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立川リビングデッド  作者: 相原
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 怠い話をしながら情報交換。コンビニアルバイトと違って契約書も履歴書もいらない。ドゥの仲介だから、俺の働いた一部はドゥの金にもなるのだろう。だから途中で投げ出さないような真面目な奴を選ぶし、俺も割のいい仕事が貰える。SNSの捨てアカウントで連絡先を交換。

「探偵の真似事はまだやってるの?」

「開店休業みたいなものだけど」

「いいね、いいね、いいね。そういうのはプラスになるんだ。金次第でなんでもやるっていうのは良いアピールポイント」

 俺はすこしむっとして、眉間に皺を寄せた。

「金次第でなんでもやらない人が増えてるからねー。表でも裏でも。私が若い頃はもっと皆バイタリティがあったような気がするんだけど」

「お前何歳?」

 ドゥは朗らかに笑って見せた。そういえば目尻の皺が目立つし、髪も染めているから白髪が交じっているのか分からない。カラーコンタクトで妙に大きな目の底にはとんでもないものがある気がして俺は目を逸らせた。やっぱり女性に年を訊くのは良くない。

「それで、いつからやれば良いんだ」

「もう昨日の夜ぶちまけられた分があるってさ。午後四時でいいね? 掃除用具は貸し出す、ゲロと生ゴミとついでに地面に張り付いたガムとかも取ってくれって。体よく使われると思うけど、まあ仕事なんてそんなもんだよねー」

「お前も麻薬の売人を始めたときはそうだったのか」

 ドゥは青色の錠剤を黒ビールで流し込んだ。

「もっと過酷だったよ。バッドに入るから、その話はまた今度」

 そう言ってドゥは店の隅においてある安物の長いソファに横になった。瞳孔が急速に散大して、その視線の先は三〇〇〇メートル望遠。

 ウイスキーの最後の一口は殆ど水のようだった。グラスを置いて、フライトジャケットを羽織った。

 足に、なにか柔らかい物が触れた気がした。

「……」

 キーロフが足下でお座りの体勢になっている。一瞬こちらに目を向けて、ふてぶてしい顔できょろきょろ見渡していた。

 幻覚だと分かっている。じっとキーロフの奥の地面を見つめると、頭の奥でその先の地面を感覚する。

 俺が立ち上がるとキーロフも釣られて立ち上がった。俺の後に付いて階段を上り、外に出る。

 家に帰ったら寝るかも知れない。俺はキーロフを連れたまま立川駅方面に歩いた。キーロフは途中で電信柱の匂いを嗅いだり、雑草に小便をかけたり、クソを垂れたりしながらずっと着いてくる。

 駅ビルに入って、アパレルショップを彷徨き、本屋で立ち読みをして、古着屋の袋詰め二千円のセールを物色して、振り返るとキーロフは消えていた。奇妙な幻覚は中学生の頃夢の中で始まった。高校生になったときには常に見えるようになり、成人してから少し薄れてきた。医者はイマジナリーコンパニオンといい、高校時代の先輩は守護霊といい、親は怨霊だという。人間は幻覚に都合のいい名前を付ける癖があるらしい。

 科学で証明できないことをすべて宗教とスピリチュアルに押しつけるのは現代人の鉄則。それが息苦しく感じる人間を変人と評価する。

 唯物論でしか視た物を評価できないのは俺に取って一番大きな不幸だ。すべてを超自然的なものに押しつけるのは二番目に大きな不幸だ。

 三番目は俺の心臓がキーロフの心臓と一緒に止まらなかったことだ。


 一応家に帰ってシャワーを浴びて、歯を磨いた。

 『アミーゴ』が組関係かそうでないにしても、どんな組織の下っ端人を殴り慣れていない。キレた素人が一番怖い。若者はまだ良い。腐りかけの団塊世代だったら目も当てられないのだ。汚れるかもしれないから、パーカーにウインドブレーカーだけを羽織って家を出る。

 調べたら場所はここから歩いて二十六分とあった。日が落ちるのが早くなった街の大通りを歩いて、その後細い道の空気感を楽しむ。受動喫煙防止地区と銘打った看板の奥、裏道で挙動不審なサラリーマンが煙草を吸っている。俺の顔を見て安心したように見えたのは俺の被害妄想だろうか。

 外国人になりたい女子大生と、日本人であることに過剰な自信を持ったフリーターの男と、都会になりきれず中途半端な立川市の相性は最高だ。俺はお上りさんでもこの街を誇りに思う。小学校の道徳教育で愛国心を育てるなら、この国の好きなところも嫌いなところも含めて愛さなければならない。

 それが出来ないから街は易々と切り捨てられる。

 『アミーゴ』系列の高級(ドゥの視点からして)バーはまあまあの見た目だった。準備中の札の奥には梱包材に包まれたレプリカの北欧系の家具に、ビンテージ風味のバーカウンター。ちらりと並んでいる酒を確認する。ジャパンウイスキーの一番高いものは山崎の一二年物、スコッチはジョニーウォーカーのブラックラベル、日本酒は訳の分からない地酒がたくさん、それにビールはクリアアサヒと、二割増しの値段でハイネケン。見た目だけのバーだ。最高に立川にふさわしい店じゃないか。俺は心の中で拍手喝采。

「ドゥに呼ばれた。用心棒兼掃除係だ」

 カウンターの男は小さく頷いて、バックヤードに声をかけた。出てきたのはまるで大学生のボンボンのようなツーブロックの若い男。俺より少し年上だろうか。

「こっちだ」

 店の裏手に入って、関係者以外立ち入り禁止のバックヤードに。パイプ椅子に腰掛けて待つと、ドゥが手配したらしい男がもう一人やってきた。こっちは二〇代後半。フケが浮いた天然パーマに、さむそうなサイケな柄のロングTシャツ一枚。

 ツーブロックに呼ばれてバックヤードから掃除用具と取りに行く。大きなゴミ箱とデッキブラシ、それから金属製のヘラ。

「昨日ぶちまけたゲロの掃除だ。水道は好きに使って良い。営業が始めるまでの一週間」

「嫌がらせが続いてるんだろ」

 天然パーマが声を上げた。「殴り返して良いのか」

「お前らはボランティアで掃除をしている、そういうことになっている。好きにやっていいが、最低限だ」

 最低限。俺は口の中でそう呟いた。不服そうに天然パーマは頷く。

「分かるか。行政のやってくれる清掃じゃ足りないんだ。別に半グレの連中を追い返せと言ってるわけじゃない。言っておくが欠員が出たら困るのはお前らだ」


 掃除は三十分おき、酔っ払いの監視は常時。改装中の店の前に俺と天然パーマは掃除用具を持ってきて、とりあえず一回目の掃除を始めた。

 本当はゲロなんて水流だけで流すのが一番。だが水圧が弱すぎるし人も多い。仕方なくちりとりとデッキブラシで掃除して、最後にバケツの水で流すことに決めた。こんなところで水をぶちまけたらすぐに酔っ払いに水が掛かった掛からないの無駄な喧嘩になることは目に見えている。

 箒ではなくデッキブラシで良かった。地面に張り付いた踏み潰された吸い殻は箒だと漏れで出る。天然パーマは不真面目ではないが、しきりにスマートフォンを気にしている。現代人の病気だ。個人情報満載の小さな機械が気になって仕方ないのだ。

 掃除が終わった後は店のステップに座る。ぼんやり時間が流れるのを待つ。日雇いまがいの俺たちはバックヤードなんて入れて貰えない。麻薬取引を公認しているナイトクラブの系列のバーなんて、グレーには違いない。

「あんた、名前は」

 天然パーマはびっくりしたように顔を上げた。スマートフォンの画面には露出度の高い服装のアニメ女が笑顔を作っている。

「オータニ」

「ゴトー。あんた、何歳?」

「二七」

「俺二一。フリーター?」

「そんな感じ」

 語彙力の限界だ。あんたも会話を振れよ。

「そっか」

 俺が黙ると、オータニも黙る。こいつは免許合宿にいっても友達が出来ないまま孤独になるタイプだな、と思った。

 オータニはスマートフォンの画面を擦り続ける。ソーシャルゲームが楽しくてたまらない、という顔でもない。暇つぶしにしては熱が入っている。スマホを弄るときも死んだような顔をしている奴よりかはいいけれど、どこか娯楽への情熱も枯れている。

 最低限同僚とは仲良くしておいた方がいいのかと思ったけれど、そうでもないと相手は思っている。待ち時間の長い仕事で、これはきついかもしれない。

 酔っ払いがうっとえずいた。俺とオータニがにらみつけたのに、そこでサラリーマンのハゲはぶちまけ、俺たちの顔を見た後にくるりと回って向かいのエロビデオ屋の裏に回ろうとして、途中で吐いた。

「おい、てめえ」

 オータニがスマートフォンをポケットにねじ込みながら喚く。気の弱いサラリーマンでよかった。足早に聞こえなかったふりをして、逃げていく。

「最低限だろ。やめとけよ」

 鼻息荒くオータニは俺を一瞬睨んで、デッキブラシを投げてきた。先が思いやられる。


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