第1話 パール、ウィルに生きて帰ると約束する。
この会議室も久し振りだ。
ただ前回とは何もかもが違った。
一番の違いはボクたち女王国の為の席が凄く増えたことだ。
まずアリス様を中心にウィル君とクロエさんが両脇に控える。
さらにその両脇にキャンベルさんとマグレインさんが座る。
その後ろにはボクとレッドさんブラウンさんガイさんファズさんという面々が勢揃いして目を光らせる。
さらにホルスさんを中心とした領主の方々がボクたちの右横に悠然とした表情で陣取っていた。
今回は彼が声を掛けた人たちだけではなく、今まで中立だった領主の皆さんが軒並み名を連ねている。
結果的に領主席も大幅に増えたのだ。
そして彼らの席も全てひっくるめて女王国陣営と見做されていた。
そのあおりを受けたのが上級貴族たちだ。
彼らの席数は驚くほど少なくなっていた。
呼ばれてもいないのに、当然入れるものだと勘違いしていたオジサンたちが、部屋の外に追い出されたことに腹を立て、怒鳴り散らしていた。
……いやいや貴方たちの席ナイから。
前回は出席していたお姉ちゃんたち冒険者一行も今回は外で待機だ。
何とか入ることが許された数少ない上級貴族は、上目使いでチラチラとアリス様の顔色を窺っている。
ちょっと前まではこちらに敵意むき出しだったのに、今はまるで野山に棲む小動物のようだった。
その言い方をするならば、アリス様はヌシということだろう。
事実、会議室の大勢は女王国陣営で占められていた。
頃合いを見てテオドールさんは立ち上がり、挨拶と現況説明を始めた。
それが終わると、次に立ち上がったのはアリス様だった。――今までのようにロレントさんではない。
これが全てを表していた。
「まずはお集まりの領主の皆様方、我々に賛同して下さったこと、心より感謝いたしますわ」
領主席のみなさんに向かって優雅に一礼する姿はまさに女王様。
間違いなくこの会議の主役だった。
彼らもアリス様に対して丁寧に深々と頭を下げた。
「……さて、本題に入る前にこちらで紹介したい者がおります」
アリス様が合図をすると、横のウィル君がスッと立ち上がり一礼した。
温和で幼い表情と貴族的な風貌に似つかわしくない武人のようなスキのない身のこなし。
……その僅かな仕草だけでも見る人が見れば分かっただろう。――彼がただの少年ではないことに。
そしてアリス様が紹介を始めた。
前回の戦争では女王国軍の総大将に任命され、見事に職責を果たしたこと。
領主カイル=マストヴァルを無事保護し、更に説得に成功したこと。
現在は領主カイルの横で、女王の名代として復興の陣頭指揮を取っていること。
「――将来的に我が国の宰相となるべく勉強をさせております。これからこういった場に出席させることもあると思いますので、どうぞ皆様お見知り置きを」
「……皆様初めまして。ウィルヘルム=ハルバートと申します。まだまだ未熟者ですが、どうぞご鞭撻の程よろしくお願い致します」
ウィル君がアリス様に続いて丁寧に挨拶をすると、盛大な拍手が起きた。
……主に領主席の方からだが。
ふと荒い呼吸を感じてすぐ横を盗み見すると、おじいちゃん将軍のガイ様が肩を震わせながら必死になって涙を堪えていた。
「さて、それでは本題に入りましょうか」
おじいちゃんが泣こうが笑おうが会議は続く。
アリス様の言葉で会議室の空気が一気に引き締まった。
この感じだ。会議はやっぱりこうじゃないと。
「……女王国と致しましては帝国を二分するような内乱を長引かせるつもりは毛頭ございません。今回の戦いで一気に決めるつもりです」
停戦期間はあと数日で切れる。
それをもって最終決戦に突入する。――これが女王国の主張だ。
「このまま戦時体制を続けても民衆の経済活動が縮小するだけです。長い目で見れば帝国の為になりません。……我々女王国も今回は本気で当たります。……これをもって、この大陸における『最後の戦争』にしたいと考えております」
女王国は新しく生まれ変わった帝国と戦うつもりはないという意志表明だ。
それを理解してもらえたのか、皆が頷いた。
「大まかな流れとしまして、皇帝を無傷で保護するため帝都そして居城である白銀城を押さえます」
異論は出てこない。
貴族たちも誰一人としてアリス様の話を遮ろうとしない。
だから何の滞りもなく話が進んでいく。
アリス様が一番嫌がる二度手間もない。
簡潔に的確にそれでいて明確な、無学なボクたち山の民でも理解できるような説明。
初めからみんな黙って、アリス様の言うことを聞いておけば、こんな面倒なことにならなかったのだ。
女王国としては結果的に上手く転んだとも言えるケド。
「――そしてもう一つ徹底したいことがあります。それは『宰相殿も絶対に傷つけてはならない』ということです。……これでよろしいですね、領主マストヴァル?」
アリス様が笑顔で領主席に視線を向ける。
そう、今回の会議の領主席には彼が座っていたのだ。
――ヴァルグラン領主カイル=マストヴァル君が。
「はい、私のわがままを聞いてくださいまして感謝致します。……アリシア女王陛下」
彼はゆっくりと立ち上がると礼儀正しく頭を下げた。
本当に堂々たるものだった。
実は先日カイル君から申し出があったのだ。――どうか宰相殿の命を助けて下さい、と。
その為なら何でもしますと。
それならばと、アリス様はカイル君にも会議に出席するよう要求したのだ。
ついでにお芝居にも付き合ってもらいます、と。
ちなみにアリス様は初めから宰相さんのことを助けるつもりだった。
それを知っているのは女王国でも数人だけだし、今でも極秘事項だ。
この会議に出席して、今の二人のやり取りを見せつけられたみんなはどう思ったのだろう。
会議室を完全に支配するアリス様。
そのアリス様に対して、わがままを通すことが許されるヴァルグラン領主のカイル君。
そんな彼をオトし、『この場』に引っ張り出したウィル君。
そしてこの将来有望な少年二人を抱え込んだ女王国。
――上級貴族も教会もレジスタンスもいつか過去になる。
これからは必ず女王国による新しい時代が来る、誰もがそう思ったに違いない。
今日の会議をその為のお披露目舞台にしてしまおう。
これこそがアリス様の作戦だった。
――ポルトグランデ港湾区にある女王国公館はおそらく大陸で一番注目されている場所だと思う。
ここで決められたことが、そのまま帝国の未来を左右すると言っても過言ではないからだ。
だからいかなる賊の侵入も、情報の漏えいも許す訳にはいかない。
その為の山猫部隊だ。
ボクたちは今晩もその意識で警備の任務をしていた。
エントランスを見渡せる場所に潜んで外敵に備えていると、不意に後ろから気配を感じた。
だけど敵意はない。
「……申し訳ありませんが、ウィルヘルム様の部屋まで御同行願えませんか?」
山岳国の間諜さんだった。
それにしてもなんでまた?
ウィル君とは食事のときや休憩のときに会うぐらいで、わざわざ私室にお呼ばれするような仲ではない。
「……大変光栄に思いますが、任務ですのでここを離れることはできません」
ボクは視線を一切動かさず、後ろの彼に答えた。
アリス様の命令なしに持ち場を勝手に離れることは許されない。
ましてやボクは山猫のリーダーだ。
「……代わりの者を連れて来ております」
その言葉と同時に気配が増えた。
「ですが――」「……アリシア陛下からもご了承いただいております」
……エッ? そうなの?
それはまた、随分と手回しがいいことで……。
そこまでされてはお招きに応じないと失礼になる。
「それでしたら、構いません。……案内していただけますか?」
ボクは小さく息を吐くと彼らに振り向いた。
ちょっとばかり前のこと。
ハルバート家の間諜のみなさんとじっくりお話する機会があった。
彼らはボクたち山猫と違って大人の集団だ。落ち着きもあって分別もある。
そして何より主君――ウィル君を大事にしていた。
そんな彼らとの会話の中、ヴァルグラン領主のカイル君と交渉しているときのウィル君の姿が、まるで在りし日のハルバート候のようだったという話になった。
涙をこらえるのに必死だったので、交渉内容をあまり思い出せないという笑い話。
他の間諜の人たちも目元に滲んだ涙を拭いながら大笑いしていた。
それをたまたま通りかかったガイ将軍が聞いていて、大泣きしていたのはまた別の話。
今日の会議でも涙ぐんでいたし。
……でも何かそれがいいなって思った。
ノックの後ウィル君の部屋に入るといい匂いがした。
匂いの元を辿るとテーブルの上に紅茶の準備がしてあることに気付く。
「先程帰宅前のクロエさんに淹れてもらいました」
ボクの表情から何かを読み取ったのか、ウィル君が笑顔で出迎えながら教えてくれた。
……クロエさんまで?
「……あ、その、お招き預かり光栄です」
「そんな畏まらないで下さい。いつも通りでお願いします」
そういうと彼が自らカップに紅茶を注いでくれる。
「ボ……私がします」
彼は元とはいえ山岳国の王族だ。
ボクのような山住まいの平民と格が違う。
ウィル君にそんなコトをさせる訳にはいかないと慌てて駆け寄るが、彼は手でそれを静止される。
「いいのですよ。僕だってそれぐらいできます。パールさんはお客様ですから、どうぞそちらにお掛けください」
そう言いながらにっこりと微笑んだ。……ホント可愛い。
今までアリス様に近い人間の中ではボクが一番年下だった。
でもウィル君が来てくれたおかげで、そうじゃなくなった。
今でもブラウンさんはボクの頭をわしゃわしゃするケド、同じぐらいウィル君もわしゃわしゃされるようになった。
ボクもお姉さん気分でウィル君の頭を撫でるときがある。
それが凄く楽しかった。
弟ってきっとこんな感じなんだろうな。……なんて末っ子のボクは思うのだ。
ボクたちは二人掛けのソファに並んで座りながら、紅茶を飲みつつ他愛のない世間話をしていた。
だけどその間もウィル君はどこか落ち着かない様子で忙しなく視線を動かしていた。
「……ウィル君、随分と背が伸びたね」
改めて横に座るとよく分かる。
「そうですか? もう半年ぐらいここを離れていましたからね。……自分では中々気付けないモノです」
「うん、すごく立派になったよ。もうアリス様の役に立てているんだもんね。……偉いなぁ」
「……そうだと嬉しいです」
ウィル君は照れたように俯きながら笑った。
ボクはそれを微笑ましい気持ちで見ていた。
初めて会ったとき、どこか諦めたような感じで冷めていたウィル君。
ボクたちに反発するとか、そういった手の掛かるようなことはなかった。
それだけに見ているボクたちも辛かったのだ。
お父様があんな形で亡くなり、女王国と折り合いをつけるのが難しかったことだろう。
アリス様もボクたちもずっと彼のことは気にかけていた。
この公館で一緒に過ごし、ボクたちがどんな人間なのか分かってもらえてからは、彼も少しずつ明るくなってきた。
そして今や女王国流にどっぷり染まり、無くてはならない存在までになった。
それが本当に嬉しかったのだ。
そんなことを考えながら紅茶を飲んでいたら、突然ウィル君がこちらに向き直った。そしていつになく真剣な表情でボクのことを見つめてくる。
「……その、僕はパールさんのことが好きです!」
――あまりのことに何も返せず頭が真っ白になった。
「……あの夜、パールさんがアリシア陛下に抱かれるようにして海猫亭から帰ってきたとき、僕はどうする事も出来ませんでした。貴女をどう慰めればいいのか全く分かりませんでした」
ウィル君が申し訳なさそうに表情を歪めた。
あの夜のことは、今でも思い出すとちょっとだけ胸が痛む。
未だにお姉ちゃんの顔を真っ直ぐ見ることができない。
だけど、そのことで彼が気に病むことはないのに。
「別にそれでいいのですよ。……ウィル君はまだ子供なのですから――」
「それじゃダメなんです!」
ウィル君がボクの言葉を遮り、いきなり叫び出した。
「パールさんは、その、素敵な女性ですから、それじゃ間に合わないんです!」
エェッ!? ……その、何というか、こそばゆい。
「……私なんて、そんなこと、……ないよ?」
手を振りながら、しどろもどろに伝えるが、ウィル君はそんなボクを見て急に表情が明るくなった。
そして、ずいっと身を乗り出してくる。
……ちょっと、近いデスヨ?
思わず身を引いてしまう。
「パールさんは優しくて、綺麗で、仕事も凄くて、でも人を惹きつけるような華やかさもあって、本当に僕の理想とする女性なんです!」
――すごく嬉しかった。
今ウィル君が言ってくれた言葉は、まるっきりボクがアリス様に出会った頃思っていたことだったのだ。
ボクもアリス様のようになりたくて、精一杯頑張った。
つらい思いも経験したけれど、それも含めてアリス様のような素敵な女性になるための試練だと思えるようにもなった。
今のウィル君の言葉は、ボクが間違っていなかったことを教えてくれたのだ。
「ありがとうございます……」
だけど、その男性としてウィル君のことは……。
そんなことを考えていると――。
「わかっていますよ」
笑顔で返ってくる。もう完全に読まれていた。
さすがアリス様に対等だと言わせた人の息子だけある。
どう考えてもこちらの分が悪い。
「取り敢えず、名乗りを上げたかったのです。誰がどうみても僕はまだ子供ですから。自分でもそれぐらい分かっています。ですがこれで少しぐらいは僕のことを男として意識してくれるようになりますよね?」
そういって口元を歪めた。
その表情が少しアリス様っぽい。
「……そうですね。意識しちゃいますね」
正直今もまだドキドキしている。
ちょっと頬っぺたも火照ってきた。
「でも私はその平民だから――」
「そんなことは問題になりません。母上からも僕が決めた相手ならば構わないと、すでに了承を取ってあります」
「えっ? ……あ、でも、お母様の許しは頂けても、他の――」
「アリシア女王陛下から『ウチのパールにケチをつけるような馬鹿はいないと信じたいが、もしそのように言う者がいるのであれば私の養女にする。それならば問題はないでしょう?』との言葉をいただいております。……こちらがその旨の書状です」
ボクの考えていることなんて、すでに分かっていたのか次々と先回りされ、詰みだと言わんばかりにボクの前にスッと封書が差し出された。
なんという根回しの腕だろう。
……それにアリス様まで巻き込んじゃって。
……絶対に楽しんでるよね? ……みんな。
「あとはパールさん次第です。……何としても僕のプロポーズを受けていただけるように、今から策を練っておきますので、覚悟しておいてくださいね」
ウィル君がアリス様そっくりの不敵な笑顔を見せた。
それはまた手ごわいことだ。
でも言わんとすることはただ一つ。――どうか無事で帰ってきてください。
彼のその気持ちが何よりも嬉しかった。
「了解しました。……その日が来るのを楽しみにしておりますわ」
ボクも出来るだけアリス様を意識した、優雅なそれでいて悪戯っぽい笑みを作って見せた。
そして二人で顔を見合わせると、声を上げて笑った。