好きなものはなんだったかしら
あるところにとてもうつくしい娘がおりました。その名前は白雪姫。そのうつくしさのあまり継母である王妃から命を狙われることになったかわいそうな子。
やさしい猟師に助けられ、森の中で七人の小人と楽しく暮らしていたのですが、正直な魔法の鏡のせいで王妃に居場所が分かってしまいます。
王妃は今度こそ白雪姫を殺してやろうと魔女に化け、七つの山を越えて、小人の家にやってきました。
その手にはとてもおいしそうな毒りんご。窓をたたくと白雪姫に差し出します。
「うつくしいお嬢さん、おいしいりんごをあげよう」
白雪姫は喜んでそれを食べるはずでした。しかし――
「…………」
白雪姫は受け取ったまま、渋い顔で手の中のりんごを見つめるばかり。いっこうに口にしようとしません。
「どうしたんだい、お嬢さん。おいしいおいしいりんごだよ。遠慮せずにはやくお食べ」
白雪姫は申し訳なさそうに王妃を見ると言いました。
「ごめんなさい、おばあさん。私、りんごがこの世界で一番きらいなの」
「王妃、何をしているのですか?」
魔法の鏡はふしぎそうにたずねます。
それもそのはず。白雪姫のところから帰ってきて以来、王妃が大きな鍋を使って大量のりんごを作っていたからです。
「見て分からないの? りんごを作っているのよ」
「なぜ?」
「白雪姫にりんごを食べさせるためよ」
「なぜ?」
「私がこの世界で一番好きなものがりんごだからよ!」
そうなのです。王妃が白雪姫に毒を食べさせる方法としてりんごを選んだのには理由がありました。それはおいしそうなりんごを差し出されて食べない人間などいるわけがないという王妃の考えからでした。
白雪姫は見事に裏切ってくれました。
「どうしてあれを差し出されて食べないなんてことが出来るの? 私なんてあまりにおいしそうだから七つの山を越える間に自分で食べそうになって危なかったくらいなのに!」
「良かったですね、食べなくて」
「そう言う問題じゃないのよ!」
王妃は怒っていました。普通に考えれば、りんご以外の食べものに毒を入れればいいではないかと思いますが、そんなことは絶対にしたくありませんでした。
王妃の心は燃えていました。
「おのれ、白雪姫、なんとしてでも私のりんごを食べてもらうからね……!」
王妃はりんごの色を変えてみようと思いました。
まっ赤な色は王妃には今すぐかじりつきたくなるほどおいしそうに見えるのですが、白雪姫にはちがうのでしょう。
王妃は考えました。白雪姫の好きなものはなんだったかしら。
そうだ、あの子は雪が好きだった。雪が降るとバカみたいにはしゃいで外に駆け出していた。
だから、まっ白なりんごを作りました。
眠っている間に地面に降り積もった、まだ誰にも見つかっていない雪。一番に触れることが出来る喜びを感じることが出来る色でした。
王妃は魔女に化け、七つの山を越えて、小人の家にやってきました。
窓をたたくと白雪姫に差し出します。
「うつくしいお嬢さん、おいしいりんごをあげよう」
白雪姫は受け取るとじっとりんごを見つめました。
そうして、少し考えた後、申し訳なさそうに言いました。
「ごめんなさい、おばあさん。とてもきれいな色だけど、やっぱりりんごはきらいなの」
りんごは王妃の手に返されてしまいました。
王妃は次はりんごの形も変えてみようと思いました。
まるい形は王妃には今すぐかじりつきたくなるほどおいしそうに見えるのですが、白雪姫にはちがうのでしょう。
王妃は考えました。白雪姫の好きなものはなんだったかしら。
そうだ、あの子は三日月が好きだった。三日月が出るとバカみたいにはしゃいで、あれに乗りたいと空を指差していた。
だから、三日月の形をしたりんごを作りました。
夜空にぽっかりと浮かぶ三日月。欠けたところに座ってどこかに旅に出たくなるような形でした。
王妃は魔女に化け、七つの山を越えて、小人の家にやってきました。
まっ白な三日月の形をしたりんご。
窓をたたくと白雪姫に差し出します。
「うつくしいお嬢さん、おいしいりんごをあげよう」
白雪姫は受け取るとじっとりんごを見つめました。
そうして、少し考えた後、申し訳なさそうに言いました。
「ごめんなさい、おばあさん。とてもきれいな色で、とてもかわいい形だけれど、やっぱりりんごはきらいなの」
りんごは王妃の手に返されてしまいました。
王妃は次はりんごのにおいも変えてみようと思いました。
香るさわやかなにおいは王妃には今すぐかじりつきたくなるほどおいしそうに思えるのですが、白雪姫にはちがうのでしょう。
王妃は考えました。白雪姫の好きなものはなんだったかしら。
そうだ、あの子は冬のにおいが好きだった。冬になるとバカみたいにはしゃいでそのにおいをかいでいた。
だから、冬のにおいのりんごを作りました。
白い息を吐きながらかぐ冬のにおい。繊細で透き通ったにおいでした。
王妃は魔女に化け、七つの山を越えて、小人の家にやってきました。
まっ白で、三日月の形をしていて、冬のにおいがするりんご。
窓をたたくと白雪姫に差し出します。
「うつくしいお嬢さん、おいしいりんごをあげよう」
白雪姫は受け取るとじっとりんごを見つめました。
そうして、少し考えた後、申し訳なさそうに言いました。
「ごめんなさい、おばあさん。とてもきれいな色で、とてもかわいい形で、とてもすてきなにおいだけれど、やっぱりりんごはきらいなの」
りんごは王妃の手に返されてしまいました。
「どうして食べてくれないのよ……」
王妃は悩んでいました。作っては返され、作っては返され。その度に王妃はまた七つの山を越えて落ち込んで帰ってきました。
色も形もにおいも白雪姫の好きなものに変えました。他にどこを変えろと言うのでしょうか。
今まですべてを見ていた魔法の鏡は頭を抱える王妃にたずねました。
「王妃、ひとつふしぎなことがあるのですが」
「何よ……」
「あなたはどうして白雪姫の好きなものを知っているのですか?」
「え?」
顔を上げる王妃。鏡に自分のおどろいた顔が映ります。
魔法の鏡は言いました。
「あなたは殺したいほど白雪姫のことが憎いのでしょう。なのに、どうしてあなたは白雪姫の好きなものを知っているのですか?」
「それは……」
王妃は考えました。
どうして知っているのか。それは白雪姫が教えてくれたからでした。
白雪姫が1才の時、王妃は王様のところにやってきました。可愛らしくて王様からも家来からも街の人々からも愛される子。王妃は自分より愛されている白雪姫のことがきらいでした。だから、冷たくしてちっとも愛してやらなかったのに、幼い白雪姫はちがったのです。
前の日の夜にたくさん雪が降って外一面まっ白に染まっている朝でした。
朝食を食べるため食卓にむかった王妃は城がさわがしいことに気が付きました。
どうやら朝、メイドが白雪姫を起こしに部屋に行くとベッドがからっぽになっていたそうなのです。
誰かに連れ去られたのではないかとおろおろする王様や家来を見ながら王妃は深くため息をつきました。
あんな子ども、いなくなってしまえばいい。それよりだれか私の朝食を用意してくれないかしら。
食卓につきながらお腹がすいていらいらしているとパジャマを雪だらけにした白雪姫がいきおいよく入ってきました。
さわぐ周りの声を気にすることなく、白雪姫は王妃のところにまっすぐやってきました。
そうして、言ったのです。
「お母さまにあげる」
手のひらにちょこんと乗るまっ白な雪だるまを差し出しながら。
おどろく王妃に白雪姫はにこにこと顔いっぱいに笑いました。
「いちばんの雪でつくったのよ。とってもとってもきれいでしょう?」
まっ赤になった手。まっ赤になった鼻の頭。朝起きてまっ白に染まった外の姿を見た白雪姫は誰かに取られる前にとあわてて外に駆け出したのでしょう。
いちばんの雪でつくった雪だるまを王妃にあげるために。
王妃は雪だるまに手をのばそうとしました。でも、ハッと気付いて止めました。
「いらないわ、そんなもの。早く外に捨ててきてちょうだい」
吐き捨てるようにそう言って顔をそらします。
白雪姫は悲しそうな顔をしました。でも、すぐにまたにっこり笑うと「ここにおいておくわね」と王妃の足元に雪だるまを置きました。
そのままでは風邪をひいてしまうからと白雪姫はメイドに連れていかれました。
足元の雪だるまは誰にもふれられることのないまま、ただ溶けていきました。
また、ある夜は王妃が自分の部屋で寝ようとしているとコンコンとノックする音が聞こえてきました。
王妃が出るとそこには白雪姫が立っていました。
「お母さま、いっしょにねてもいい?」
にこにこ笑ってそう言いながら。
王妃は嫌そうに顔をしかめました。
「何を言ってるの。自分の部屋にもどりなさい」
白雪姫は王妃の間をすり抜けると強引に部屋の中に入ってきました。
「あ、こら!」
つかまえようとする王妃の手から逃げて窓のそばに走っていきます。
「見て、お母さま、今日は三日月の日よ。私、あの欠けたところにのってお空を旅するのがゆめなの」
ぽっかりと浮かんだ三日月を指差しながら白雪姫は目をきらきらさせてそう言いました。
「いっしょに見ましょう、お母さま。とってもかわいらしい三日月なのよ」
ぴょんぴょんと飛びはねながら無邪気に誘います。空を見上げてきれいに浮かんだ三日月を見た白雪姫はあわてて部屋を飛び出したのでしょう。
王妃といっしょに見上げるために。
王妃は空を見上げようとしました。でも、ハッと気付いて止めました。
「見たくないわ、そんなもの。早く部屋から出て行ってちょうだい」
吐き捨てるようにそう言って顔をそらします。
白雪姫は悲しそうな顔をしました。でも、すぐにまたにっこり笑うと「おやすみなさい」と頭を下げて部屋から出ていきました。
空に浮かんだ三日月は見上げられることのないまま、ただ沈んでいきました。
ある冬の日は王妃が暖炉で温まっていると白雪姫がいっしょうけんめい両手で何かを包みながら走ってきました。そうして、王妃の目の前でその手をぱっとはなしました。
「?」
訳がわからず首を傾げる王妃を白雪姫は期待に満ちた表情で見上げました。
「冬のにおいがしない? お母さまにあげたくてつかまえてきたのよ」
散歩に出掛けた白雪姫はどうしたらこのにおいを伝えられるだろうと思い、大切に両手で包んで持ってきたのでしょう。
王妃にわけてあげたくて。
「ねえ、お母さま、いっしょに外をさんぽしましょう? とってもすてきなにおいがするのよ」
王妃の手を握り誘う白雪姫。王妃はその手を握り返そうとしました。でも、ハッと気付いて止めました。
「こんな寒い時に散歩なんて行きたくないわ。一人で行ってきてちょうだい」
吐き捨てるようにそう言って手を振り払います。
白雪姫は悲しそうな顔をしました。でも、すぐにまたにっこり笑うと「次はもっといっぱい持ってくるわね」と外に出ていきました。
なんの残り香もないままに、ただ冬のにおいは消えていきました。
それからも白雪姫は何度も何度も王妃のところにやってきて、自分の好きだと思うものを王妃に渡しに来ました。どんなに冷たくしても白雪姫は王妃を愛し続けたのです。
しかし、王妃は中々素直に受け取ることが出来ずにいました。白雪姫は日に日にうつくしくなっていきました。誰からも愛される白雪姫に王妃が勝てるものはうつくしさだけでした。
そして、その日は来てしまいました。
王妃はいつものように魔法の鏡にたずねました。
「鏡よ、鏡、この世で一番うつくしいのは誰?」
正直な鏡はいつも王妃だと言ってくれました。しかし、その日は
「あなたの娘、白雪姫です」
そう答えたのです。
「なんですって?」
王妃は信じられない気持ちでした。聞き間違えたのかもしれない。そう思い、何度も何度もたずねました。でも、何度きいても鏡は答えるのです。
「あなたの娘、白雪姫です」
白雪姫のうつくしさが王妃を追い越してしまいました。
王妃の心は憎しみでいっぱいになりました。あの子が生きている限り自分はずっと二番目にうつくしい女。あの子が生きている限り。
好きなものを教えてくれたのは白雪姫でした。
でも、それを覚えていたのは王妃でした。
王妃は鏡に映った自分を見ながらたずねました。
「鏡よ、鏡、この世で一番うつくしいのは誰?」
正直な鏡は答えました。
「あなたの娘、白雪姫です」
王妃は悲し気に微笑むと空を見上げました。そこには白雪姫の好きな三日月が浮かんでいました。
王妃は魔女に化けて、七つの山を越えて、小人の家にやってきました。
いつものように窓をたたいて白雪姫を呼び出します。
でも、その日はいっこうに出てきてくれませんでした。
変わりに一枚の手紙が窓にはさんでありました。そこにはこう書いてありました。
『どんなに色を形をにおいを変えようとやっぱりりんごはきらいです。りんごが世界で一番好きなあなたのことを思い出すからです。もう愛してほしいとは言いません。どうか、生きることだけは許してください。』
読み終わると王妃は窓にりんごを置きました。
まっ白で三日月の形をした冬のにおいのするりんご。赤いリボンがしてあり、手紙がはさんでありました。そこにはこう書いてありました。
『色も形もにおいもあなたが教えてくれたあなたの好きなものたちです。「ありがとう」。私は確かにうれしかったのです。』
そうして、白雪姫の手紙を胸に抱いて帰っていきました。
その後のお話をしましょう。
白雪姫はりんごを食べました。でも、あなたが知っているお話のようにそれを食べて死ぬことはありませんでした。
だから、ガラスの棺に寝かされることも、王子様にキスをされて結婚することも、王妃が殺されることもありませんでした。
それでも、王妃も白雪姫もずっとずっと幸せに暮らしたといいます。
こんな物語があってもいいと思いませんか?