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「お手柄だ」
坊主頭のヤクザはオフの時はやっぱり標準語のようだ。貝のように黙っているもう一人の部下のヤクザが妙に不気味だった。俺たちはバックヤードにようやく入れてもらって、石油ストーブで冷め切った指先をあたためていた。
「そうかい。どうも」
オータニが不服そうに頷いた。ヤクザが一般人を褒めるときなんて、ろくなことがない。説明するでもなく、坊主頭はテレビの電源をつけた。
「なんだこりゃあ」
オータニがぽかんと口を開けた。『豊島区、足立区、八王子市で連続爆破事件』被害者の数は今のところどうでもいい。
キーロフは焦げそうなほど石油ストーブの近くで腹を出して爆睡している。犬は気楽だ。俺は大きな疑問を口にした。
「あの姉弟はひょっとして自爆テログループの構成員か?」
「そうなる。口を割らない。強面は揃っているが、ガキは泣くだけだ。泣けばなんとかなると思っていやがる」
「どうして警察には通報しない? イスラム過激派なら、警察が味方してくれるだろう」
坊主頭はかぶりを振った。「いいや。俺たちは違うと思っている。イラン人グループの偽装工作だろう。イラン人は最近の暴対法にやられて煮え湯を飲まされてるからな」
黒社会には黒社会なりのルールがあるものだ。
「それで、あの子達はどうするんだ」
「イラン人グループは一枚岩じゃない。日和佐組はこのご時世にも任侠を掲げている」
回りくどい言い方だった。「任侠の意味なんて知らないかも知れないな。弱気を助け、強きをくじく。人道と言えば分かりやすいか」
ヤクザが人道を語るなんて変な話だと思いながらも、話の続きを促した。
「特にオヤジはご立腹だ。ガキを抗争に持ち込むなと。そこで、警察沙汰にはしないであの二人のガキを別のイラン人グループに引き渡す手筈になった。売人にされるのか、売春させるのかは知らないが、少なくとも木っ端微塵よりはましな人生があのガキには待ってる」
「それで」
「あの二人は妙にお前に心を許している。ゴトー。お前は探偵をやっているんだってな。アウトローの道標をあのガキに示してやって欲しい」
そういう話かと、俺は納得した。オータニはまだ混乱している。
「要するに、犯罪の片棒を担ぐように俺たちがあのガキを説得する」
「そういうことだ」
犯罪教唆のカウンセリング。いかれた依頼がフリーター探偵に舞い込んだ。
「俺は納得いきません」
貝のように黙っていた部下のヤクザが、突然声を上げた。「日雇いにそんなことをさせるのは信頼が置けない」
「黙らんか」
怒号が飛んだ。どこかでこんなのを見たことがあるな、と思った。
派手に坊主頭の方は左フックを飛ばし、頬を打たれた部下が地面に転がった。ああそうだ、ヤクザ映画でよくあるやつだ。ヤクザが自分の部下を殴って、商談相手を怯えさせる手段。
「どうせフリーターが警察の前で今の内容をうたっても、日和佐組を信じるさ。サツと繋がってる俺たちの言うことを無視する筈がないんや」
ひどい職業差別。間違ってはいないけれど。
「……で、金は?」
オータニが神妙な顔で訊いた。
「もちろん出す。二〇万」
時給にしないところがヤクザらしい効率主義だ。俺は渋々頷いた。
「……死ぬよりはかよっぽど犯罪者でも生きていた方が良いよな……」
オータニが自分に言い聞かせるように呟く。
キーロフがごろりと寝返りを打った。
案内されたのはバックヤードの三階にある小さな部屋だった。ぼったくりバーにする予定でもあったのか、あるいは面倒な客に言い聞かせるためか、取調室のような間取り。姉弟が身体を小さくして震えていた。見張りのヤクザが一人目を光らせている。
キーロフが身軽に椅子に飛び乗って、そのままテーブルに登った。うつむいた姉弟の顔を心配そうに覗き込んで鼻を鳴らしている。
「よう」
俺が声をかけると一瞬男の子の方が顔を上げた。
「別に俺たちはヤクザじゃないよ。そんなに怯えなくて良い」
オータニが柔らかな口調で告げる。意外に子供好きの在日朝鮮人。「俺たちは日雇いなんだよ。そういえば日本語は分かるか?」
「わかります。お父さんに習っていました」
妙なアクセントだけれど、文法は俺より上手いかも知れない。口調に知性があるのだ。
「あんた、名前は?」
俺たちは向かいのパイプ椅子に腰掛けた。
「わたしが、アジータ」
女の子の方がおずおずと口を開いた。
「ぼくはヴァヒッドといいます」
アジータ、ヴァヒッド。イラン人の名前なんてさっぱり分からない。
「ふーん」
「俺はオータニっていうんだ。日本人の名前はわかりにくいかな」
「オータニサン。大丈夫です。そちらの方は?」
「ゴトー」
「ゴトーサン」
姉弟は生真面目に復唱してみせた。
「えっと……」
俺はテーブルの上のキーロフを見た。まだアジータとヴァヒッドが気になるらしく伏せの体勢で心配そうにしている。今はまだ相手が緊張しきっていると判断。無難な会話からいった方が良いだろう。尋問はヤクザが試して意味が無かったから俺たちに仕事が回ってきたのだろう。
「なんていうか……どうして日本に来たの?」
アジータとヴァヒッドが一瞬目を見合わせた。小さく頷く。何らかの覚悟を感じた。
「わたしたちのお父さんは日本に殺されました」