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多国籍町内会

作者: セレソン28
掲載日:2018/05/15

「ねえ、ねえ、あなたったら」

 妻が少し甘えたような声を出したので、久々の休みでゴロゴロしていた大柴は、イヤな予感がした。

「うん?」

「今ちょっと手が離(はな)せないから、回覧板(かいらんばん)を持って行って欲しいんだけど」

 そら来た、と思いながら、大柴は念のため確認してみた。

「で、どっちのお隣(となり)さんだい?」

「もちろん、権藤(ごんどう)さんよ。そういう順番じゃないの」

 何か断る理由がないかと、大柴は必死で考えた。

「あれっ、パスポート、どこにしまったかなあ。思い出せないなあ」

「だと思って、用意しておいたわ」

 妻の手には、回覧板とともに大柴のパスポートがあった。確信犯である。

「ずいぶん手回しがいいんだな」

「じゃ、お願いね」

 大柴に回覧板とパスポートを押し付けると、妻は逃げるように台所に戻って行った。不満をぶつける相手がいなくなり、大柴は回覧板に八つ当たりした。

「なんだって今時、回覧板なんていう原始的なシステムが生き残っているんだよ。この町内に、一体いくつ独立国があると思ってんだ。届ける方の身にもなってみろ。時代は変わったっつーの。ったくもう!」

 EUの失敗を契機(けいき)として、世界の趨勢(すうせい)は国家統合から分離独立へと百八十度変わったのである。

 その結果、世界中で無数のミニチュア国家が乱立することになった。今では日本にも何百という独立国がある。

 ただし、地方自治体など地域単位の独立が多かった他の国と違い、同業者や同窓生などの人脈(じんみゃく)単位で独立した日本では、各国の領土がモザイクのように入り乱れていた。

 ネコの額(ひたい)ほどの建売(たてう)り住宅に住んでいる大柴と違い、だだっ広い庭のある権藤の屋敷は、囲碁(いご)同好会共和国という独立国の一部になっている。

 大柴が近づくと、竹箒(たけぼうき)で庭を掃(は)く権藤の姿が、生(い)け垣(がき)越しに見えた。

「おはようございます、権藤総理」

 すると、権藤はすこぶる不機嫌(ふきげん)な顔で、ゆっくり門扉(もんぴ)のところまで歩いて来た。

「我が国は、建国以来、ずっと大統領制だ」

「あ、どうもすみません、権藤大統領、えーっと何だっけ、ああ、そうか、閣下(かっか)、ですよね」

 近所の碁会所(ごかいしょ)に集まるヘボ碁仲間で作った国家に、大統領は大げさ過ぎるだろうと思いつつ、大柴は深々と頭を下げた。

「うむ、いいだろう。で、何の用だね?」

「はっ、これをお持ちしました。どうぞ、閣下」

 大柴は、念のため左手でパスポートを示しながら、右手で回覧板を渡そうとした。だが、権藤は受け取ろうとはしない。

「それはできんな」

「は?」

「まだ、貴国(きこく)との外交上の問題が解決しておらん」

「えっ、何でしたっけ?」

「とぼけないでもらおう。貴国の家畜(かちく)が我が国の領土を侵犯(しんぱん)し、あまつさえ、汚染物質を放置(ほうち)していった事件だよ」

 どうやら、一週間ほど前に、大柴の家で飼(か)っている柴犬のマメが、権藤の家の庭でフンをしたことを言っているらしい。

「ああ、あの時はすみませんでした。あれから、マメを散歩させる時には、リードを外さないよう気を付けていますので」

 権藤の顔がみるみる真っ赤になった。

「ふざけるなっ。あれほどの大事件を、一民間人(いちみんかんじん)の謝罪だけで済(す)まそうというのか。当然、貴国の総理か外務大臣が出向いて来るべきだろう!」

 権藤と違い、大柴はミニチュア独立国に所属してはいない。つまり、たかがイヌのフンの問題で、日本国の大臣を連れて来いと言っているのである。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、権藤さん、あ、いや、大統領閣下。同じ町内会じゃないですか」

 その時、権藤の家の裏手で、ガシャンとガラスの割れる音が響いた。権藤は忌々(いまいま)しそうに口をゆがめ、「くそっ、ガキども!」と罵(ののし)り、手の甲(こう)でシッシッと大柴を追い払うような仕草(しぐさ)をした。

「残念だが、緊急事態が発生した。隣国(りんこく)のホワイトルーズソックス合衆国の馬鹿者どもが、またしても我が国に野球のボールを打ち込んだらしい。ただちに損害賠償の外交交渉をしなければならん。貴国との問題は後回しだ。ああ、そうか、とりあえず、回覧板だけは受け取っておいてやろう」

「どうも、あ、いや、恐悦至極(きょうえつしごく)に存じ上げたてまつりまする」

 どっと疲れを感じながら大柴が家に戻ると、権藤とは反対側の隣に住む高崎家の夫人が、ネコを抱っこして玄関の前に立っていた。

「ああ、どうも、高崎さんの奥さん。何かありましたか?」

 高崎夫人は、切り口上(こうじょう)で話し始めた

「お宅のイヌの鳴(な)き声がうるさくて、うちのミューちゃんがお昼寝できないざます。早急になんとかなさい。それから、お伝えすることがあるざます。昨日、高崎家の親戚(しんせき)一同は独立し、高崎王国となりました。ですから、今後、わたくしのことは女王と呼ぶように。いいざますか?」

「はあ。あ、その、かしこまりました、女王、ええと、陛下(へいか)」

 大柴は心の中で、どうか世界中の国境がなくなりますようにと、切(せつ)に願った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章の流れの中に、ここで読者を引賭けようとか惑わそうとかと言った策略が無く、非情に素直な流れで好感が持てます。こう書くと普通なら”その反面――”と、綴られるものですが、反面など私は思いつか…
[良い点] なんとなく、星新一の作品を思い出しました。 [一言] お時間があれば、私の作品も読んでみてください。
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