこかで教育とか、訓練は受けたのか」
「はい。イランで、パキスタンの人とかアフガニスタンの人たちと一緒に、鉄砲と爆弾の使い方を、習いました」
「すごいな、強いんだな」
ちょっとわざとらしいんじゃないかと思ったが、ヴァヒッドが小さく笑った。アジータも合わせて愛想笑いを浮かべた。
「そうですね。私たちが一番若くて、皆優しくしてくれました」
話すか黙るか迷ったら、キーロフを頼ることにした。ヴァヒッドの足下で匂いを嗅いでいる。多分興味を示してもいいパターンだ。
「やっぱり、復讐したかったのか」
アジータが言葉を詰まらせる。オータニがこちらをちらりと見やった。
「いや、別に良いと思うんだよ。報復は正当な権利だ。日本だって昔はそういうのが認められてた時期もあった。イランだって、多分そうだろ」
混乱したようにアジータの視線が泳いだ。
「そう……ですね……だけれど、だけれど、そこまで開き直れない。日本に殺されたのか、ブラックキギョウに殺されたのか、昨日の夜考えてみたら違う気がして」
ただの復讐鬼には出来そうにない。聡い子供達。今はその脳みそが邪魔なんだけれど。
「じゃあ、どうしたい?」
柔らかな口調で、オータニが問うた。
「死にたい」
絶望的な一言だった。俺は努めて無表情を守り、オータニは唸り、キーロフは何も知らずに首を傾げた。
「……昼飯は、食ったか」
俺はふと昼飯時だと思い出して、そう問うた。「なんか買ってくるよ」
「……食べてないです」
「じゃあ、俺の好きな物で良いか」
ちらりと監視しているヤクザを見やった。「経費で落としてくれよ」
「調子の良い奴だ」
何かぶつぶつ言っていたが、とりあえず無視。オータニに二人を見ていてくれと言ってから、バックヤードを出た。
外の空気を吸いたかった。あと煙草。歩き煙草をしながら、近くのスーパーに入る。惣菜コーナーで寿司と唐揚げ、マカロニサラダ。それから俺とオータニの分の菓子パンを籠に放り込む。
「あれ、なにやってんの」
誰の声だ、と思ったら、ピアスを取ってカラーコンタクトも外した地味になったドゥが弁当を籠に入れていた。
「仕事はどうしたのさ、逃げられたら私まで困るんだけど」
「勤務中だよ。詳しいことは話せないんだけど……」
そういえばドゥは売人だった。餅は餅屋。
「なあ。堅気をグレーゾーンに踏み込ませるには、どうしたら良いと思う?」
「クスリ漬け」
俺はドゥの脛を軽く蹴った。チクショウ。商売熱心。
「なに、言ってくれれば軍用の自白剤もLSDもあるよ」
「人道的な方法だよ。馬鹿」
「ゴトーがMDMAキメて見れば良いアイデアも浮かぶかもよ」
それも経費で落ちるだろうか。いや、だめだ。日本人は昔エコノミック・アニマルと呼ばれていたんだったと今更俺は思い出した。
そういえばキーロフが着いてきていないな、と思ったらバーの尋問室で寝ていた。食べ物を買ってきたのだと分かって、尻尾を振って袋の匂いを嗅いでいる。
「寿司は食ったか。日本のスピリットだぞ」
奇妙な昼食会が始まった。爆弾テロ魔のガキ二人と、朝鮮人と、日本人のフリーター探偵と、ヤクザ一人。ヤクザにも手渡したら神妙な顔で俺の顔と特大クリームパンを代わる代わる見て、「命知らずは嫌いだ」と呟いてからかぶりついた。
寿司より唐揚げの方が人気だった。ヴァヒッドの口の周りを油だらけにして唐揚げを頬張る。四九九円で笑って貰えるとは、安いガキ。
「寿司は苦手か?」
「生魚の食感が、ちょっと」
「じゃあ俺が食う」
オータニが横目で睨んだが、俺は甘エビを尻尾までかみ砕いた。イラン人バハーイー教徒の二人は醤油は付けない方が旨い、という。ガイジンの味覚はよく分からない。俺は日本から出たことがないのだ。パスポートなんて作ってさえいない。
「俺がいない間、どんな話をしてたんだ」
「死にたくなくなるくらい、好きなことはないのかって」
オータニが代わりに答えた。俺は想像も付かない。
「絵を描きたいんです。バハーイー教徒は信仰を隠さないと、大学にいけないんです。イランではどのみちダメだった」
アジータがはにかんだ。
「いいんじゃないか。俺は大学行ってないからわかんないけど。ヴァヒッドは?」
「……ぼくは趣味ないから……ペルシャ語とアラビア語、日本語の通訳なら出来るかも知れない」
黒社会でならできるかもよ、とは言えない。少なくとも画家よりは現実味がある夢だ。創造的であるより現実主義的な方が生きやすいなんて、世界はいつだって逆立ちしている。
「女の子とキスしたことも無いくせに。もっと夢みていいんじゃないか」
ヴァヒッドが少しだけ頬を赤くした。
どうやら俺が黙っている方が物事が上手く進むようだった。オータニが会話を振り、二人が返事をして、俺が相槌を打つ。雰囲気が重くなってきたら俺がとんちんかんなことを言って場を和ます。奇妙なカウンセリングは続いたが、あと一歩が足りないという状態が続いていた。
殆どは無駄話だが、暗くなるまで話して二人が眠そうにしていたから解散にした。坊主頭のヤクザに何か言われるかも知れないと思ったが、そんなことはなかった。
この調子だと吹き出物が停まらなくなりそうだけれど、またマックで作戦会議。
「後一押しだな。素直な子供達で良かった」
心底安心したように、オータニが溜め息をついてからフィレオフィッシュにかじりついた。食べるのが早い奴。
「犯罪教唆も板に付いてきたな」
俺は皮肉っぽく笑った。「まあ、俺も同じなんだけど」
「仕方ないだろ。死ぬより科は犯罪に手を染めてでも、俺は生きていてほしいよ」
「子供好きか」
「一般的な感覚だ」
そういわれると、俺には特にあの子供達に対して特別な感情はない。少なくとも二〇万は欲しい。それにヤクザに借りを作っておくのも悪い選択じゃない。
とりあえずキーロフのやっているように、振る舞っているだけだ。
「どうする。もう少しでいけそうだけれど、死にたいと言ってるようじゃ逃げ出すのが怖い。俺たちまで被害を被るかも知れない」
「うーん……」
死にたくなくなる方法。そりゃヤクザに毎日責められ続けたら死んだ方が良いと思うだろう。俺たちに死にたいとヴァヒッドがこぼしたのも、ただ注目されたいとか、同情されたいというだけではないのだろう。
ふと、ヤクザのやり方を思い出した。クスリ漬け、じゃなくて、脅し。
「オータニ。俺、お前には貸しがあるよな」
「はあ?」
「爆弾ベストを見て、俺をおいて逃げただろ」
苦い顔でオータニが答えた。「そりゃお前、軍役があるとああいうのに敏感になるんだよ。お前が鈍感なだけだ」
「少なくともあのままじゃヴァヒッドは死ぬかも知れなかった訳だ。場合によっては俺はお前やアジータの命を救ったことになる」
「ヒーロー気取りかよ。なんだよ」
「明日はお前が悪役だ」