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立川リビングデッド  作者: 相原
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 あんたは幽霊を見たことがあるだろうか。

 誰かから見える。中身も、心もある。それなのに書類上は透明人間で、その経歴は謎につつまれたまま。謎、というより個人の秘密の箱は心の奥深くにしまったまま、開くことは永遠にない。

 生ける死者。死ぬことは残酷だよな。存在の証明が消えること。明日やりたいと思っていたことが永遠に出来ないと言うこと。誰かの思い出の中でしか生きられないこと。生きながらにして死んだ彼ら彼女らは、どこかで後ろめたさを感じたまま、鼓動の聞こえないまま、がむしゃらに過ごす。

 だが幽霊にも心があるという問題。あんたが幽霊なら、俺はその気持ちも分かるよ。あんただって苦しんできたんだもんな。アダルトチルドレン、オタク、DQN、メンヘラ、アル中。今までの人類は個々の人間を細かく分類しすぎたのだ。レールを上を突っ走り階段を駆け上がる自称マジョリティ達はレールから逸れたり階段から転げ落ちた者を見て見ぬ振り。生きたまま死体になっちまった他称マイノリティには適当なラベルを貼り付けてやれば良い。

 そうすれば何があっても、他称マイノリティは自称マジョリティの連中とは『違う人間』だと言い張れるから。


 俺が始めて死を知ったのは小学生の頃だった。

 親が飼っていた犬を殺した。キーロフという名前の柴犬と何かの雑種だった。笑ったように唇の端を持ち上げていつも笑顔のようで、耳の先が少しだけ折れていて、くるりと円を描く尻尾が特徴の愛嬌のある犬だった。

 俺が生まれてから父親がおかしくなったらしい。らしい、とは俺が物心ついたときには父親はキーロフを虐待していて、母親はそれを半ば認めていた。

 革靴が凶器になると知ったのは小学四年生の夏。

 俺はそれ以上のことを話したくない。


 高校を卒業して、上京。三回目の秋。

 起きたときには忘れているような、浅い夢を見ていた気がした。俺は煎餅布団から身を起こす。二日酔い気味で側頭部が重い。付けたまま眠っていた腕時計は午前十一時を指していた。

 日給一万二千円の日雇いのフリーターから始めて、空いた時間で俺は探偵の真似事を始めた。何のことはない。スマートフォンがあれば誰でも労働力を売れる時代だ。『金額次第で何でもやります』の文言を並べれば、六畳一間が探偵事務所に早変わりする現代ニッポンの経済だ。

 夜の街の客引き、振り込め詐欺の受け子、ダフ屋の使い走り、怪しいNPO団体の人集め、宗教団体のサクラ。

 俺は「リア充」なんて言葉は好きじゃない。女がいても男がいても、セックスの相手に困らなくても空虚な奴。肉体を許しても話せない悩みを抱えているのは、よっぽど一人の方が楽なんじゃないだろうか。

 まあ、半年間女がいない俺が何を言っても負け犬の遠吠えなんだけど。


 MA-1フライトジャケットのパチモンを羽織って、錆びた軽量鉄骨の階段を降りる。立川の郊外からぼんやり街を歩く。視線が自然と下を向く。中華料理屋が垂れ流す油のシミ、白い吸い殻、それから昨晩誰かがぶちまけた腐る前のゲロ。

 育ちが悪い、とはいうけれど、俺は環境のせいにするのは好きじゃない。ある意味、テレビがもたらした洗脳なのかも知れない。辛い環境を生き抜きエリートになった成功物語は、希望より絶望を仲介する。わかるだろうか、『俺だってやれば出来る筈』の根拠の無い希望を打ち砕く、したたかで狡猾な成功者のノンフィクションだ。

 スーパーヒーローなんて現実に現れてもパロディでしかない。創作物はユートピアを描くべきだ。だってディストピアなんて、現実だけで十分だろ。あんたもそう?

 立川駅から青梅方面に向かって、三十分。早めの昼休みのサラリーマンの軽自動車とすれ違った。こちらをちらりと見て、すぐに視線を前に持って行ったのは安全運転かドブを覗き込まない心理か、それとも俺の被害妄想か。

 二十四時間営業のクラブが生まれたのは二〇一五年から。風営法の改正でダンス界隈は大喜びだ。ナイトクラブが息を吹き返した。。その内の一つが昭島市にある『ラヴ・ユアー・アミーゴ』。単純に『アミーゴ』と呼ばれる。半地下の昼間のクラブは法律の規制のせいで妙に明るいのが残念だ。メンテナンス中のお化け屋敷みたい。ワンドリンク制なので、安ウイスキーのオンザロックを頼んでから、テーブルに着く。

 汚い身なりの女がはす向かいからにこやかに笑った。右耳に二つ、左耳に一つ、唇に二つピアス。昨夜も踊っていたから、女からは汗のにおいがした。

「ゴトー、昨日いいのが入ったんだよ」

 女は長財布を広げてみせた。色とりどりの錠剤と、乾いたあと財布の中で砕けた茶色の植物の葉っぱ。

「いらない。金食い虫は煙草だけで十分」

 俺はフライトジャケットのポケットから煙草を取り出して火を付ける。誰がそう名付けたのかは知らないが、この女はドゥと名乗る。ネットでも、現実でも、クスリを持っているときはいつもそう。名無しの権兵衛を英語で言ったときの姓が、ドゥなのだという。

 ドゥは唇を尖らせて、テーブルの上においてあったホルンのような形のアルミホイル手作りのパイプを手に取った。ライターの火で炙ると妙に甘い煙が上る。一口吸って、満足げにそれをテーブルに戻す。パイプをたてておけるように、洗濯ばさみの二脚がパイプについている。

「どうせ家計簿もつけてないでしょ。溶けるだけの金なのに」

「お前は付けてんの」

「そりゃね。いつも収支プラス」

 ドゥはピアスだらけの顔を歪めて蕩けた笑いを見せた。

 酒を一口含む。臭さときついアルコールが喉に焼き付く。

「なんか、仕事ないか」

「選ばなければ」

 いたずらっぽくドゥは笑う。「でも選ぶんでしょ」

「売人はゴメンだ。相場も知らないし、値切りが難しいんだろ」

 ドゥのヤニで黄ばんだ、しかし伸びやかな指が壁に貼ってあるメニュー表を指し示す。

「良いビールが飲みたい。悪酔いしない奴。知ってる? こんな商売してると男には困らないんだ」

「ラリってるとお前が美人に見えるのか」

 ドゥが俺がマリファナの煙を吐きかけた。俺が苦い顔をするとけらけら笑って肺までたっぷり煙を入れていく。こいつの友達やめようかな。

 俺は渋々ベルギーだかドイツの黒ビールをオーダー。煙草だけでアルコールが回るのに、クスリなんて俺には考えられない。心底いかれてる。

「人がいるんだ。『アミーゴ』系列店でちょっと高級めのバーを開くんだって。来週から営業開始が決まってるのに、半グレが騒いでる」

「筋は通してないのか」

「警察と違ってさ、ヤクザは通報数分で来るわけじゃ無いから。まあ全面戦争する気は無いだろうし、一週間くらいで収まるんじゃないかな。ぶちまけられた生ゴミの片付けと、万が一の時の用心棒」

 煙草を灰を灰皿に落とす。「ふーん」

「つくづく思うんだけどさ、ゴトーは私とは違う方向でいかれてるよね。薬の売人は嫌だけど用心棒は良いんでしょ? 倒錯してるよ」

「一発殴られておけば喧嘩になる。警察は俺を裁けない」

 殆ど灰だけになったパイプをじっくりドゥは炙って、苦くなってきたのか中身を灰皿に注ぎ込んだ。

「そんなに殴り合いたいなら格闘技続けてればよかったのに。そこそこだったんでしょ?」

 ウイスキーを舐める。氷が溶けてマイルドになってきた。

「俺が殴りたい奴は、いつもリングの外にいるんだよ」


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