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立川リビングデッド  作者: 相原
4/8

4

 終電の時間まで清掃業の真似事をして、オータニが酒に誘った。断る理由はない。

 ある程度の年になると酒でも入れないと腹を割れなくなる。子供の頃はそんな大人になるまいと思っていたが、実際なってみると仕方のないことだろ。

 二二〇〇円二時間飲み放題。一杯目はビール。

「お前格闘技は何をやってたんだ?」

 オータニはスマホゲームをやりながら俺に問うた。病気なのだろう。

「色々。浅く広くって言っただろ。少林寺拳法とか、ムエタイとか。全部長続きしなかったけど。あんたこそテコンドーなんて、珍しいな」

「俺は韓国人なんだよ」

 俺は変に見えるのを承知でキーロフと目を見合わせた。キーロフは不思議そうに首を傾げる。

「すごいな。じゃあ韓国語も喋れるのか」

「まあな」

 歯切れ悪くオータニは言葉を濁した。

「あんた年の割には老けて見えるんだけど、それで?」

「大卒だからじゃねえか?」

「もったいない……いや、そういうやつもいるか」

 思わず率直な気持ちが出た。オータニは苦笑する。

「自慢に聞こえるらしいから、あんまり言わないんだ」

 オータニは昼間黙っていたのが嘘のように、自分の事を語り出した。

「俺の両親は韓国人でね。俺をエリートにさせたかったらしいが、妹の出来が良くて、まあ半ば捨てられるような形で日本に居着いたんだ。そのときオータニって名前を貰った。その頃は移民審査も適当だったからな」

「でもテコンドーは韓国の武道だろ」

「……そうだな」

 お通しのキャベツをオータニはかみ砕いて喉を鳴らしてから告げる。

「俺に居場所を作ってやりたかったんだろうな。多分」

 ビールが二つやってきて、軽く杯を合わせる。

「まあ、俺の話はいいよ。ゴトーはなんで格闘技なんかやってたんだ」

「多分親を殺したかったから」

 信用しているというより、奇妙な連帯感が生まれていた。どうせこいつと一週間仕事をして、その後はもう会うことがないのだと考えると安心した。

「虐待か」

「まあ、そんな感じ」

 どうでもいいと思っていたのに、いざ口に出すと恥ずかしくなってきた。俺は煙草を咥える。

「まあ、長続きしなかったんだけどな」

「喧嘩に慣れてるのはそのおかげか。今のお前ならいつでもやれるわけだ」

「まさか、じじばばになった親なんて殴りたくもない。江戸の敵を長崎で討つって慣用句は知ってるか」

 オータニはスマートフォンをスリープ状態して小さく笑った。「日本語検定取ってんだ。エリートになり損ねたって言っただろ」

「俺はあんたは友達少ないタイプだと思ってたよ」

「お前の方こそ友達少ないだろ」

 俺は煙草の煙を吐きかけてやった。売り言葉に買い言葉。

「ゴトーは冷静だな。どこかでお前は冷めてる」

「……」

 よく言われる言葉だった。自分でも分かっている。俺は目の前で虐待されるキーロフを見ても、キーロフが死んだら次は自分の番かも知れないという損得勘定の方が優先された。慕っていた犬という家族と自分の命を天秤にかけて、俺は自分の命を取った。最低の冷静さだ。

「どうかな。この話をしたことを後悔してないと言えば嘘になる」

 俺はビールを一気に喉に流し込んだ。鉄のような匂いがする安いビール。

 キーロフが足下で大きな欠伸をした。伏せの体勢になって顎を両脚の上に載せる。舌をちろちろ出して、引っ込めて。眠そうに目を瞬かせた。

「お前は本気で親に復讐する気はないのか」

 俺はぼんやり虚空に溶けていく煙を眺める。

「わかんない。でも俺の前に虐待されてた犬は……キーロフって名前なんだけど、蹴られても報復で噛み付いたりしなかった。だから俺が復讐するのは違う気がする。なんだかんだ世話になった親父とお袋だし」

 オータニは神妙な顔で頷いた。

「キーロフとお前は、似てるな」


 だらだら話して、深夜に解散した。明日はまた四時から清掃と監視。これが一週間で良かったと思う。煙草代が嵩んで仕方ないのだ。

 帰ってシャワーを浴びた辺りで急にアルコールが回って、倒れるように眠った。寝冷えしたのか朝起きた時には鼻水が止まらない。不摂生が祟るような職種に限って、身体が資本なのだ。悲しき歪んだ日本の経済構造。

 海外育ちだと寒さに強いのか、この秋口にもやはりオータニはTシャツ一枚だった。今日は赤のGAP。

「よう、二日酔いか」

 オータニは日本酒(韓国人のくせに)を浴びるほど飲んでいたのに元気だった。

「お前こそ酔っ払ってて薄着なのか?」

「冷静過ぎて身体まで冷えたんじゃないか。鼻が垂れてるぜ」

 その通りだ。俺は今日箱ティッシュをリュックに入れてきた。


 今日は張り付いたガムの掃除。

 二人で分散してヘラを使ってガムを刮ぎ取る。このバーが出来る前は飲み屋か飲食店か何かだったのだろう。コンビニも近いから、濃いシミのようなガムは年代物だった。石のように固くなったこれが人の口に入っていたとは考えられない。

 傾いた日差しがあたたかだ。なんだか本当に慈善でやっているような気分になる。

 ガム掃除は一旦休む。コンビニで買ってきた缶コーヒーと、隣の煙草屋昨日約束して忘れていた煙草をオータニに奢らせる。昨日は散々愚痴を聞いてやったのにとオータニはぶつぶつ言っていた。

 買った煙草はガラム・シグネチャー・マイルド。インドネシア産の珍しい、臭い・甘い・きついと三拍子そろった煙草だ。俺は下手な日本産の高級煙草よりよっぽどガラム・シグネチャーの方が旨いと思う。

 ガラムをふかして休憩。

「お前、普段はなにやってんだ」

 オータニはいつものソシャゲのスタミナ消費。「なんとなく、何でもやるっていうのに慣れてるような気がする」

「フリーターだけど、たまに探偵の真似事やってる。金を貰って何でもやるっていう感じ」

「すごいな。レイモンド・チャンドラーの影響でも受けてるのか」

 知らない言葉が出てきた時は、適当に肯定する。

「まあ、そんな感じ」

 七時を回るといよいよ酔っ払いの時間になる。一次会から二次会か、あるいは中央線の中で一杯引っかけてきて店を探す腐りかけの成人で繁華街があふれる。

 今日もオータニは吐瀉物を見て苦い顔をしているから、煙草一箱奢る条件で俺が引き受けた。この調子なら今回のアルバイトで吸う煙草は全部オータニの支払いに出来るのかも知れない。

 四つ目のゲロを片付けていた。オータニが小さく声を上げた。

「おい、なにやってんだ。迷子か?」

 俺がちりとりから顔を上げると、浅黒い肌の姉弟が立ち尽くしていた。よく見ると日本人にしては妙に彫りが深い。中東系だろうか。どちらも芋虫のような黒のロングコート。秋にしては妙に厚着だ。どちらも小学生くらい。

 オータニが屈んで目線を合わせた。「親御さんはどうした。迷ったのか?」

 怯えたような瞳が二対。

 いつの間にか現れていたキーロフが心配そうに姉弟に歩み寄った。ふんふんと鼻を鳴らして、一回だけわおんと吠えた。

「おい」

 なんとなく、嫌な予感がした。電車内で目があった男が、麻薬で蕩けた目をしていたときのような――

「ドゥ・ユー・スピーク・イングリッシュ?」

 オータニの親切心に、わあ、と男の子の方が悲鳴を上げた。なぜか、泣き出していた。両手が激しく自身の腹の辺りをまさぐる。

 ロングコートの裾がはためく。

 ベストのような、しかし無数の電子機器と缶のような物がついた、自爆装置。

 オータニが悲鳴を上げて飛び退く。俺は反射的に男の子に飛びかかった。両腕を掴んで、ねじり上げる。

 女の子の方は立ち尽くしていた。凍り付いたように動かない。

「なにしとんじゃ、ワレ」

「爆弾、爆弾」

 坊主頭のヤクザが目を剥いた。店の奥に向かった何か叫ぶ。

「オータニ、女の子の方をなんとかしてくれ」

 小さな戦争のように無数の錯綜した指示が飛び交った。とにかく自由を奪え、そして店の中に連れて行け、という指示だけはかろうじて聞き取れた。

 男の子が大声で泣き、女の子の方はさめざめと泣いていた。少なくとも爆弾ベストに手を伸ばすような様子はない。

 キーロフが女の子の方に飛びついて心配そうにくーんと喉を鳴らした。

 俺が両手を広げてやると、子供の方から飛びついてきた。爆弾ベストを着た子供を抱くと、妙に身体の柔らかさとベストの固さを感覚した。

 オータニは俺のことを冷静だなんて言っていたけれど、嘘っぱちだ。だって俺はそのあとどうやってその姉弟を店の奥に連れて行ったか覚えていないのだから。


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