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「殺された、っていうのは、どういう意味」
俺はまだその本意を理解できなかった。結論から先に話すのはなんだか外人っぽい。
「イラン人の日本への移民が昔多かったそうです。その内の一人が、わたしたちのお父さん」
アジータが代表して口を動かした。「わたしたちには弱さを見せなかった。だけれど、ブラックキギョウとサベツ」
ブラック企業はともかく、差別の方はあまり実感がわかない。
「そうかそうか。俺はなんとなく、気持ちは分かるよ」
オータニが頬杖をついた。「俺は、韓国人なんだ。日本人の名前で日本人として生活しているけどね」
「そうなんですか。日本語が上手いですね」
「お前らと同じだよ。英才教育だ」
小さくオータニが笑った。「ひどい嫌がらせを受けたよ。チョンって知ってるか」
「知らないです」
どうやらお気楽な日本人は蚊帳の外のようだ。俺は煙草を取り出してヤクザに目配せした。小さく頷いたので、煙草に火を付ける。
「差別用語だよ。イラン人のことをなんというかは知らないけれど、似たような言葉はあるだろうね」
「どうやって生き抜いてきたんですか」
「生き抜くもなにも、歯を食いしばって堪えるしかないんだ。マイノリティ……少数派は黙って我慢するしかない。誰も味方してくれないから」
「ぼくのお父さんは、出来なかった」
ヴァヒッドが呟いた。
「ブラックキギョウで使われるだけの人生だった。大学を出ていないガイジンだからと、ひどい扱いをされていたとは言わなかった」
「強い人だったんだな」
俺は率直な感想を述べた。
「わからない」
「わからない、っていうのは」
「お母さんが、お父さんが死んだことを隠していた。仕送りで十分に生活できるからと……アグラヲカクというんでしたっけ」
俺は頷いた。「あってるよ」
「そういう風に、お父さんは扱われていた。死んでしばらく経ってから、ようやく知らされた。そのあと怖い人たちが家に来た」
「怖い人たち? 警察?」
「マフィア。わたしたちはイキョートだから」
異教徒。口をつぐんだヴァヒッドの代わりに、アジータが答えた。
「わたしたちは、バハーイー教徒なんです。イランで多数派のシーア派のムスリムではない。シューキョーテキショースウシャ」
宗教的少数派。
「イランはバハーイー教を認めていません。バレたら、処刑か投獄。警察に通報されて投獄されるか、それともマフィアにしたがって人間爆弾になるか、選ばなければいけなかった」
なんだか救われない話になってきた。ブラック企業に使い潰された出稼ぎ外国人と、マフィアに雇われて日本に復讐しようとした姉弟。異教徒という少数派。
「だけれどわたしたちは生きるために殺すことを選んだことには違いはない」
さめざめと泣き出した姉弟を見て、俺とオータニは目を見合わせた。
溺れる者は藁をもつかむというけれど、おそらくそれはこの姉弟も、ヤクザも、俺たちも変わらない。皆この社会に適合できずに溺れた者同士で手を取り合って沈んでいくのだ。
こいつらが犯罪に手を染める将来は、今のところ全く見えない。
キーロフはアジータの膝の上で丸まって眠っていた。
「あんたって、普段何時に寝てんの」
「……一〇時くらい」
生活リズムが整ったテロ組織構成員だ。俺は腕時計を見る。九時四一分。
「そろそろ寝た方が良いんじゃないか。いいだろ。子供なんだから。それこそ任侠ってやつだろ」
俺がヤクザに目配せすると、難しい顔で部屋を出て行った。少しして戻ってくる。
「いいだろう。明日、昼からまた来てくれ」
「ああ。子供達にはちゃんと寝かせてやってくれ。どうせ尋問詰めでまともに休ませてないんだろ」
オータニはまだ何かを言い足そうにしていたが、渋々従った。坊主頭のヤクザに電話番号を訊かれて、素直に答えた。万が一の保険のつもりだろう。
「逃げようなんて思うなよ」
「俺たちにも情ってもんがある。そんなことはしない」
「その言葉が本当なら、ウチの組に欲しいくらいだよ」
すぐ近くのマクドナルドに入る。オータニと作戦会議だ。パーティ用の一五ピースのマックチキンナゲットとLサイズのポテトが二つ。
「なんだか、俺は気が進まなくなってきたよ」
早々にオータニが弱音を吐いた。「ヴァヒッドはホストか売人、アジータは娼婦。あんな可愛い子たちにそんなことはさせたくない」
「じゃあ木っ端微塵の方が良かったか?」
「そうは言ってないだろ」
むっつりとした顔でオータニはフライドポテトを口に三本まとめて押し込んだ。ふと、思い出したようにスマートフォンを取り出した。
「どうした」
「スタミナ消費だ。落ち着かないんだよ」
呆れた。
俺はぼんやり考えた。犯罪に加担させる一番いい方法は、家族だ。金を送って生活費の足しにするとか、なんとか。あるいは弱みを握って脅すか。
「そういえばバハーイー教ってなんだ」
「あ?」
オータニは指でしきりに画面を叩いている。「そうだな……なんだろう。悪い例えだとは分かっちゃいるが、イスラム教から分離した比較的新しい宗教だ。新興宗教とも違うんだけどな。予言者は複数人いるという禁忌を犯した代わりに、悪い意味で言うなら俗世的な、良い意味でいうなら穏和なイスラム教だと思って良い」
「ふーん。詳しいんだな」
「大学で少し習っただけだ。詳しくはない」
「本当に、イランに帰ったら殺されるのか」
「そりゃあな」
オータニはスマートフォンに視線を落としたまま、頷いた。「先進国の方が、宗教は緩いからな。一番良いのはイラン人グループのコミュニティでどこか別の国にいって商売をして、生活をすることだ。まあ、そんな甘い話はないだろうが……」
「何か良い考えはないのか、大卒だろ」
「ねえよ」
オータニはコーラを飲んでから、大きなげっぷをした。そういえばいつの間にかキーロフは消えていた。
「どうせ俺たちは死んでる筈の人間だったんだ」
煙草が吸いたくなってきた。オータニは目を伏せたまま、眉間に皺を寄せた。
「どういう意味だよ」
「本当は、半グレの襲撃なんて嘘だったんじゃないか。ヤクザとイラン人グループの折衷が早すぎる気がするんだ」
俺は自分の推論を述べた。「あるいはその別のイラン人グループの一部からヤクザの店を爆破するとタレコミがあった。爆弾を抱えて突っ込んでくるガキの防波堤として、俺たちは雇われたんじゃないのか」
「マジかよ」
オータニは舌打ちしてスマートフォンをリュックに投げ込んだ。
「じゃあ貧乏くじを引かされ続けてる訳だ。犯罪教唆カウンセラーは死に損ないってか」
「まあ、ただの推測だよ。そんなことはどうでもいいんだ。俺たちが考えるべきはあの子たちをどうするか。なんとかして犯罪に加担させるんだろ?」
オータニはあっというまにコーラを飲み干してがりがり氷をかみ砕いている。歯茎に沁みたのか、ごくんと塊のまま飲み込む。
「お前、韓国人だろ、強盗とか車の盗難とかやったことはないのか。最近茨城で流行ってるだろ、外国人車泥棒」
「ねえよ馬鹿。まあ、足がなくて駅にいつも停めっぱなしの錆びだらけのチャリを盗んで捕まったことはあるけどな」
それでは全く釣り合いが取れない。
全く良い考えなど浮かばないまま、マックチキンナゲットを平らげて「まあまだ一週間あるから」というオータニの一言でその日は解散した。
重い気分で家に帰った。シャワーを浴びて、髪を乾かしながらスマートフォンを弄る。宗教的少数派。新興宗教みたいなものだろうか――と思ったけれどそうでもないらしい。よく分からない。
全くもって面倒臭い問題だ。いっそのことあのガキを煽って復讐鬼にしてしまえはいいのではないのか。生きるために殺す。このニッポンでも皆似たようなことはやっているじゃないか。手前の為に目の前の人を蹴落として、あとは知らんぷり。見慣れた競争社会の資本主義経済はそうやって回っている。
寝酒は身体に悪いと分かっているけれど、電気を消しても頭の中でぐるぐるアジータとヴァヒッドの顔が回っていた。買い置きのブラックニッカウイスキーの中瓶を取り出して、舐めるように飲む。
説得に失敗して行政が介入すればまず強制送還だ。警察に従ってイランに帰って死ぬか、ヤクザに従って今死ぬか。
背中にキーロフを感じていた。
死ぬべきところで死ねなかったのは、俺もあのガキも同じだ。多分あの子たちも、同じ事を考えているだろう。こんなに質問攻めにされて苦しむくらいなら、あのとき死んでおいた方がよかった。そんな風に。